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日々の事28

思ったこと

誇大妄想的な意見に触れると頭に浮かぶ逸話がある。それは、ミヒャエル・エンデがベルリンで『モモ』について学際のゼミを開いたときのエピソードだ。学生の一人が登場人物の「モモ」の名前の意味について如何にもな解釈を述べた後に、エンデに確認をしたところ、エンデは「いや、そんなことは考えもしなかった」と答えて周囲が沈黙したというものだ。

ほとんどの場合、ことはもっと近くにあるし、もっと簡単だし、シンプルなのです。解釈者が思うほど、そんなにおそろしく秘密めいてもいないし、深遠な意味があるわけでもない。
ミヒャエル・エンデ『ものがたりの余白』より

エンデ自身、モモには何の意味合いも考えていなかったが、そこに何か意味があると考えた人は多かったのではないか。

解釈は正直どこまでも広がることがある。補強することさえできれば、誤りでもどんどん「正しくみえる」ように変化していく。言葉の難しいところだ。怖いよね。

なんかホラー映画みたいじゃないか。間違ってる解釈が音もなく忍び寄り、多くの人の脳を破壊していく……。

SNSでも全然間違った意見なのに1万いいねとかされてたり、誤解が天丼になってたりするのを目撃する。そりゃフェイクニュースが流行るよな。
※この話にオチはありません

今日はここまで。

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