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日本橋小網町へ御礼参り

こないだ、神社仏閣はあちこち滅多矢鱈に行くもんじゃないというお話をさせていただきました。

にも関わらず、ごめんなさい。実は6月頃に、日本橋にある小網神社さんというお社に詣でたことがあったんです。

とりたてて何かご縁があったとか、お世話になったとかがあるわけではなかったんで、ある意味、開運目当てのパワースポット巡りとなんら変わらんのではありますが。なんかウチのカミさんがどっかで「財運にご利益があるみたいよ」と耳にしたらしく。また、わたし自身も「ここには本当に神さんがいらっしゃる」というのを伝え聞いていて、前々からなんとなく興味があったからです。

たいていのお社は、当然ながら分霊(わけみたま)というかたちでキチンと祀られています。ですから個人的には「神さんがいるとかいないとか詮索するのは失礼にも程がある」と思っているのですけれどね。
確かに、畏れ敬う人が少なくなることでご祭神のお力が弱くなったりするというのはよく聞く話。管理をする方々や日々の祈りを捧げる神職がいなくなれば、社をお留守にされたり、別の場所へ移られてしまうことがないとも言い切れません。なかには、わりと大きくて有名な神社さんでも、神さんの存在感が薄れてしまっているとされるところもあるらしいのです。
その点、小網さんはその筋の人たちから見ても、しっかりと神さんの存在が感じられるお社なのだとか。それだけご利益があるということなのでしょう。

で、その時は、本殿に参拝させていただいたあと、すぐ傍の銭洗い弁天さんで小銭を洗わせていただいたんです。
特段、何かを祈念するつもりはなくて、あくまで、はじめましてのご挨拶だったんですけどね。
したらば、その後、思いがけずお仕事がいくつも舞い込んできまして。もしかしたら悪気なく無意識のうちに、金運や仕事運アップをお願いしちゃっていたのかなって。だとすれば、いい機会を授かりっぱなしじゃさすがに申し訳ないなぁって、ずっと気になっていたのです。

で、本日(既に日付を跨いだので昨日ですね)伺ったのはその御礼参り。
ぜひ一言だけでも「ありがとうございました」をお伝えしたくて、約2か月半ぶりに行ってきました。

しかし、前回もたくさんの参詣客で賑わっていましたが、今回もまた行列が幾重にもできていましてね。決して広いとはいえない小さな敷地内に、御神籤や御朱印、御守りを買い求める人が詰めかけていらして。道路っぱたまで長々と延びた参詣客の群れに混じって並んでいると、若い女性の二人連れ、カップル、親子、中には洋の東西を問わず外国からいらしたであろう観光客の方々もいらっしゃって。有り体に申し上げると「大変そうだなぁ」というのが率直な感想でした。

もともと、この界隈で流行った疫病を鎮めたことから氏神さんとして崇敬されるようになったとされるこの小網さんは、東京大空襲で奇跡的に焼け残ったり、こちらの御守りを携えて出征した兵隊さんに戦死者が一人たりとも出なかったりで、強運・厄除けのご加護があるとされ、つとに有名になったという経緯があります。

地元の人たちに親しまれてきたのが、今は遠方からも人々が駆けつけ、しかもインターナショナルな人たちの願掛けにまで応じなければならないわけですから、せっせせっせとお忙しくされていらっしゃるのでしょう。一見して、そんな雰囲気が見て取れました。まるで、お役所の窓口にやってきた人たちの相談事を、見事なまでの要領のよさで捌きまくる凄腕の職員さんみたいな? 不謹慎かもしれませんが、そんなワンシーンが頭の中に浮かんでくる程でした。

でもまぁ、わたしごときの心配なんぞは単なる杞憂で、この神社前の生き生きとした賑わいは、小網さんの望むところかもしれませぬ。

偉そうにわかったようなことは口にはできませんが、べつにイヤな気はしませんでしたし。今日は休日ということもあって、辺りにオフィスビルが立ち並ぶこの界隈は、本来もっと静かなはず。ところが、こぢんまりとした小網さんの鳥居の周辺だけはパッと明るく花が咲いたようで。それまでザーザー降っていた雨がピタッと止み、実に気持ちのよい風が重く湿った空気を涼やかに吹き流してくれていました。

ちょいとご縁があって、ここのところ訪れる機会が増えてきた日本橋・人形町。そこから程近く、呼ばれるように訪れたのがきっかけだった小網町の氏神さんには、今後も手を合わせに伺うことがあるやもしれません。
その際はまた、地元の皆さんのお邪魔にならんよう参拝させていただこうと思っています。いい気分転換ができた土曜日の午後でした。

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