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(初投稿)音声と文章の違い

記念すべき初投稿である。普段は仕事から帰宅し夕食が終わると異常な眠気に襲われる。 慣れないキーボードを叩きながら台本も下書きも無く書いている。

普段は仕事帰りにstand.fmの収録をこちらも台本も下書きもなく淡々と語り夜11時に予約投稿している。独り言のように40〜50分は喋る。400回までは闇雲にやっていたが最近はあまりしていない。理由は一番関心を持ってもらいたい音楽の配信が雑談によって埋もれてしまうからだ。

多くの人が歌配信の伴奏を他から調達する人が多いなか、僕はカラオケを全部自作している。これは非常に非効率なのだが他の配信者との差別化するための拘りだ。

では今回のテーマ「音声と文章の違い」について語る事にしよう。

音声の最大のメリットは話し方にメリハリをつける事によって感情移入が出来る事。伝えたい対象に対して感情に訴える事が出来る事だ。 喜怒哀楽の表現やBGMや効果音で演出する事も可能だ。 ただ、その全ての情報を理解するためにはそれなりの“時間”が必要だ。聴く側が時短のために倍速やスキップをしてしまうと場合によっては肝心な部分が欠落してしまう恐れがある。

対して文章の場合、情報を得るスピードは読者によって決められる。そこに文字がある限り何度も読み返したりさらりと流して必要な情報に注力する事も自由だ。いづれにしても関心をひくためには人が関心のありそうなタイトルや見出しが必要だ。電子書籍でも音声アプリでもポチられなければそこに存在しないのと同じ。永遠に作者の意図は伝わらない。

先程も述べたが、僕は音声配信において唄の配信の際には自作のオケを使用している。理由は著作権の問題と自分の歌いやすいキーやテンポに変えられる事、そして何より自分でそれが出来る事(DTMerである事)をアピール出来るためだ。 これもワザとらしいが冒頭に説明を入れないで聴き流されてしまうとただ“オッサンがカラオケで唄っているだけ”と誤解されてしまう。
しかしこれもまた同じでポチられなければ理解されようが誤解されようがそこに存在しないのと一緒だ。
僕の場合、多くの人が忘れてしまったか知らなかったような過去の名曲を復刻したいという意図がある。しかし関心を持たれなければその意図すら伝えたい次世代に伝わらない。こうなるとまず先に伝えたい次世代に関心を持たれる事が必要になる。

こうなるとひとつだけ合理的な方法がある。 “若い世代に過去の名曲を唄ってもらう事”だ。しかしそれすら関心を持たれなければ存在しないのと同じだ。

さて、ここまで読んで下さった方には僕の意図は伝わったのではないかと思う。要は音声でも文章でもそこまで引き込んでいく(魅きこんでいく)導線が必要なのだ。 ではより多くの人に伝えていくためにより多くのフォロワーが必要か? ん〜、フォロワーの数より“質”の方が大事かな? 僕はフォロワーは多くないしそのための活動も運転の仕事のためになかなか出来ない。でもフォローしてもらうために闇雲にフォローしまくるような事はしない。“いいね”とかもいいと思う理由がなければしない。それは相手(配信者)に対する敬意であって理由もなくいいねやフォローをするのは失礼だと思う。最近歌配信でいいねをした人からものの1分もしないうちにいいねがきた事がある。僕はちゃんと聴いたからいいねしているのに4分の曲なのだからそれ以上経ってからでないと不自然だ。

音声や映像の場合、見た目や声の印象でファンがつく事も多いだろう。しかし本当に心に秘めた想いや情熱を理解してくれるのは話を具に聴き一言一句具に読み返す様な人だろう。そう言った意味では“文章”は聴き流す事は出来ない訳だからそちらから入ってくるファンの方がリテラシーが高いと言える。

僕は仕事上どうしてもこうした“書く”事に時間を割くのが難しい。しかし音声だとどうしても長くなってしまう。台本を作って聴く人を飽きさせないような工夫をすればいいのだがそれもまた時間のかかる作業で感情をリアルに伝えると言う点では台本無しで話すのもアリだ。不器用なら不器用なりに自分のありのままを伝えられる。いままで時間がないが故に書く事を疎かにしていた。音声と文章それぞれのメリットを活かして自分の意図と言うモノを見える形にしていきたい。 今回はそんな記念すべき初投稿です。 継続出来るか? 誰かに影響を与える事ができるか? それを知るのは我のみ、か、これを読んでいるあなたです。

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