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丸亀市猪熊弦一郎現代美術館


以前に行った猪熊弦一郎現代美術館のレポートを書きたいと思う。
まず、この美術館は主に近代日本美術家の猪熊弦一郎(1902-1992) の作品を保存している美術館で、建築家は谷口吉生(1937-) によるもの。谷口氏は、MoMAの改修や東京国立博物館にある法隆寺宝物館の手がけた人だ。

まず、猪熊弦一郎氏の経歴を軽くさらってみようと思う。
香川県高松市で生まれ、高校卒業までを丸亀市で過ごす。その後、東京美術学校の洋画科に進学しロマン主義的な画風と言われている藤島武二に師事する。卒業後に帝展に入選するなど、順調な画家人生を歩んでいる中、1938年にフランスに渡り、アンリ・マティスに師事。第二次世界大戦勃発し、日本に帰国。1955年にニューヨークに活動の拠点を移す。1973年に脳血栓を原因にハワイへ。

一枚目: ピロティーを設けて、解放的なエントランス。
二枚目: 展示室に自然光を取り入れている。

この作品の顔の描写が非常にマティスからの影響を強く受けているなと。そして、マティス絵画において重要な要素の一つである、「窓」だが、この長方形の描写がなんとなく窓に関連付くのではないかと思った。

この絵画に関しては、猪熊氏がニューヨークに渡り、当時最盛期だったアクションペインティングの影響を受けて書いたもの。この作品の近くにあったキャプションによると、「アメリカの作家には、正直さの中に明るくて強さがある。ひとつひとつの行動の裏に他人の気持ちまで考えてゆこうとすることになれてきた私たちには、およそ持っていない明るさだろう。」とあった。確かに、当時のアメリカの芸術は、クレメント・グリンバーグの言葉を借りると「純粋性」を追い求めたカラーフィールドにしてもアクションペインティングにしても、その大きなキャンバスを埋めることで絵画の限界に挑んでいた。この「キャンパスを埋め尽くす行為」こそ猪熊氏の言う「明るさ」が現れているのではないだろうか。どこか、猪熊氏のアクション・ペインティングには会話における文脈の裏まで読む「配慮」を感じないだろうか。

手の皺とアクションペインティングを繋げた猪熊氏。

展示を通じて、猪熊氏の環境に強く影響を受けて画風が変化していくのが、印象的だった。一見同じような作品でも、その時の環境に強く影響を受けており、当時の環境を絵画が反映しているかのようであった。

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