物への執着

髪留めを失くした。
髪留めと言ってもお洒落なものではなく、あくまでただ髪の毛をまとめる為の黒いゴムである。私は髪が長く量が多いので、細いゴムと太いゴムを使い分けている。より気にならないように結ぶ為にはこのどちらも使う必要がある。失くしたのは細い方で、引っ張るにも力がいらずに使いやすいのでほぼ毎日使っているか、手首にはめていた。
ある日外出した際にふと手首を見ると、そこにあるはずだった黒いものがなく、ぼんやりと、ああ失くしたのだと思った。
たかがゴムなのだから、また手芸用品店に行って、こんなに要らないと思いつつ1メートルでも買ってくればいい話なのだが、使っているかうちにそれにひどく慣れてしまって、新しいものはしっくりこない。何か物足りないのだ。
とはいえ失くしたものは返ってこないので諦めるしかない。そう言い聞かせて誤魔化している。
私は自分の物に対する執着が好きではない。何にそんなに飢えているのか、小さい頃から素敵な形の葉っぱ、木の実、石、何かの部品、文字が書かれたもの、手芸用品など、とにかくあらゆる物を溜め込むところがある。以前、知り合いに日本人はZENのようなまるで何もない部屋に住んでいるのだろうと言われたが、私の部屋はまるで物置小屋だぞと答えると、どこか嬉しそうに驚きながらそんな日本人もいるのかと言っていた。そりゃ茶室みたいな部屋に住んでいる日本人もいるだろうが、いくら憧れたとしても私には死んでも辿り着くことはできない。
この物の多さは引っ越しの際に痛い目をみることになる。引っ越しの箱詰め袋詰めに何日も費やし、ふと我に返っては、果たしてこれを全て運び出し今より狭いかもしれない部屋に運び込めるのかと絶望し、引っ越しの日には友人に一人で住んでいるとは思えないと笑われる。
収納テクニックを使ったところで物を仕舞い込む技術が身につくだけで、いわゆる断捨離といわれるものは一度も成功した試しがない。これはもはや技術でどうこうすれば良いというものではなく、自分の内面と向き合った方が結果的に素早く根本的な解決になるのではないかと思う。まずはZENとは何なのかを学んだほうが良さそうだが。

いただいたサポートは学費と学業関連の書籍代として使わせていただきます。