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しまいをつけんと、いつまでも落ち込んでしまうから
昨年から、小学校、中学校、高校と同級生だった友人が亡くなった。
A君は孤独死。B君は病死(急逝)、そしてC君は事故死だった。
A君は小学校からの友人で、亡くなる1年ほど前まで付き合いがあったが、突然連絡がつかなくなり、次の知らせは役場の知人からの情報提供だったのだ。ご両親がすでに他界しており、他のご親戚を存じ上げなかったので、役場の知人から一報を受けても、何もできなかった。
東京で警備員のアルバイトをしながら画家として活動していたのだが、社会保険(特に年金)が未払いとなっており、お仕事中に労災事故にあい、足に障害が残ってしまったが、障害年金を受給できず、生活保護を東京で受けていた。
田舎に帰ってきて一緒に仕事を探そう、と働きかけたが、上手くいかず、東京にとどまり、この孤独死に繋がってしまった。無念だった。悔しかった。泣きたかった。
B君とはしばらく話していなかったが、色々お世話になった。家業が建築系のお仕事をしていたので、うちの実家の取り壊しを頼んで、安くやってくれた。
本人はプライベートではよさこい踊りに毎年参加していて、僕なんかよりよっぽど健康的だった。そんな彼が自宅で倒れて、そのままお亡くなりになったと聞いた時、あまりの事に事実を受け止められなかった。残されたご家族のことを思うと、いたたまれない気持ちになり、僕はため息ばかりついていた。
ごめん、お葬式には行けん、というか堪えてくれ。。。
弔電を打った。ごめん、ごめんと何回も言った。
そのB君のことについて話したC君が、先日、高速道路での自動車事故で亡くなった。
高校の後輩からヤフーニュースのリンクを教えてもらい、確認した。
言葉がなかった。嘘だろ、嘘だろ、本当なわけない。。
実は学生時代、吉祥寺でよくこのメンバーで遊んでいたのだ。お酒が大好きなC君とそれに絡むA君、そしてぼそぼそと喋りかけるB君、忘れるわけがない、青春の日々。
A君とB君の死をC君と共有して、少し意見交換してから数ケ月、まさかそのC君が亡くなるなんて、とてもじゃないが僕は受け入れることはできなかった。
ニュースサイトやテレビニュースで、大破した彼の愛車が写されるたびに、なんとも言い難い悲しみが込み上げてきた。無理だ、葬式には行けん、ごめん、無理だ。
そして昨日のお通夜、多くの参列者の中に、僕はいた。たまたま連絡をくれた友人から一緒に行こうと誘われて、中途半端に揺れ動いてた気持ちにけりをつけることができたので、行く事にしたのだった。
何よりも行く事にした一番の理由は、A君B君との別れをしないままの自分から、前進しなくてはいけない、という強い想いに駆られたことだった。
友人の死は簡単に受け入れることができるものではない。特にこの3人の死は、あまりにも切ないし、あまりにも悲しく、僕は心に深く深く傷をおった。
でも、こうして僕は生きている。生きて、生きて、彼らの分も生きないといけない。
そのためにはしっかりと「友人の死」を受け入れて、自分の心がずたずたになっても、切り裂けそうな心の痛みを感じても、衝撃で打ちのめされても、その自分からスタートを切ろう、と決めた。
それこそが彼らに報告する事だろうと思った。
この文章も泣きながら書いています。こんな僕ですが、どうぞ安らかに眠ってください。君たちの分もきっと生き抜くから。
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