そろそろ選挙ですね
こないだ〝モノの道理〟について書きましたが、政治家の裏金づくりがなぜこれほどまでに常態化してきたのか……道理を見極めればなんとなく答えのようなものが見えてくるような気がします。
わたしのような職業は、なんでも知りたがる癖が抜けなくて。知り合いの区議会議員さんに「まるで取材ですな(笑)」と呆れられてしまうくらい詰問したことがあります。選挙のことについてです。
まず、街頭や駅前での辻立ちの際に、有権者に自分の名前と政策を印象付けるため、名刺やビラだけでなくハンディなフライヤー(チラシ)を拵えているそうです。自前のコピー機で、手作り感、手弁当感たっぷりなビラを作ればさほどお金はかからないでしょう。でも、そこはやっぱりわたしらのようなプロの手を借りた方が手応えも違う。刷物のクオリティが高いと、ちゃんとカバンか何かにしまってくれて、その辺りにポイっと捨てられることも少ないんでしょう。
あとは選挙事務所。支援者にご協力いただいて、なかなか入居者が現れない店舗跡とかをお安く借りるみたいですね。今はコストを少しでも節約するため自宅の一室を活用する方々もいらっしゃるようですが、そりゃあ商店街の隅っこでいいから、どこか一角に事務所を構えることができたら、それそのものが広告になります。また、ここでも看板やPOP などを業者に発注したらタダでは済みません。ああいった大判のプリントは結構馬鹿にならない料金を取られるんですよ。
さらには選挙カー。正規ルートで専門業者さんにレンタルを依頼すると、こちらも結構な出費になる。その知人は自家用車のハイエースを使って、移動の足と兼用しているのだとか。でも、選挙カーって特殊な機材を積みますんで、所轄警察署への届出申請なんかがあって、専門業者さんを介さないと、そういう段取りや手配もすべて自分でやらなきゃなんない。出ていくお金をセーブできても、肝心な選挙活動に差し障りが出るほど時間を食うんですって。
「あと、意外と無視できないのが日々の活動雑費なんですよ」
ボランティアの選挙スタッフさんたちが「画鋲買っておきました」「ガムテープ補充しときます」「ゴム印をネットで注文しました」と、気を利かせて備品を揃え、購入金を立て替えてくださるのはありがたいのですが。レシートもらってません、もらったんですが無くしちゃいました、なんてことがあるようで。
そこは経費精算が当たり前のサラリーマンさんと気構えが違うんでしょうね。学生さんや主婦の方もいらっしゃって、あんまりギチギチに縛り上げてもしょうがない面がある。仕方ないっすね、じゃあひとまずこれで精算をと、その知人がポケットマネーを手渡すケースも少なくない。
いや、裏金に関わった議員を擁護しているわけじゃないですよ?
わたしの知人だって許せないと息巻いてました。
でも、大きな政党の後ろ盾などなく、個人で真っ当な選挙活動を行なっている優良候補者であっても、運動費用収支報告書には載っていない(載せられなかった)雑費というものが、わりかしあるのが実情です。
確かに細かく管理すればするほど仕事は増えちゃいますし、それだけで人を雇うわけにもいかない。ポスター貼ったり、辻立ち時にビラ配りしてもらったり、候補者本人だけではできない活動に人員を割きたいわけです。
結局、本人や奥さんなんかが領収書や帳票管理をされているのだそうです。
後援会とか協力してくださる人がいて、お財布を預けられるよな信用に足る人がいれば話は別ですが、そうはいかないこともあるんでしょう。
そういう道理がなんとなくわかっていれば、自由に使えるお金が欲しくなるのも理解できますし、もし公認をもらった政党から「これ、餅代ね」と幾ばくかのお金を手渡されたら、心底ありがたいと思うだろうことも容易に想像できるでしょ。
で、本人が「収支報告書に記載しなきゃ」と思っていても、政党の偉い人から「いいよ。それよりパーティ券を捌いておくれ」「その分を君の収入にして、政治活動に充てていいから」「報告書への記載も不要だよ」「みんなやっていることだから」といわれたら……ねぇ。
くだんの知人も「新人だったら、なんの悪気も不信感もなく裏金づくりに手を貸しちゃうでしょうね」と申しておりました。
仮に事情やカラクリを知っていて、自分ではよくないことだとわかっていたとしても、偉い人に逆らって立場をマズくさせるより、「そういうもんなんだ」と自分に言い聞かせて、やるほかなかったんでしょうよって。
なんのことはない。党から政治資金をもらっていても、ちゃんと正当な用途に使って、ちゃんと記録を残しておけば何の問題もないはずなんです。
それを有権者の会合などで見栄を張ってカンパとして配ったり、お祭りや地域行事に付け届けと称して何らかの物品を提供したりするからイカンわけでね。
有権者の皆さんにいい顔したいがために使って、使途を明らかにできないような使い方をするから悪いということです。
ここで、モノの道理に通じていないことで、2つの問題が顕現してきます。
一つは、わたしたちが「裏金作りなんかしやがって!」と過敏すぎる反応をしてしまうこと。
確かに裏金なんかあってはならないことなんですが、こうした流れを理解していれば、選挙や政治活動というものには、そういうよろしくない行動を誘発する土壌がそもそも潜んでいたんだということのほうに目が向きますよね。
だったら裏金議員を叩いて溜飲を下げるのではなく、選挙の仕組みを見直そうぜ!と、声を挙げるほうが建設的かもしれません。チラシ禁止、選挙カーでの遊説禁止、政策の訴求はネット限定・街頭演説オンリーにして、地域行事への挨拶回りも禁止。メチャクチャ極論ですが、そういう縛りを設けないと、潤沢に資金を持っている候補者とそうじゃない候補者の間に越えられない壁ができてしまいます。金持ちしか当選しなくなる。
もう一つは、被選挙民のほう。深く考えもせずに所属政党の指示に従っていないか。昔から続いている業界の慣習だからと悪事の片棒を担いでいないか。議員候補としての揺るぎない良識と平衡感覚を以てして、セルフチェックを徹底しないと、これからの時代は無理でしょう。
お金を使わない選挙や政治活動を標榜して、工夫に工夫を重ねて頑張っていらっしゃる方もいらっしゃいますし、どうしても裏金議員に我慢がならないなら、そういう「真っ当な候補者」のほうを選んで、ズルすることに知恵を回してばっかりいるどうしようもない人たちを落とせばいいじゃんってだけのこと。
ていうか、あえて乱暴に、誤解上等で申し上げてしまえば、裏金なんて小さなことはどうでもいい。わたしはそう思っています。
政治資金パーティやってお金を集めてたって、ご自分の政策づくりを煮詰めるための市民相談会や勉強会、アメリカ風にいえばティーパーティを開くなど、有意義に使ってるんだったら、わたしはいいと思うんすよね。
特定の組織や団体に利益誘導したり、弱みを握られて言いなりになったりさえしなければ、統●教会だろうが創●学会だろうが、頭を下げて「清き一票をお願いしますね!」も全然アリだと思います。
やれることはなんでもやって、なにがなんでも当選して、自分のやるべき仕事に励んで、その結果で「ほーら皆さんが住みやすい社会になったでしょ?」と、支持者に一律で恩返ししていけばいいんだもん。
いくらやり方がクリーンでも、仕事ができない人に国家運営は任せられません。
裏金やったかやってなかったかを争点にして国会議員を選ぶより、ちゃんと国のため、国民のために働いてきたかで判断したいものです。