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人生放牧記「そうだ、農業やろう」

23歳の冬、1年以上働いている派遣先の契約更新を前に私はタウンワークを開いていた。働きたくないなぁと思いながら開くタウンワークほどつまらない雑誌ってないよね。
食品製造の工場で働いて2度目の冬。新卒で入社したデザイン事務所(ブラック)を1年で退職した私は同じ会社で同じ季節を過ごすのは初めてだった。こんなの初めてぇ!という喜びもなく、続けられてよかったァという安堵もなく漠然と「来年も再来年も同じ感じでやっていくのか…」という気持ちが
こんこんと湧き出た。それはもう富士の湧き水のように。

あっという間に心の中に溜まった気持ちは「つまんねぇ…!」から「もったいねぇ…!」に変わって、「そうだ、転職しよう」になった。なりはった。どすえ。せやかて工藤。
正直「何かをやりたい」という先の目標があったわけではなく。とりあえず現状を変えたい。どこか遠くへ行きたい。現実にいたくない。という現実逃避が主な燃料のためタウンワークを開いても
「アットホームな職場です!」「未経験から店長へ!」の文面にアレルギー反応を起こし、ふて寝していたところなんとか見つけたのが

「農作業ヘルパー募集!未経験歓迎!寮完備・食事つき!」

という募集。農作業…社員寮…それは経験したことがない。北海道に住んでいるのだから、一度は広大な大地での農作業を経験するべきでは。日本屈指の農業大陸、北海道。試される大地。農作業は体力がなきゃできないよな。じゃあ経験するなら若いうちにやっとかな!
契約更新をしない旨と契約終了後は富良野へ吹っ飛ぶ旨を派遣元と派遣先に伝え、期間満了で退職後、一人暮らしの部屋を引き払って段ボール2つとキャリーバッグで富良野へいざ出陣である。というわけで下記が本記事のメニューです。マドモアゼル。

1.ヘルパー寮に住んでみた
2.農作業ヘルパー
 2-1お仕事の概要
 2-2ライブTシャツ
 2-3疲労困憊満身創痍


1.ヘルパー寮に住んでみた



富良野駅から徒歩20分のところにヘルパー寮はあった。割と住宅街というか、町の中に位置しているため徒歩圏内にコンビニ・スーパードラッグストア・ホームセンター・ゲオ・美容院・飲食店となんでもそろっており、生活するには十分な立地。
男女共用の食堂を中心に男子寮・女子寮に分かれており、施設内は共用部分の清掃や食堂の調理など担当してくれる方がおり、玄関には守衛さんもいる。(時間は忘れたけど門限もある)食事は朝晩とお弁当がでる。寮費も食費も給与から天引きされるけど一人暮らしの家賃と食費を考えれば安い。給料は時給制。当時いくらだったかは覚えていないけど、はっきり言って安い。生活できないわけではないが、もし興味を持って行ってみようかなと思った方、稼ぎに行きたいなら他を当たんな。ここは農作業をする場だ。出稼ぎしたいなら漁船にでも乗っておくれやす。

ヘルパー寮のお部屋は個室。記憶を頼りに再現するとこんな感じ。


これは非常に個人的な感想にはなりますが、小綺麗な刑務所って感じ。
でもヘルパーをやっていた半年間住んでいたけど、部屋ってこのぐらいの広さでいいよなって感じるようになった。ベッドと机と椅子があれば十分。
また、北海道内はもちろん北海道外からも観光地として有名な富良野。休みの日は富良野近辺の観光スポットへお出かけすることもできる。旭山動物園も車さえあれば活動圏内。
わたし?徒歩圏内にゲオがあったもんだからDVD借りて自室で映画三昧よ。
富良野の無駄遣いも甚だしい。五郎さんもびっくりだよ。

ちなみに一緒に住み込みで働くヘルパーたちは年齢層が広く、下は十代後半から上は4~50代までいたかと思う。男女比は半々か、女子がちょっと多かったかも。同い年の人も何人かいて、同い年という共通点から距離が縮まったりしたが、老若男女問わず「合う人と一緒にいる」って感じだったので年齢はそれほど気にする項目ではない。ヘルパーに限らず社会人の人付き合いってだいたいそんな感じだと思う。実際、同い年以外の人の年齢は覚えてないし。なんだったら名前もうろ覚え。
出身地は北海道出身もいたけど多くは道外から来た人。休憩時間の談笑タイムで農家さんから「どこ出身なの?」と聞かれるがだいたいみんな北海道外から来ていて、私に質問が回ってきた時に「北海道の釧路です」って答えた時には「お主はなぜここに…?」みたいな空気感になってた。
ええやないか。釧路から富良野にきたって。

2.お仕事の概要


農作業ヘルパーの名の通り、農作業のお手伝いをするわけなんだけども。富良野の農家さんから農協にヘルパー欲しいですって希望があって、農協に入社(期間雇用だったかな?)した私のようなヘルパーを各農家さんへ派遣する仕組みになっていた。はず。朝イチで農家さんがヘルパー寮まで迎えにきて、農家さんと農作業して夕方に寮まで送ってもらう流れ。(マイクロバスで移動したり自転車通勤の場所もあった)毎日同じ農家さんの場合もあるし日替わりの時もあるし、どこに行くかは農協の振り分け次第。農家さんによって作物も違うので何に当たるかはわからない。
ちなみに私は前世で長ネギに命を奪われた可能性があるレベルでネギが大嫌いなので、ネギ農家に派遣されたらどうしようと不安を抱えていた。最後までネギ屋さんに派遣されることがなかったのでとってもラッキー。やっぱり私と長ネギの運命はまじりあうことがないのよ。アディオス。

私がやった作業は覚えている限りでは
・ミニトマト・カボチャの苗、ニンニクを植える
・スイカ管理(苗の世話、蔓の整理と大きさチェックなど)
・ミニトマト・大根・カボチャ・玉ねぎの収穫
・アスパラやシソ畑の草取り
・玉ねぎのネット詰、アスパラやトウモロコシの箱詰め
・ハウスを建てたり解体したり

…といった感じ。田植作業にいってる人もいた。富良野といえばメロンも有名なので、メロン農家さんへ行く人もいたし。スイカ収穫や田植など、筋肉が必要とされる仕事は男性が多く派遣されてた。逆に草取りとか、葉野菜やミニトマト収穫などの繊細さが必要な仕事は女性が多かったり。まぁ箸より重いものを持てない私に大玉スイカの収穫やれっていわれても割と無理なので農協さん、ナイス判断☆


2-1.ライブTシャツ

なんで農業の話してんのにライブの話になるのかって。当時、コブクロが大好きだったの。サングラスかけたやたら大きい人とギター持った小さく見える人のフォークデュオね。シンガーね。ホルモンじゃないよ。日々のBGMはもちろんライブにも何度か行って、グッズも買ったりするわけ。
で、農作業するときに作業着としてライブTシャツを着ていったの。その日は初めて行く農家さんで心に人見知りを飼っているわたしは若干緊張していた。朝イチの涼しい時間が過ぎ、体が温まってきたから、
上着を脱いだらコブクロがこんにちは。
そしたら派遣先の農家のおかみさんが私を二度見。
「えっ…コブクロ…?」
農作業とはいえライブTシャツ着てくるとかふざけてるだろとか言われるんじゃないかと思ってちょっと心配になったよ。でもここで弱気になってはいけん。むしろ堂々としてたほうが良いだろと思って「そうです!コブクロ好きで!ライブTシャツでぇす!」と言ったらおかみさんが

「わたしもコブクロ大好きなのよーー!!」と。

そっちの二度見でしたか!よかったー!もうね、初対面なのに手を取り合って喜んだよね。
「こないだのライブ行ったの?」
「奇跡ツアー、札幌で観てきました!」
と、ひとしきり盛り上がった後におかみさんが
「農作業したら汚れるのに、いいの?ライブTシャツ着てて」と一言。
え、どうしよう。
おかみさんがライブグッズ保全の過激派タイプだったらどうしよう。
「いや、私はライブTシャツがボロボロになるまで着つぶすのが愛だと思ってるんで!」言い切った。あたし、言ってやった。
「あら、そうなのぉ、もったない気もするけど。
 あなたがいいなら良いわぁ」
セーーーーフ!!ありがとう。とても上質なファンの方でよかった。
ライブTシャツを着てコブクロ好きを発信したおかげでアイスブレイクに成功しハウス内でコブクロ談義をしながらおかみさんと楽しく作業。いやー良かった。ありがとうコブクロ。

2-2.疲労困憊満身創痍

大きな空の下で自然と植物と土に触れ、山の方からホーホケキョが聞こえる。休憩時間に農家さんやヘルパー仲間と談笑する。
…だけでは絶対にすまされない農作業ヘルパー。そりゃもう肉体労働ですから。そんなわけでしんどかったベスト3を紹介。

3位:大根収穫
仕事内容はいたってシンプル。畑で育った大根を土から引っこ抜いて
鎌で葉の部分を切り落とし、回収して巨大コンテナに積んでいく。それだけ。朝の早い時間は朝露で葉が濡れているため、農家の親方から
「服が濡れないようにカッパ着て作業してね」と指示があったので長靴はいて、上下カッパを着て作業に入った。開始2時間で腰が痛い。気温は低かったが引っこ抜く動きは運動量がなかなかのもので、汗だくで大根を地上に引きずり出し続けた。10時くらいに「一旦休憩しよー」と親方から声がかかったので作業を中断。
「そろそろ朝露も乾いてきたからカッパ脱いでもいいよ」と言われたので
カッパを脱ぐとカッパの下に来ていた作業着が汗でびっしょり。
わたし、減量中のボクサーだった?カラダ絞ってた?計量通れそう?
たしかに朝露では濡れなかったけど自らの露でこんなに濡れるとは思わんじゃん。ちゃんとした着替えを持ってこなかったのでしょうがなくナイロンのシャカシャカぱんちゅに履き替えて作業続行。
その日は一日中大根抜きに勤しみ、寮に返ってきてシャワーと夕食の後は
泥のように寝た。翌日全身筋肉痛でヨロヨロだったのは言うまでもない。

2位:熱中症
夏に屋外で活動してたら要注意なのが熱中症。その日はハウス栽培のスイカの世話をしていた。色分けされた印が付いた竹ひごのようなものを、スイカの横に目印として立てていく。スイカのある場所の目印にもなるが玉の大きさによって色をかえるので収穫時期が近いスイカが見つけやすくなるのだ。
ハウス内はかなり暑く、最初は汗が滴るほどだったが途中から汗が出なくなった。熱中症の危険サインだが、「暑さに適応してきたのか」と思い、気にも留めなかった。「適応するもんだなぁ。畑人(はたけんちゅ)になってきたんだなぁ」とかちょっと調子乗ってた。
そのあと、頭痛やめまいを感じ始めた。それみたことか。
すぐに農家さんにいえばよかったのだが、熟練の手つきでどんどん作業を進めていく農家さんになんとなく言い出せず、さらに時間が経過した。ついには立っているのもつらくなり、下を向くと吐いてしまいそうになった。やっと農家さんにタイムをかけた時には顔面蒼白だったらしい。
冷房の効いた軽トラの座席に座って休んでいたらおかみさんが保冷剤やタオルを持ってきてくれた。お手伝いしに来たのに世話を焼かせてしまって情けなくて泣きそうになった。昼休憩をはさんでだいぶ回復したので午後からは作業に参加したが帰り際に親方とおかみさんが何やら口喧嘩したらしく、寮に送り返す車の中で親方はちょっとだけいじけてプリプリしており、おかみさんに借りたタオルを返すタイミングを完全に逃した。
そのタオルはいまだに我が家にあり洗面所のタオルとして愛用しています。

1位:かぼちゃ収穫
栄えある一位に輝いたのはかぼちゃ収穫。それはもう作業自体の過酷さはもちろん「秋の花粉」にめっぽう弱いわたしを内側から切り崩していった。
かぼちゃという植物は蔓をはり、大きな葉っぱを茂らせているので収穫するときは両脚で蔓や葉っぱをかき分けてかぼちゃを探す。かぼちゃのヘタはもともと緑色だが収穫時期が近づくと白や茶色になりワインのコルクに見えることから「コルク化する」ともいわれるそうだがこれがかなり固く、専用のニッパーのようなものでバチンと切って収穫するわけ。
「中腰の状態で脚を使って葉や蔓をかき分け、かぼちゃを見つけたら鬼固いヘタをニッパーで切り、コンテナに入れる」という作業を延々とやるわけね。それだけでもかなりの肉体疲労なんだけど、それに加えて私は秋の花粉症を発症、葉をかきわけることでいろんな埃も舞い上がる。5秒に一回くしゃみ連結砲をぶっぱなし、鼻水がナイアガラの滝。ティッシュを鼻に詰めてもダムは決壊、マスクの下は大洪水。くしゃみのし過ぎと肉体労働、マスクも外せないためずっと酸欠。なんてぇところに派遣してくれたんだ、農協さんよォ…。
一日の作業が終わって寮に帰るころにはついに自分のくしゃみの衝撃に体が耐えられなくなりくしゃみをするたびにヨロヨロと後退し、壁にもたれてうめき声をあげ、生まれたての小鹿っていうかもはや妖怪の域だった。
全身筋肉痛だったので全身に湿布を貼ったらものすごい寒くなってしまい
ベッドで布団をかぶって震えた。北極で寝てるのかと思うぐらい寒かった。
水を飲もうにも体が痛くてベットから起きられず、挙句の果てに熱まで出た。泣いた。
毎年秋になるとアレルギーの薬を飲みながらあの時のことを思い出す。
全身に湿布貼るのはやめよう。

そんなわけで5月上旬から11月ごろまで約半年間、富良野で農作業ヘルパーをやりきった。初めての寮生活、初めての農業で大変充実した半年間だった。
冬を越えて春になったらもう一回来るかって言われたら、いかないけど。
うん。一度だけでいいわ。

とりあえず目先の冬期間は何をしようか。他のヘルパーに冬はどうしているのか聞いてみると一旦地元に戻る、とか暖かい地域で農作業ヘルパーしに行く、とか。その中で「リゾートバイト」というのを教えてもらった。
ホテル・リゾート関係専門の派遣会社があり、登録して仕事を紹介してもらい、派遣社員として現地に行って仕事をするという。

じゃぁせっかくだから冬ならではの仕事を、と思った私は
荷物をまとめてスキー場併設のホテルへと移動をはじめたのである。

次回!人生放牧記、
ロマンスの神様?そんなものはおらん! です!

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