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「お金の話」というと湧き上がる、このざらついた気持ちはなんだろう

「お金の話」と聞くだけで尻込みしてしまう人は多いです。仕事以外の場面でも、私がファイナンシャル・プランナーという仕事をしていると聞くや否や
「ちゃんとしなきゃって思ってはいるけど、どうも苦手で……」
「私はよくわからないから、すっかり妻/夫に任せきりで……」
と苦笑いされることがよくあります。

かく言う私もお金の話が大好きかといえば、決してそんなことはありません。


お金の話になると、ざらつく心

「お金の話」、とりわけ自分のお金の話となると、きまって心のすみっこがざらつきます。

それは、
食べすぎちゃった翌日に、体重計に乗りたくない
よく眠れなかった翌朝に、鏡を見たくない
みたいな、後ろめたい気持ち。

まっすぐ見なきゃいけないとわかってはいるけれど、
見たくない気持ちが理性を凌駕してしまう。

そうして目を背けてしまったときに、自分に向けられるふがいなさ。

お金の話をしようとする瞬間、なぜか同じような後ろめたさを感じます。

この気持ちの正体はなんなのだろうと、ずっと考えてきました。

私たちはいつから、お金が苦手になってしまったのだろう

自分のお金のことに満足している人は、ほとんどいないと思います。
よほどのお金持ちでなければ、もっとお金があったらという慢性的な不足感は多かれ少なかれあるでしょう。

かりにお金持ちであっても、資産の管理や税金、相続の問題など、お金があるが故の悩みは尽きないとも聞きます。

日本では昔から、「お金の話をするのは卑しい」とも言われます。気心知れた相手ですら、日常生活の中では表立って話題にすることが憚られます。

本当はものすごく気になるはずなのに、本心を隠して生きている。気になっている自分のモヤモヤした迷いや不安に蓋をして生きている。けれどいざその話題になると、「お金」と聞いただけでなんとなく気持ちがささくれ立って、遠ざけたくなってしまう。

お金持ちでもそうでなくても、そんな本音は誰の心にも通底しているような気がします。

私たちはいつから、そんな気持ちを心に宿すようになってしまったのでしょうか。

振り返ってみると意外と幼い子どもの頃から、思い出すだけで心がちくっとするお金の体験をしてきていることに気が付きます。

お菓子がほしいと親に言ったら、買ってもらえなかった
お小遣いでおもちゃを買おうとしたら、お金が足りなくて買えなかった
交通費のためと渡されていたお金で、学校帰りにお菓子を買って親に怒られた

そんな経験が、きっと一度くらいあるのではないでしょうか。

大人になって、
がんばって働いているのに、一向に給料が上がらない
ショーウィンドーに惹かれて入ってみたお店が高級店で、何も買えずにそのまま出てきた
そんなつもりはなかったのに、衝動買いをして無駄なお金を使ってしまった

といった出来事があったときには、
やるせなさやくやしさ、恨めしさが湧いてくることがありますが、
その気持ちはたぶん、子どもの頃にも同じように感じていたはずです。

毎月いくら使っているのかわからないけど、知りたくない
お金を貯めなきゃとは思っているけど、貯められない
保険を見直さなきゃと思っているけど、めんどくさい

できればお金のことなんて考えたくない

今、目の前のお金のことを真正面から見つめるのがなんだか嫌な気持ちになるのは、「お金」に対する過去の苦い原体験が、古傷のように痛むからなのかもしれません。

「お金の話をされるのが苦痛」という彼の叫び

十数年前、私はある高校の授業でお金の話を教えていました。

今では学習指導要領が拡充されて、家庭科の授業でお金の使い方や貯め方、投資や金融トラブルなどについて学ぶようになり、子どもにとって少しずつお金の話題は身近になりつつあります。

しかし当時はまだあまり前例がなく、教科書に載っていない「お金の話」を授業で扱ったときに生徒たちがどんな反応をするのか未知な状況でした。

お小遣い帳のつけ方やアルバイトの給与明細の見方、教育費のかかり方、そして自分が高校生になるまでにどれくらいのお金がかかったのか、といった話を、外部講師として1年かけて講義していました。

幸いなことに多くの生徒さんは積極的に楽しそうに授業に参加してくれて、手ごたえを感じていたあるときのこと。授業の感想を聞くアンケートを取ったところ、ひとりの生徒の回答にこう書かれていました。

「お金の話をされるのが毎回苦痛で耐えられなかった」

無記名のアンケートだったので、どの子が書いたかはわかりません。でも、その文字からは確かに、悲痛な叫びがひしひしと伝わってきました。中身はさておきお金に向き合うことそのものが、その子にとっては苦痛なのだと。

学校にはいろいろな家庭環境や経済状況、価値観の生徒がいて、生い立ちの中でお金に関してつらい経験をした子もいるはずです。

お金は夢をかなえる魔法の杖にもなるけれど、人々を富める者と貧する者に分かち、誰かを苦しめる凶器にもなりえます。

そしてそれは、自分でお金を稼ぎ自分で使う大人だけでなく、その大人の背中を見て育つ子どもたちにも、格差という残酷な現実を突きつけるものにもなりうるのです。

お金を上手に使いましょう、上手に節約しましょう、上手に貯めましょうと説くだけでは、いかに浅はかで陽気すぎるかということを思い知らされました。

心のささくれを受け止めて

しかしながら、生きていくうえで、お金のことはいつかは向き合わねばならない現実問題でもあります。とりわけ大人になれば、お金の話を避け続けるわけにいきません。いつかは自分で考えて、乗り越えて、解決していかねばならないときが来ます。

お金の知識をつけたり、自分のお金のことを考えたりするのは、生きるすべとして不可欠です。

けれど、知識や経験が十分でないまま大人になって、
いきなり無理な節約をしようとして3日坊主でやめてしまった
貯めようと思ったけどたまらなかった
増やそうと投資に手を出したら元本割れしてひどい目に遭った
そうやって失敗体験ばかり重ねてしまえば、傷の上塗りです。

ますますお金の話が嫌いになってしまうはずです。

そうならないためには、まずお金との付き合い方、お金に対する心のスタンスを整えることが大切なのかなと思っています。

向き合いたくない過去のトラウマや、遠ざけたい嫌な気持ちがあったら、それを一度優しく受け止める。

お金に対するざらついた自分の気持ちをいったん、自分で認めてあげる。

ざらついた心のささくれから目をそらさずに、どう付き合っていくかを考える。

そのうえで、お金のことに困らずに、少しでも前向きにいきていくにはどうすればいいのか、必要な知識を自分の中に取り込んで、自分で実践していく。

お金の話と、そんな風に付き合えたらいいのではないでしょうか。

見たくないものを無理に目の前に突きつけることなく、
素直に向き合う気持ちになってもらえるように。

お金の話を発信するときには、
その後押しになるようなメッセージを一文一文の裏に込めていきたいなと思っています。

加藤梨里(ファイナンシャルプランナー)


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