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【小説のようなもののカケラ】

 多数が望めば、嘘もやがて真実となるように、多数の民が望んだことによって、我は神となった。

 道ゆく子らが、無邪気に棒っきれを振り回しながら家路につく。よそ見ばかりで危なっかしい。
 石ころに蹴つまずいて、転んで怪我でもしやしないか。田んぼに水を引くために設けられた用水路に、落ちて溺れてしまいやしないか。

 丘の上から眺めていると、それはもう心配で心配で。時には風を吹かして頬をさすったり、葉擦れの音でもって気を引いたり、落ち葉を降らせて危地を知らせた。いつもいつも我はあの者たちを見守ってきた。

 旅人は、いつからか我を往来の道標とし、強い陽射しを除ける庇代わりに傍で憩い、五月雨が降りしきる日には足元で雨露を凌いだ。まるでくなどの神を祀るかのように供物を置いていく者もいた。道中の安全を祈って手を合わせる男もいれば、家人が病に伏せったからと、快方を願って拝みに来る女もいた。我とて村人たちの平穏安寧は望むところ。できることはなんでもやった。

 あるとき雷に撃たれた。なにかの神罰が降ったのだろうか。
 そういえば、この村に疫病神が訪ねてきたとき、我は彼奴きゃつを騙して帰らせたことがある。若衆たちが流行り病で亡くなった者どもを弔い、火葬と厄祓いを兼ねた火焚きの祈祷を執り行った三日後のことだ。

「あの日、何もかも燃えてしまったのだよ。これ以上の禍をもたらすのは彼の者たちにも酷であろう」

 疫病神はしずしずと帰途についた。これでもう無辜の民の命は奪われまい。しかし、厄災は別の村々を順繰りに訪ね、あらかじめ決められた割符に従い、人々の命を滅するだけだ。その小さな嘘を神は咎めたのかもしれん。

 稲妻を浴びて焼け焦げた身はふたつに裂けた。肌は剥がれ、ところどころに枯れを起こした。

 しかし、長い歳月を経るうちに、こんな我でも少しは徳というものを積んだであろう。風の噂に聞くには、路傍の石くれから人に転生した者もいたそうだ。その石は長きにわたり、雨の日も風の日も、ただひたすらにそこに鎮まって、旅人に道を示していたからだという。
 おそらく、このまま枯死したとしても、また何かには生まれ変わる。野を駆ける小さな兎がよいであろうか。はたまたそれを追う狐がよかろうか。空を翔ぶ燕も悪くない。地を這う蟲でも構わない。もし人になれるのなら薬師くすしがよい。我は人の子らが好きだ。人のつつがを癒し、人を救ける薬師になりたい。

 そんなことを想うていたら、村人たちがめいめいに、藁のむしろや縄束、木桶を携え、我を見上げて立っていた。やがて、その者どもは樵歌を唄いはじめ、我の周りで何事かの作業を準備している。

 いよいよられるのか。我は覚悟したが、その者どもは我の身を恭しく筵で包み、縄で巻き留め、根を張る土壌に桶に汲んできた牛馬の肥を撒いてくれた。秋が去り、冬を越し、春が訪れた頃、枝には青芽が吹いた。安堵した。朽ちゆくことを怖れていたのだ。否、そのまま土に還り、村人たちの記憶から忘れ去られてしまうのが耐えられなかったのかもしれぬ。

 信心が増えれば増えるほど、我の力は強くなってゆく。日照りが続くと空に祈って雨を降らし、麓の町で物盗りが流行ると、村にはよからぬ輩を一切寄せつけぬよう努めた。
 子が産まれれば、その夫婦は我を詣で、我に子の名を告げながら、その子の息災を願うのだ。愛おしくないわけがなかろう。ゆえに我はその子を守った。母を、父を、家を守った。豊作が続くと、村には新たな家々が建ち、人の往来もにぎやかになった。この村に住まい、我を慕ってやまない者たちは、鳥であれ、獣であれ、人であれ、あまねく我の庇護の傘を差し伸べてやった。

 これが産土神うぶすながみというものだと知ったのは、随分と時代をくだったあとのことだ。山吹木蘭色の法衣を纏った旅の僧がやってきて、我を見上げ、にっこりと笑い、そう教えてくれた。その僧の尽力であろう。いつからか、我を囲うように杭が打たれ、献じられた注連縄しめなわが張られ、傍らには粗末ながらも社が建てられ、我はこの村の鎮守として崇められた。かつて一本の大楠に過ぎなかった我は、周囲に樹木を育み、林を成し、森となり、この土地の守護神となった。

 それがどうだ。
 ここは、どこだ。
 この仄暗い臥所ふしどのような空間は、一体なんだ。
 我はなぜ、ここに鎖し籠められているのか。

 ここを一刻でも疾く離れねばならぬ。あの緑濃き里山の、丘の天辺に戻らねばならぬ。そうして我は彼の者たちを守らねばならぬのだ。

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これは、わたしの母方の田舎をイメージして書いた、小説の書き出しです。
その山奥の村で、産土さんとして親しまれている神社は、丘の上ではなく、下手の川沿いにあって、主祭神に大山咋大神を祀る立派な旧村社です。なので、わたしが想像で書いた産土さんとはまったく由緒が異なります。子どもの頃、魚獲りや川遊びをしていると、なんだか見守られているような安心感がありました。

いま、地方はどんどん人の姿がまばらになり、管理が行き届かない神社が増えていると聞きます。かつては産土神として住民の崇敬を集めていたのが、もしかしたら人口減や高齢化が進み、廃社に近い状態になっているかもしれない。
そんなとき、人の営みを見守ってきた神様は何を思うのだろう。人はなぜ、自らを育んだ土地を離れて都会に移り住み、そこでの暮らしにしがみついてしまうのだろう。そんなことを考えながら創作してみました。
これを産土さんの独白として、冒頭に置くか、どっかに挟みたいな、なんて。

しかし、届けたいメッセージを語るには、どんな道程が相応しいのか、どんな着地点がいいのか、まだ考えあぐねている部分もあります。
民俗学的なモチーフをふんだんに散りばめた人間ドラマに仕立てようか、閑村を舞台にしたミステリーのベースにすべきか、いっそ最強の霊媒師か陰陽師を主人公として登場させたSFダークファンタジーにしちまうか。
書きたいことが書ければジャンルはなんだっていいのですが、難しいところですね。方法論はいくらでも思い浮かぶ。こうやって考え過ぎるから一向に筆が進まない。

でも、書き上げたいなぁ。
自分のお尻を叩くためのエスキースとして、ここに掲出しておきます。


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