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ヴァーツラフ・ハヴェル『抵抗の半生』

岩波書店刊、ヴァーツラフ・ハヴェル『ハヴェル自伝 抵抗の半生』(佐々木和子訳)を読んだ。同著作『力なきものたちの力』から、かつてのチェコスロヴァキア大統領の彼について興味を持った。

考察などは特にしない。本書を読んで気に入ったフレーズをいくつか記していく。

「要するに私は”外”に排除されていると感じ、自分の高慢さが卑下になっていったのです」p7

チェコの社会主義化で豊かなブルジョア階級から、一転して国民から忌み嫌われる立場への転落を少年時代に味わったことを回顧して。

「ただ、もはやこの言葉が全然なにごとも意味しなくなり、私の意思に光を当てるどころか、むしろ霧で覆ってしまうことを認識したからです。(中略)要するに、私は政治的見解を変えることなく社会主義者と自称することをやめたのです。」p13

ハヴェルはやがて政治的見解について語ることの意味を見失った。

「人間は、まずより良い世界の理念を考えだし、そのあとはじめて、”実行に移す”のではなく、自分がこの世に滞在することで理念を形づくる。あるいは公表する。いわゆる、理念を”世界素材”から創造していく。あるいは”世界語”で表明するべきなのです。」p18

より良い社会制度について問われて。

「この狼狽は、この時代の全体的困惑を一部反映していました。スターリンが失墜し、ハンガリーで革命が血を流し、ポーランドではゴムルカが牢獄から連れだされるようにして「玉座」に着く。これらすべてがいったいどこに向かって走っているのか。なにが有効でなにが無効か。これらすべてをどう考えるかが明確ではなかった。」p50

ドブジーシ若手新人作家会議にて。

「これは、すべてのイデオロギーを、あのお高くとまった”たわごとの世界”全体を無視する生活の、あらゆる凌辱、あらゆる解説、あらゆる路線に対して本質的にさからう生活の、なにものにも検閲されない発現でした。」p73

セマフォルの『ズザナ』シリーズを観劇した際の感想。「力なきもたちの力」に通じる、イデオロギーに対してのハヴェルの思想が感じられる。と同時に1960年代のチェコの演劇界の動きも垣間見える。

「強調された感情はきわめてあてにできないものです。今日のこの感情が大きいほど、明日この感情が転化した諦念もそれだけ大きくなりうるのです。冷静な持久力は、難なく毎日何かのちがうものに向けることのできる熱狂者の感情よりも有効です。」p173

芸術諸連盟の中央委員会共同会議にて。

「真の重要性を人間の行為が獲得するのは、なによりもまず、全人間的な世俗性とはかなさへの慧眼な意識の土壌から生じたときであり、この意識のみがその行為に偉大さを付与しうるのです。」p176

まじめさで笑いものになりたくなければこそ、「人間特有の滑稽さとくだらなさ」への意識を持っていなければならないとハヴェルは説く。

「あなたにも覚えがあるはずです。(中略)われわれの人生の、楽ではなかった二年間がこりかたまって、規格品として記憶に残り、規格品だからこそ言葉で語れるエピソード数個でできたコリコリの団子となっていることに。そして、この団子が、われわれの二年間の体験とも、それがわれわれにどうかかわったかということとも、もはや全く無関係のものだということに。」p224

ハヴェルは政治犯として三度の逮捕を経験している。刑務所にいる頃の話は書かないのか、と問われた時、ハヴェルは「すでに過去でありすぎる」と言う。さらに、書けなくはないが「内面的個人的に体験した本質」ではなく「外面的なもの」にすぎない伝達不能性がある、と続ける。

「死すべき運命にある多くのものがつねにそうであるように、私の人生もさまざまな感情的関係をともなっており、私の天国の口座に記帳されている罪が、ひとつではすまないことは明らかです。」p239

そんなハヴェルの人生の担保であり、保証は妻のオルガの存在だった。人生の肯定的存在として彼にとって妻の支えは大きかった。

「(前略)希望とは、もともと主として精神の状態であり、世界の状態ではないということです。われわれは希望を自分のなかに持つか、それとも希望を持たないかであり、それはわれわれの魂の次元であって、その本質において世界の観察や状況判断などに依存するものではありません。希望は予言ではないのです。それは精神の方向づけであり、現下の世界を越えて、境界のはるかかなたに定着しているのです」p277

80年代になかのどこかに希望の曙光は見えているか、と問われて。端的にハヴェルの人生観がうかがえる。

「自殺を考えたことのない人があるでしょうか!(中略)今のところ一度も自殺を試みたことはないし、近く試みそうにもありません。反対に、どんなことがあっても生きてみたいと望んでいます。それを私に可能にしてくれるもののひとつにーー逆説的だが--まさに自殺の選択可能性があるからです。いつでもそのチャンスがあるという意識が、それを決して試みないようにしようとする力を与えてくれるのです。あるいは人生とは、言わば永遠に自殺をのちに順延し続けることではないでしょうか。」p287

獄中書簡で自殺について言及があったことを問われて。ハヴェルはこれに続けて「自殺者を断罪することはできない」し、「自殺者たちはもともと、人生の意味の悲しい見張り人」なのではないか、と言う。

「私は自分に嫌疑をかけています、私は心の奥のどこかで、この逆説に充ちた全人生を、じつはたいへんおもしろがっているのではないだろうか、と」p319

ドン・キホーテにも似て、永遠なる夢想家、つねになんらかの理想のために戦い続ける人。「いかなる環境にあっても真実を語る」ことを唯一の武器として。

本書は、ハヴェルが1989年に大統領に就任するより、以前。まだ”国家の反逆者”であった1985~1986に、西独のボンに滞在していたチェコ人ジャーナリスト、カレル・フヴィージジャラのインタビューを草稿としている。

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