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縛りをかける

『呪術廻戦』のキャラクターで好きなのが、個人的には“みんな大好き”伊地知さん。そしてもう一人は、主人公の虎杖くんを一人前の呪術師に導くナナミンこと七海建人です。

ナナミンは、脱サラ呪術師で「呪術師なんてクソ、労働はクソ」と吐き捨て、過重労働をことさらに嫌うキャラです。仕事は「1日8時間まで」と自分に縛りをかけて、そこから先は「時間外労働」とし、ネクタイを緩め、めんどくさそうに眉間に皺を寄せ、自らの呪力を増加させながら対象となる敵に対峙します。
たぶん普段は、8掛けくらいに抑えてるんでしょうかね。本来の力をセーブするというリスクの見返りに、残業時間に突入するとパワーアップしちゃうという理屈のようです。

わたしも記事を書く時、自分に縛りを設けることがあります。

南の島の記事では「南国の楽園」といった、どっかで聞いたような常套句を絶対に使わない。
キレイな海や山や河や空、風光明媚な景観などの描写に、できるだけ「美しい」を避ける。
うまい料理の紹介を「おいしい」という言葉以外で表現してみる。
某ネズミがいる、あの夢の国をはじめ、誰もが夢中になっちゃうテーマパークのことを書かなきゃいけない際に「楽しい」は使わない。
……などなどです。

要は、その修飾が、ホントにその対象を言い表すコトバとして「ジャストな表現なのか」を吟味するということです。
そして、適材適所で使えるボキャブラリーを増やす訓練でもあります。
余談ですが、わたしは以前、酒販メーカーさんのクライアントワークをしていたことがあります。そこで出会ったバーテンダーさんやソムリエさんの味覚表現はかなり参考になりました。ちょっとした香りや味わいの違いを見事に言い分けるところなど、マジで勉強になります。

あと、「倒置法」「比喩表現」「体言止め」などの、いわゆる修辞技法なんかも、あんまり多用すると、文章をこねくり回した感が出ちゃってよろしくなさそうです。ホントにそこで使うことによって機能できているか、もっと平易に均しても充分イケるんじゃないか、よくよく吟味して、使いどころを絞ったほうが効果的です。

もちろん、そんな書き手の勝手なワガママと思惑と企みで、記事そのものの流れを損ねたり、中身をわかりにくくしたら本末転倒です。美しいものを美しいと書くほうが自然ならば、絶対そうすべきでしょう。

でも、これらがうまく嵌って成功すると、さっきまでイマイチだと思っていた文章が見事なまでに引き締まります。
外部のライターさんがあげてきてくださった原稿を読んでいても思うんですよね。な〜んかすんなり入ってくるな〜とか、なんだか潔くてオトコマエだな〜とか、しなやかでたおやかだな〜とか嘆息しちゃう時は、たいていそのライターさんもこの縛りをかけていると気づかされます。よく読めばわかりますんで。


昨日の投稿(といっても一昨日の深夜に書き始めて、日付をまたいでの投稿分)では、「自由に書けばいいんじゃない」的なことを申し上げましたが、人間は、ある程度の縛りを設けたほうが、それまで培った地力を放出できるような気もしています。

とりあえず、この時間帯だけは何があっても確実にPCに向かう。
どんなに忙しくて時間に追われていても、スタッフからの「わたしさん、一寸ご相談があるんですがいいっすか?」には、手を止めて耳を傾ける。
〆切は明日だけど、今夜中に9割9分は絶対に仕上げる。

そうやって自らに制限を加えていると、なぜだかパフォーマンスが上がるから不思議です。

慌てる乞食は貰いが少ない。急がば回れ。急いては事を仕損じる。
頭の中で呪文のように唱えていると、いったん何かに気を散らさられたとしても、すぐにまた目の前の作業にフォーカスできて、夢中になっていたらいつの間にか終わってた、なんてことがよくあります。
しかも、そういう時ほど神経が細やかに行き届いた、粗のない文章が書けているんです。

これもまたアニメネタになりますが、賛否両論あった『新世紀エヴァンゲリオン』の最終話。フワフワと宙に浮いていたシンジ君の足下に、ゲンドウさんかな、地面となる線がスッと描かれるシーンがありました。重力という縛りを与えられた途端、彼は地に落ち、やがて自分が進みたい方向へと一歩一歩、自らの足で歩き始めます。あの場面がわたしにとってはすごく印象的でして。なんだか強烈に覚えています。

人は何か条件を課せられたほうが、むしろ、のびのびと生きやすいんじゃないかと思ったり。抽象的でぼんやりとしていて恐縮この上ない話ですが、縛りがあることで、むしろ自由になれる気がします。

え? じゃあ君が大嫌いなPREPで書くという縛りをかけろ?
えー、それだけは嫌です。人からかけられた縛りは呪い。苦痛でしかないもの。

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