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司書ではないけれどそうあること

「なんでボランティアしてるの?」

先日の学習支援の時間、子どもに尋ねられました。
Kacotamという活動で来ている、とは知っていても、ふと目の前の人間がどうして目の前にいるのか、改めて疑問に思ったのでしょう。

そもそもの始まりは、大学で図書館司書の授業を取ったことでした。

私は高校生のとき、人間関係がうまく築けず読書にのめり込む日々を送っていました。

本が好きなので、本があればいい。だから図書館司書の資格が取れるところ、と考えて大学を決めました。

漠然とですが、将来は司書か、書店の店員になりたいな、と思っていました。本を扱っていればいいからです。

ですが、図書館司書の授業のレクリエーションにおいて、先生からお達しがありました。

「図書館司書の授業が始まる前に、面接をします。面接に通った人だけが授業を受けることができます」

……めんせつ?

私はきょとんとしました。受講する人数が多いとか?だから削りたいとか?と考えました。

すると先生は続けて言いました。

「たまに、本が好きだから、本を相手にすればいいからという理由で司書の授業を受けようという人がいます。ですが、それは誤りです。司書の仕事は本を相手にする仕事ではありません。本を借りに来る、人間を相手にする仕事です。本が好きで、人間が嫌いだという人はこの授業を取るのをやめてください」

面接は、それを見極めるためのものです。そう言われました。

私はそれを聞きながら背中にめっちゃ汗をかいていました。うわ、私のことだ……!と思っていたからです。

面接で何を聞かれたかは覚えていないし、無事に通ったし、落ちた人がいたのかどうかもわからないのですが、とにかくその言葉を聞いて「このままじゃやばいのかもしれない」と思ったのがきっかけでした。

司書も、考えてみれば書店の店員も、本を借りに来る、買いに来る人間を相手どる仕事です。人間が嫌い!というままではおそらくままならない、というのを遅ればせながら感じたのです。

そこで、アルバイトをすることにしました。人間と関わらねばと思ったのです。

でもいきなり居酒屋のバイトとかはムリかな……と思って、見つけたのが塾のアルバイトでした。

危機意識を持っていたようで、子ども相手ならなんとかなるかもしれない、と思っていたのかもしれないあたり、自分は子どもを尊重してはいなかったのではないかな、と思うと今では顔から火が出そうですが……。

そうして、勉強を教えるのが楽しくなって、会社員になってからも何かをしたい、と思って探したのがKacotamでした。

司書には結局なりませんでしたが、今でも興味があります。

数年前にニューヨーク図書館という映画を見ました。

有名なライオン像がある図書館とその分館を舞台に、講演や会議、ミーティングの様子などが次々に移り変わっていく3時間(!)のドキュメンタリーです。

その映画を見終わった後、映画館にパンフレットの隣に並べてあった本がありました。竹内悊『生きるための図書館』(岩波新書)です。

「図書館とは何か?」を、日本の図書館の歴史や、地域に根ざした多摩区の図書館の取材、東日本大震災の後の図書館の奮闘などと共に問い直していました。

そこに司書のお仕事として「調査支援サービス」が紹介されていました。
図書館で調べものをするとき、目的とする本が見つからなかったり、何を見たらよいかわからなくなる、というような相談にのるのがその仕事。

司書はまずその質問の趣旨をよく理解し、その人が一番適切な解決法を見つけられるように援助します。つまりこれは、問題を解決しようとする人の道案内なのです。
しかしこの仕事の理想は、その人が自分で問題を解決する喜びを得ることにあり、その人に代わって問題を解決するのではありません。この道案内人は、目的地が見えるまでの同行者で、その人の代行者ではないからです。

よい本や資料を調べてきて見つけて「はいこれ」って渡すのはとても喜ばれるし、一見「良いこと」かもしれない。でも、その人が「そうそうこれ!探してたんだよ〜!」と達成感を得たり、「自分で選んだ本、めちゃくちゃ面白かった!」とわくわくしたりするのも、本を探す、読むうちの醍醐味ではないでしょうか。

これが、学習支援に共通しているのでは、と思ってなんだかぐっと来てしまったのです。

答えを教えることだって大事なときがあるし、今日絶対にこのプリント終わらせなきゃ!という日もあります。

でも、同行者としてできることをいつも心がけているような気はしています。

教科書のページをめくっているのを見守ったり、「これでいいかな?」と尋ねられたらただ頷いたり、調べ方をアドバイスしたり。

代行者ではなく同行者。しかも、目的地が見えるまでの。

司書には結局ならなかったけれど、司書のような人でありたいな、と思い、だからこそ、学習支援のボランティアをやっているのかもしれないです。

以前、大学のフォーラムでKacotamの学習支援について、自分の経験等をお話ししたことがあり、そのときのお話しを一部ですが記しました。
ともすると、代行者になってしまいそうなことがいまだにあるので、自戒をこめて、これはあくまでも私の話ですが、私の大切にしていることでした。

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