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イタリア人の友人Jと行った場所

イギリスのブライトンという場所に留学していた時のこと。

私はブライトンの隣町ホーブという場所に住んでいた。セントオービンスという通りに、そのアパートはあった。(イギリスではフラットという)

その建物の他の住人については、1年以上住んでから色々と分かることがあったり、全く分からなかったり。色々だった。

私は3階に住んでいて、向かいにはもう一人年上っぽい女性が暮らしていた。同じ階の住民は同じシャワールームとトイレを共同で使っていて、時々彼女は鍵をかけ忘れていたので私が勢いよく開けてしまい、
「Sorry!!!」と大きな声で謝る、ということもあった。(もう、閉めといてよ)

同じ階にはもう一つ部屋があったけれど、そこは空き部屋だったと思う。階下の2階にはもっと部屋数があった。トイレも二つ。
うち一つのトイレのドアに『流さなかったやつは誰だ』という抗議の張り紙がされていたこともあった。

引っ越した初日から、2階に住むJというイタリア人の女の子と仲良くなった。彼女もイギリスに来たばかりだった。

Jも私と同じで語学学校に通う生徒だった。まだ18歳と若く、当時私は30歳。私達はすぐに意気投合した。

Jの部屋の方が明らかに高い家賃の部屋だった。広いし、キッチンとシャワーがついている。

「Kana、上のシャワーが空いてないならここのを使っていいよ」
Jは親切にそう言った。けれど部屋の中にシャワー室がドーンとあるので、たいてい部屋のベッドの上で過ごしているJに見られながらシャワーを浴びるのも気まずいし...。ありがとう、と言って実際にそうすることはなかった。

時々お菓子を持って彼女の部屋に遊びに行っては、色々とおしゃべりして、また部屋に戻るということがだんだんと日常になった。住み始めてしばらくすると、ホームシックなのか、Jの元気がない日があった。イタリアの気候や家族が恋しいようだ。それと他にも理由が。

「実はどんどん太ってきてるの。食べ物が原因。いつもテスコで買ってきて食べてるから」テスコはすぐ近所のスーパーだ。

「でもJ、料理もしてるよね?」

「してるけど、運動もしてないから太っちゃうんだと思う」

私もイギリスに来てから太ってきた気がしていた。たいていの人はそうなる。フィッシュアンドチップスや、パイ。イギリスに来たからには、美味しい伝統のものを食べておきたいし。ついつい食べすぎる。

「一緒に何かする?」
私は提案してみた。

「したい!Kanaが一緒にしてくれるなら!そうだ、ジムに行こうよ、もう見つけてあるんだ。ここから海の方へ歩いていくだけなんだよ」

ジムかあ...。ジムは行ったことあるけど、特別楽しかったという記憶はない。もともとそんなに運動は好きではない。

けどマシンに乗って歩くくらいなら。それと大切なのは、

「いくらなの?そのジム」

Jは私にもベッドの上に座るようにすすめて、ノートパソコンの画面を見せた。

「見てこれ。全然高くないでしょ?それに1日だけのチケットもある。10回分とか。」

本当だ。全然高くない。それに、本当に近い。

じゃあ行ってみようか、明日にでも。

そんな話になった。

「Kana、その服で行くの?ジャージとか持ってないの?」
私は普通のロングTシャツにジーンズ。

「だって本気で運動するつもりじゃなくて、ただ歩くだけだから。これでも良いでしょ」

「変なの」

私達は夕暮れの海沿いを歩いて行った。すると通りが終わった先に、グレーの、古ぼけたビルが海のすぐそばにあった。建物の前には、オラオラ系の男たちがワッと群がっていた。

「J、ここだよね?な、なんかちょっと怖くない?」

入り口にはまた、いかつい男。Jは、大丈夫だよ、何言ってんの、と言って物おじせずに入って行こうとする。しょうがないので私もついて行く。ここはボクシングジムじゃないのか?なんか男たちの本気の感じが怖いんだが。

「1日のやつにします。」と私が支払うと、Jは「10回分で」と多めのチケットを買う。

おいおい大丈夫?もっと中とか様子を見てからコミットメントした方が良いんじゃ...と思ったけれど、それは店の人に失礼だし言わないでおいた。Jはしきりにお得だからまとめ買いしなよ、と言ってきていた。私は頑なに断った。

いかつい受付の男は首をすくめて、「全然問題ないよ。1日だけでも」と笑顔を見せた。

いざ中に案内されると、外から見たほど男臭くはなく、寂れてもいず、女性もマシンを使って走っていたので少し安心した。

中は広くはないが、一通りのマシンがあった。他の部屋に行けば、違うエクササイズもできると言う。私達は、歩いたり走ったりできれば良いよね、と一致してマシンを使った。私は予定通り歩き、Jは走り出した。

しばらくして私達は適度に疲労して、「そろそろ行こうか」とマシンを止めた。二人で「足がフラフラする。変な感じ」とか言いながら、日頃の運動不足を実感した。

「J、地下に女性のシャワー室あるって言ってたよね?」

「私行かないよ。家に帰ってから浴びる。」

「私はここで浴びて帰りたい」

フラットのシャワーはものすごく水圧が弱かった。それにも慣れつつあるとはいえ、別の場所でシャワーを浴びられる機会があるならぜひそうしたかった。というか、ジムでの運動より、まともなシャワーを浴びることができるかも、という期待が元々上回っていたかもしれないのだ。

「そのためにシャンプーとかも持ってきたんだよ。」

「わかった。じゃあKanaはシャワー浴びてから帰っていいよ。私は先に帰る。でも言っとくけどね、いつもみたいに髪を乾かさないで帰ったら絶対にダメだよ。外を歩いて帰るんだから。病気になるからね!」

彼女はそう捨て台詞を残して帰って行った。私はOK、と親指を立てた。

私はJが行ってしまってから地下へと降りていった。運動した後で勇気が出ていたのか、この場所は見た目ほど悪くはない、と実感したからなのか、一人で地下に降りていくのに恐怖はなかった。

階段のところで他の人に「ハロー」と挨拶しながら、女性専用のバスルームに入った。
なかなか清潔だった。ドライヤーもあるし、もちろんシャワーも... とそこで見たものに私は衝撃を受けた。

シャワーは天井からついているもの。だだっ広いタイルの大きな部屋に、それもまた大きなシャワーヘッドが天井に5つくらいついている。仕切りやカーテンなど、ない。脱衣室との間も段差だけ。ドアもない。

だだっ広い、まるで15人が一気にシャワーを浴びるために作られたような部屋。

私は行ったことはないが、ふと女性刑務所のシャワー室のことを思った。

10秒くらいそうして立ち尽くしていただろうか。けれど私はすぐに腹を決めて、「誰も来ないうちに超特急で浴びればいいさ」とテキパキと準備を始めた。

シャワーを出してみたら、シャーッ!という威勢の良い音とともに、まるで滝のように強い水圧の、しっかりとしたシャワーが私を包み込んだ。

どうやらシャワーは5つ全部同時にスタートするらしかった。部屋中が水しぶきと蒸気に包まれる。

「これだよ、これ。この水圧!」

私は嬉々としてシャワーを浴びた。よかった。これは来た甲斐があった。

鼻歌を歌いながらシャワーやドライヤーをすませてもう出る頃、別の女性が入室してきた。

彼女は「お先にどうぞ」と言い、私は笑顔でお礼を言った。

それからというもの、時々水圧の強いシャワーをしっかりと浴びるため、私はそのジムに通うことになった。2回目に訪れた時に回数券を買った。Jの言う通り、まとめ買いの方がお得なのだ。

Jはというと?

「寒いから行きたくない」と言って私の誘いを断り(彼女は南イタリアの出身だ)結局あの時買った回数券は無駄にしたのではないか。少なくとも彼女がジムに行くのをあれ以来見ていないし、話題にもなっていない。

私にとってはジムという名の、行水パラダイス。十分な水圧が恋しくなると、アパートではなくそのジムでシャワーを浴びていた。

そしてJに言われた通りしっかりと髪を乾かして、セントオービンスの通りを歩き、アパートへと帰っていたのだ。

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