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便利すぎるキャンプ場でそこそこの自由を満喫した

GWを利用して家族でキャンプに行ってきた。

キャンプが趣味の私たち家族だが、「シャワーが綺麗でないと」「忘れ物もするしショップは充実していてほしい」「急に天気が変わる山は怖い」「子供の遊び場がほしい」「ゴミはすべて常に捨てていきたい」などとにかくわがままが多く、それでは完全にもう『エセキャンプ』ではないのかと自分自身に聞きたくなるほど、キャンプという名の、それでいてできるだけ怠けられるホリデーを求めていた。

そうして大分の色々なキャンプ場に行ってみた結果(言うほど行ってないが、まあ5つくらい?)『リバーパーク犬飼(いぬかい)』という名のキャンプ場に落ち着いたのだ。そこには私たちも希望していなかった、『シャワー室の前にジュースやビールの自販機もある』というおまけまでついている。


リバーパーク犬飼は、私たちの希望をすべて叶えているキャンプ場だ。しかも住んでいる大分市の中心部から車で40分と距離も近い。

洗い場で一緒になったうちの子と同じくらいの子どものお父さんが、「ここのキャンプ場いいよなあ。あとは温泉があれば、パパ住んでもええわ」と話しているのも聞いた。

「私は住むのは無理ですが、気持ちはよく分かりますよ」と目を細めて心の中で勝手に返答していた。

一つ欠点があるとすれば、キャンプ場からずっと下って行ったところに川はあるのだが、キャンプ場から見える景色はこれといってない。山もないし、近くに温泉や観光スポットもない。(スーパーはあるから便利だ。毎回毎日私は買い物に行く)

上には空があるし、周りに木々もあるから、もちろん自然の中にいるという感覚は得られる。ただ自然にすっぽりと囲まれている、という感覚には、ならないかもしれない。

観光スポットもないので、いつもただ純粋にキャンプをして、帰ってくるだけだ。私たちはそれで十分だと思っている。今回もいつものように3泊することにし、幸い天気もずっと良かった。

ちなみに私たちは、冬のキャンプギアを買うまでには至っていない。冬でなくてもキャンプ場の朝晩は冷え込む。寒すぎるトイレはいつも私を悲しくさせるし、私はトイレが本当に近いのだ。

だからキッパリと、冬にはキャンプには行かないと決めて、春夏のみキャンプに行っているのだ。

最後にキャンプしたのは実は去年のGW。夏休みのキャンプ予定は台風で流れてしまった。これだからキャンプは困る。天候に左右されまくりで、ホリデーの予定は変えられないから、天気が悪いとキャンセルせざるを得ず、とてもがっかりする。

しかも世界的な気候変動のおかげで、急な天気の変化は命に関わることもあるから、注意が必要だ。

キャンプで読書

とにかく去年の同じ時期から1年。比べると子供たちはだいぶ大きくなり自分のこともよくできるようになり、ずっと草滑りをして遊んでいた。(キャンプ場には無料で貸し出すソリやフリスビーなど、たくさんのグッズがある)


その間に、私は持参した有名絵画のトリビアについての本を寝転んで読んだ。私の大好きな画家マネの絵を見ながら、「ふむふむ」とそれに関するトリビアを読み、時々周囲の自然を眺めた。(くどいようだが山などの美しい景色はない。ただ空、草と木々、風がある)

大好きなマネの絵 草上の昼食 オランピア

ふと他のキャンパーたちをチラリと見てみると、意外と年配の夫婦も何組かいた。

若い頃からキャンプが好きで色々行って、「けどもう歳だし、便利で何でも揃ってるキャンプ場に行こうか」ということになって、ここを選んだのだろうか。それとも最近になってキャンプを始めて、私たちと同じように「ここがなにしろ便利で落ち着くわあ」と思って来ているのだろうか。

あるいは「このキャンプ場、初めて来たけど子供やグループが多くてちょっと賑やかすぎたなあ。失敗したなあ」とか思っているのだろうか。

ともあれ、熱心に読書している年配ご夫婦キャンパーがいたのだ。「ああ、こんなところで風に吹かれながら、時間を気にすることなくミステリーを1冊読みきりたいなあ」と思っていたら、その夢を切り裂くように、タイミング良く子供に呼ばれたので、私は読んでいた画家のトリビアの本をパタンと閉じた。(こんな時を想定して、そもそも小説ではなくこのような軽い内容の本を持ってきたのだ)

焚き火の火を見つめてぼんやりすること

焚き火って本当に不思議なものだ。見つめていても全く飽きない。それどころかずっと見ているうちに、それが独立した生き物のようにも、洞窟にも、美しい宝石にも、あるいは未来の人類のすみかのようにも、いかようにも見えてくるからだ。

炎がなくなった後の薪は赤く光っている

焚き火の火でマシュマロを焼いて、トロトロになったところをかじっても良いし、コンロの火で温めたお湯で作ったホットココアに入れても良い。

焚き火の火は常に誰かが見張っておいた方が良い。ずっと凝視している必要はないが、常に存在を確認し、それがどこかに飛んで危険な状態になっていないか、消えかかってはいないか、火がどういう状態なのか見ている必要がある。まるで生まれたばかりの赤ちゃんのような存在だ。


だから私はキャンプ場で、焚き火を時々見つめては、ぼんやりとしていた。

常に興味深い動き方をする焚き火は、ゆらゆらとその形を変え、風が吹くと不規則にもっと揺れた。ずっとその動きを見ていると、まるで催眠術にでもかかったように、『ぼんやりしている』を通り越してもう『頭の中が空っぽになっていく』感覚まである。

これは意外とストレス解消に役立っているのかもしれない。

キャンプに行って、そびえ立つ山々を眺め、大自然を感じながらキャンプをするのもきっと気持ちが良いだろうと思う。

ぜひいつかキャンプ上級者になった暁には、寒い日のためのギアも買い揃え、挑戦してみたいとも思う。いつかできる日が来るのだろうか。

それまではお気に入りのキャンプ場へ、無理せずゆるく、持っていく本は年々長いものに変えていきながら、通っていきたいと思っている。



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