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ホルミシス効果を文筆に応用できまいか

「ホルミシス効果」というのをご存じですか?

これは、少量の毒が人体に刺激をもたらし、生理的に活性化させるという効果。毒物学の世界では古くから認められているそうで、薬品や抗生物質はこの法則に照らして処方されています。
また、ラドン温泉なんかもそうみたいですね。ぶっちゃけラドン温泉やラジウム温泉って少量の放射線を放出しているんです。ただ、安全基準を満たしているんでガンになるのは稀で(他方でリスクが少なからずあるという研究もあります)、むしろ免疫力や自然治癒力が高まるとされています。

つまり、過度で急激なストレスは生き物に対して確実に悪い影響を与えますが、程よいストレスを受けて育った個体は、しばしば耐性を獲得して、生存競争力を高めるということ。しかも、理化学研究所の研究では、親が経験した環境情報は子の世代にも継承されることが発見され、生物の生存戦略の一つとして新たな知見となっているようです。

これを、テキストワークにも応用できないかと思いましてね。

毒にも薬にもならないクソつまんない文章や論旨展開が、チョットした「毒」を盛ることで輝きを放ちやしまいか。平易なコトバや言い回しの羅列の中に、チョットした「ストレス」を散らすことでグッと内容を際立たせることができまいか、ということです。

ぼくのお父さんは、しょうぼう士です。
お父さんは、火事がおきると赤いしょうぼう車に乗って、
いち早くげんばにかけつけます。
そして、火を消したり、逃げおくれた人をたすけたりします。
また、お父さんは、学校やかいしゃに出かけていき、
ひなんのしかたや、消火きの使いかたを教えるおしごともしています。
火事をみぜんに防ぐためのいろんなかつどうをしています。

でも、ぼくがいちばんそんけいしているのは、
どんなときでも人をたすけられるように体をきたえているところです。
しごと場のしょうぼうしょに行くと、毎日がくんれんだそうです。
お休みの日でも、ぼくのことをケガ人やびょう気で動けない人にみたてて、
おんぶしながらジョギングしています。
たくさんの人でいっぱいの商店街をかたぐるまをしながら歩いてくれます。


ぼくは、しょうぼう士を心からそんけいしています。
そして、いつかは、お父さんのようにゆうかんで、
いっしょうけんめいがんばるしょうぼう士になりたいです。

ちょいと恣意的で恐縮ですが、小学校低学年の男の子が、お父さんのお仕事を伝えるというシチュエーションで架空の作文をつくってみました。一応、この男の子の気分になって、この男の子の目線で捉えている消防士の姿を描いたつもりです。

でも、ザザーっと書いてみて思ったんですが、太字の部分はどっちかっていうと、消防士の仕事云々じゃなくて、お父さんとの休日のコミュニケーションを通して語られた「大好きでしょうがない」という気持ちの表明になっちゃっていますね。正直、論旨から外れるので、なきゃなくてもいい記述。子どもが書くからかわいらしいかなって、読み手の皆さんをニヤッとさせたくて挿れてみましたけど。職場で大人が書いた報告書だったら完全に蛇足ですね。上長に見せたら「ここんとこ要らなくね?」と突き返されそうです。

しかしながら、ここにこうゆうエピソードを挟むことで、なんかちょっとだけ引力のようなものが生まれると思いませんか? さっき申し上げた、男の子がお父さんに抱いている憧れ、お父さんをかけがえのない存在だと考えている感情を浮き上がらせることで、読み手の感情に波紋が起きる可能性もあるんじゃないかしらと。

要は、全体の文章量に対して、一文、二文、独自の視点を塗し、文章にその人なりの個性を醸すということです。

これは、文章構成だけにとどまらず、平易な文章の中に時折難解な表現や言い回しを放り込んで、その部分を際立たせたり、ちょっとだけ「アレ?」と思わせる変化球的視点をチラつかせたりすることで、論旨全体を理解させる効果にもつながるんではないかという試み。
サラッと読ませながら、「ん?」と立ち止まらせ、逆に味わいを持たせたり、別の読み方で愉しませたりができるかなぁっていうことです。

たぶん。そつのない情報の羅列や、問題提示から結論へ至る過程を淡々と述べていくだけなら、AIで十分作れちゃうんじゃないかなぁ。ネットニュースだって、そのうちAIに取って代わられるかもしれません。
そこに風穴を開けられるのは、多少訥々としてていいし、決して流暢じゃなくていいんで、自分なりの「毒」を仕込むことにあると思うんです。

毒気だらけの強烈な文章だと、読んでて疲れちゃうでしょうが(笑)。ピリッと辛い山椒を効かせるようなアレコレを生地に織り込んで、読み手に適度なストレスを与える文章の方が、なぜだか印象に深く刻まれる気がします。

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