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犯罪被害者支援フォーラム

この日は午前に佐賀市役所本庁の地域生活支援センターの皆様にかちPICAのチラシ等を持ってご挨拶と活動の説明に訪問、同様にKITAJIMAビルの佐賀市生活自立支援センターへ訪問してご挨拶と説明をしてきました。双方、やや高齢者向け、やや若者向けと専門の分野はありますが心に何かをお持ちの方がゆっくり話し合える場を提供する自助グループ「かちPICA」との連携をお願いしてきました。

午後に毎年参加のイベントにメートプラザへ行ってきました。例によってA5ノート16枚くらいにメモした内容から書いてますので誤記等があるかもしれません。(私は特定非営利活動法人被害者支援ネットワーク佐賀VOISSの20年くらい会員であり支援研修も受けていますが、支援活動はしていません。)

「犯罪被害者支援フォーラム2022」
令和4年11月24日(木)13時30分~15時45分(12時30分開場)

◎主催者挨拶 
山口佐賀県知事
佐賀県警松本本部長
佐賀市池田副市長

主催者の皆さんがそれぞれ犯罪被害を起こさない社会、起きたら社会全体で被害者の方を支えることをメインにお話しされていました。

◎基調講演 
講師 加藤 裕司 氏 公益社団法人被害者サポートセンターおかやま理事
(2011年に長女を殺人事件により亡くされた犯罪被害者ご遺族)
多くの方々にみささんの事件について知っていただきたい、娘さんの供養になると思って活動されているそうです。
りえさんというお母様と同じようにひらがなで みさ さんと名付けられた娘さん。
IT関連の会社に勤め、仲良しの友達と三人で旅行へ行かれたり、将来を考える男性と交際をされていたそうです。
みささんが27歳の2011年9月30日。
住田紘一という元同僚に殺されたそうです。
強盗・強姦・殺人・死体損壊・死体遺棄。加藤さんはあえてそこをはっきりと話されました。

当日、加藤さんはいつものように帰宅し、みさは?と奥様へ確認し、いつものようにヨガ教室だから10時ごろ帰宅すると話されたそうです。
しかし、帰宅しない。交際相手と過ごしているかと思っていたそうですが、翌朝も帰宅しない。
それでも深刻には考えずに加藤さんは仕事へ。夕方、仕事から帰ると奥様が真っ青な顔で電話やメールがみさにつながらないと話されたそうです。
みささんは今まで返信しないことはなかったそうで、事故でも起きたと考えて加藤さんは警察へ。
娘さんの携帯はGPS機能があったので、KDDIへ連絡するも「本人以外に位置を教えられません」の一点張り。延々と押し問答に。
やり取りを聞いていた警察の方が本庁経由でKDDIへ連絡し、確認されたそうです。
昨日17時以降、発信がない。電源を入れてないか、故障と思われるとの回答だったそうです。
加藤さんたちは帰宅しますが、心配は募る。
夜のうちに会社の駐車場へ車を探しに行かれたそうですが、いくつもある駐車場で特定できず。
日曜日の朝に、警察から連絡があり会社の別の駐車場で娘さんの車が見つかったとのことでした。
桶川の事件ほかで警察に不信感があった加藤さんは車を探していてくれていたのかとびっくりされたそうです。
現地へ行きますが、動転していて合鍵もなく警察から業者を呼んでもらって開錠。
ヨガマットやウエアも整頓されたままで車に乗ってないことがわかったそうです。
それをみて、警察の方が詳しく話を聞きたいとのことで加藤さんは警察署へ。
この時もまだ、加藤さんは困ったことと感じていて、大事件とは思わなかったそうです。
警察の方が会社のほうでも事情を聴きに行かれ、IT関連の会社なので防犯カメラが各所にあり、その画像の提供を受けたそうです。
加藤さんは防犯カメラの画像を印刷されたA4の紙を見せられ、これは娘のようだ、しかしこの男性は交際相手の方ではないと話されたそうです。
その場では男性が誰かわからず、月曜日の朝から会社の240人と面通しなどをして、9月20日に退職した住田と判明したそうです。
防犯カメラには加藤さんたちに見せたもののほか、濡れて上半身裸で何度もモップとトレぺをもって出入りする住田が映っていたそうです。
警察が住田の実家へ向かい、会社の中も捜索が始まりますが、加藤さんご夫婦は毎日不安で過ごしていたそうです。警察の方たちが一日に何回も訪問して声をかけ、電話に録音機をつけてくれたりしたそうです。
会社から血液の反応が出て、ご夫婦もDNA検査をして、血液が娘さんのものとわかったそうです。
娘さんが連れ去られて、けがもしている、不安で仕方がない。なのに何もしてやることもできず、新しい情報も来ない。この時間が自分の無力感や申し訳なさも感じ大変つらいもの、情報もなく何もできない時間が一番のつらい記憶ととなっているそうです。
(多くの犯罪被害者・被害者家族の方たちが、この、情報を得られずにいる時間、自分たちが何も対応ができない時間が重い苦痛の時間となり、長くにわたってトラウマとなりのちの人生の行動にも影響するようになることをこれまでのいろいろな方々の講演でうかがってきました。)
ご夫婦はご飯も食べれず、涙も止まらず、自分の無力さに打ちひしがれていたそうで、コンサルの仕事先でも落ち着かずに早退してしまうことが続いたそうです。
(誰でも心的外傷時の対応を勉強も経験もしていないので、みんな通常のことをしようとして混乱したり、逆に動転して大変なことになることも良くあります)
ほとんど記憶がない7日間が過ぎ、いつもと雰囲気が違う感じで警察の方たちが夜8時過ぎに訪問されたそうです。
かなしいお話をしなければなりません、と警察の課長さん以下が訪問され、娘さんについて話されたそうです。
金曜日の18時30分から19時30分、娘さんは倉庫で殺害され、大阪の実家近くのガレージで解体されて遺棄されたという事実を告げられて、奥様は泣き崩れ加藤さんも窒息するかのように何も話せず涙だけが流れたそうです。
警察の方たちにお礼を言って帰っていただき、息子さんに連絡。朝まで無言で空白の時間が過ぎたそうです。
朝になるとベルが何回となく鳴り、近所の人たちにも報道陣が話を聞いていたそうです。
加藤さんたちは4~5日家から出られずに、午前3時ごろコンビニで食事を買いに行かれたそうです。
テレに等の報道で解体された遺体が4か所に遺棄されたこと、画像に娘さんの服の一部が映ったのも確認されたそうです。
犯人の住田は退職届に不備があり手続きに来た、とみささんに案内を頼み、倉庫で犯行に及んだそうです。意識を失うほど殴り、強姦。意識が戻ったみささんが住田に誰にも言わないから家に帰してと懇願するも、住田は帰すと自分が死刑になるからなどと言ってナイフで数回刺し、それでも死なないとみて動脈を切断して、瞳が閉じるの確認したそうです。
加藤さんやご家族も発見までの時間が本当に苦しかったとお話しされました。
娘さんがなくなるときにどんな思いだったか、もしかしたら助けてお父さんと言ったかもしれない。
父として救えなかった気持ち、平凡でも結婚させたあげたかった。優しい彼氏さんへ死の間際に詫びたかもしれない。
神仏が許しても絶対許さないと、目の前に来たら殺す、悔いはないという気持ちになられたそうです。
裁判が始まるまで、1年4か月、その間いろいろな思いになられたそうですが、検事さんに、「話すことができなくなった娘さんの代わりに、あなたが戦うんですよ」と励まされ奮起されたそうです。
裁判の仕組みの勉強から始め、関連する小説やルポ、裁判記録を読み、相手方も精神鑑定を言ってくるだろうからと医学書もいろいろ読みこんでいたそうです。これは戦いで、病名まで知っておきたい、万全を期すとの思いで行動されていたそうです。
裁判で戦う相手として、犯人側だけでなく、永山判決がもう一つの敵と考えられていたそうです。
(過去の最高裁判決から「一般的には被害者数が1人なら無期懲役以下、3人なら死刑。2人がボーダーライン」という基準が形成された。※ 犯罪の性質・犯行の動機・犯行態様(特に殺害方法の執拗性、残虐性)・結果の重大性(特に殺害された被害者の数)・遺族の被害感情・社会的影響・犯人の年齢・前科・犯行後の情状。)
そんな9つの要件でのみ人を裁くならAIが裁判をすればいいと、今でもそれがばかげたことだと考えられているそうです。
裁判官は、より高い知能と感受性と判断力が裁判には必要と話されました。
この基準のせいでどれだけの被害者・被害者家族が悔しい思いをしてきたか、国家公務員の病として上を見て最高裁に逆らわない判決をしてきた経緯があるそうです。
加藤さん側の弁護士さんも無期懲役だろうとと言っていたそうですが、加藤さんは死刑にしたい、出てくるなら非合法な手段でも殺してやるつもりだったそうです。
30年で出所するとして、住田は60歳自分は90歳などのことも考えられていたそうです。
気持ちとしては最低でも死刑にして、本当は自分の手で苦しめてから殺したいと思われていたそうです。

裁判員裁判で、初犯のケースでしたが、判決は死刑。
加藤さんとしては当然と思われているそうです。
(裁判員裁判で死刑になるには裁判官3人裁判員6人中、1人以上の裁判官含み5人の評決が必要。裁判官3人が反対したら死刑になりません。)
弁護側が即時控訴したそうですが、住田自身が取り下げたそうです。
住田はまったく反省しない態度で、公判開始までずっと一言のお詫びもなかったそうです。

2週間後、警察からご遺体を預かっていますとの連絡があり、息子さんと引き取りに行かれたそうです。 
安置所で50㎝角の発泡スチロールに入っているどす黒い肉片。持ち上げたときの重さが今も残っているそうです。赤ちゃんだった時よりも軽いと思われたそうです。
その時も、なぜ、という思いや身代わりになりたかったとも思われたそうです。
ご葬儀は奥様が密葬ではなく普通の葬儀にしたい、悪いことをしていないみさの人生の最後だからと言われて、普通のご葬儀にされたそうです。棺も小さなものでなく大人用の大きさ、冬物の衣装や結婚用の着物、春秋の服も納められたそうです。私服の警官がマスコミを排除するなど配慮を受けたそうです。
東京大阪から九州まで、650人の参列でSNSの力を感じると話されました。中学高校などのみささんの同級生の方たちもメッセージを書かれたそうです。

日本の裁判制度や行政の被害者支援についても考えを話されました。
刑の執行まで死刑囚は自由で、安らかに暮らせる。
娘は安らかに死んだだろうか。我々被害者含む国民の税金で優遇する必要があるのか。
死刑囚に被害者家族は面会もさせてもらえない。死刑囚の両親と別件ある場合の弁護士のみだそうです。
例外は拘置所の所長の判断で月に二回、囚人が心を乱さないような場合のみだそうです。
月に二回でも面会して娘のことを伝えたかった、人の心あれば、人の心に帰るなら反省して死ぬだろうと思っていたそうです。今のような刑務所では反省しないし誰も救われないと。
ある時、友人から「お嬢さんは復讐を望んでいただろうか」と言われて、加藤さんはそんなことを思う娘ではないと感じられ、住田について自分がそちらにエネルギーをかけるのは間違っていると考えられたそうです。
その後、あすの会という全国犯罪被害者の会に参加されいろんな被害者家族とお話をされたそうです。我々は加害者によって終わりのない終身刑に落とされたとも話されました。
娘さんのお墓に毎日、暑い日は日に3回もお花が枯れないようお供えを続けられているそうです。
被害者や被害者家族の権利を守り法律を変える運動や啓発のための講演活動も積極的に動かれています。
奥様が望むことはすべて叶える・自分と奥様のご家族を障害面倒を見る・犯罪被害者や家族を支援する基金を作る活動の三つを亡くなられた娘さんとの約束と考えられて活動されているそうです。
自分の意識がある間、85歳くらいまでは一人でも多くの方を救いたいと話されました。
賠償請求の問題にも触れられ、裁判で賠償が確定しても二年三年で行方をくらます加害者、被害者側は強制的に捜索することもできない。また、確定しても10年経過したらまた請求手続きが必要になるなど、被害者に負担の多い現状。欧米はまず国が立て替えて被害者へ賠償し、その後国が加害者に請求する仕組みだそうです。父親を殺されたが家のローンが残る、新築の家で家族が殺されて住むことができないなどを救済する法律が現在はないそうです。
娘さんが27歳で亡くなって、もし60歳まで働いたと仮定して、しかし被害者救済金の額は450万円。そして申請から給付まで6.8か月。
被害者の方は犯罪の影響で仕事ができなくなったりして、あした食べるものがない場合もあります。
加藤さんは被害者や個族への支援基金を作る活動もされていますが、行政や法律の不備であったり、ルールを守りすぎルールに縛られすぎと感じることも多いそうです。
事件の被害者に給付されている支援のお金が20~30億円、加害者を刑務所で養っている費用が600億円。これには刑務官の給与などは入っていません。被害者の20と加害者の600を足して、半分にして被害者へ給付してほしい。加害者は働いてほしい。刑務所の方にも道路工事などをしていただいて、日給1万円などで自分の衣食の費用にしてほしいと話されました。

様々な事件の加害者へは真実を話して心から反省して詫びを示してほしい。
加害者弁護士へは裁判で刑を減じて出所して再犯しても知らぬ顔でいるのではなく、責任をもって仕事をしてほしい。
マスコミに対しては事実の報道をしてほしい、娘さんの件で加害者の行為のすべてを報道してと依頼したが、NHK倫理規定によって強姦の罪が省かれて報道されたことがある。
裁判官に対しては公務員は常に上を意識して行動することや二年程度で担当が人事異動してしまうことをやめてほしい、専門が育たないし人として判断ができる裁判官になってほしい。加藤さんはこれらのことを話されました。

また、犯罪を生まない社会づくりについても、アメリカのデータから病気や親からの遺伝などは変えられないが、幼少期の虐待や被害経験を減らすことで犯罪の発生を減らすことができるのではと話されました。
小中学校の先生に言いたいこととして、困窮家庭やシングル家庭の子どもがいじめられているときに先生たちが知らなかったと責任逃れをするが、知らないわけがない、加藤さんが学校へ講演などで訪問した一回の授業でも子どもたちの状況は感じることができると話されました。校長がいじめはなかったといった後で、教育委員会などからの影響で撤回する、そういったことをなくしてほしい。
学校は人間を成長させるところではないですか?。勉強はできる子はほおっておいても進んでやる。先生は親代わり、シングルの親も多いです、いじめを叱っているか見えてこない。生徒と向き合う時間が増えないと、犯罪は減らないと考えられているそうです。

再犯が減らない、被害者を含む税金を使って楽に刑務所で生活している。刑務所で反省しないし職も手につかないのでまた犯罪をする仕組みを変えてほしいと話されました。

最後に、人を助けるということは大げさなことではなく、自分にできる範囲のことを悔いを残さないように、ほんのちょっとの勇気をもってやってほしい、そう話されて締めくくられました。

【第2部】
◎佐賀県警察音楽隊演奏
大河ドラマの曲や上を向いて歩こうのジャズアレンジなど素晴らしい演奏でした。
(※ どうも演奏指揮者の方の動作を見ながら、小学校だったか中学校だったか、下村大和先生の大きな身振りの指揮や「腹で作って頭から出す、ア♪ーーー!」といったご指導を思い出していました。当時の金管バンドや鼓笛隊が演奏していた風景を思い出したり、演奏でボリュームが小さい時ほど技術が必要なこと、合奏のメリハリは合同練習量がそのまま反映される、乃木坂のダンスでも動と静のメリハリや間の感覚は練習量が必要だな、などと行ったことを考えておりました。)

最後にVOISSの田口香津子先生が終わりのあいさつをされました。

(※ いつも被害者家族の方や当事者の方がお話しされるとき、当時の記憶を今見ているかのように思い出されながら涙を流してお話されているのを拝見します。今回も加藤さんもそうでした。
犯罪や虐待、DVや事故などの被害を受けた方は、そのことを思い出すフラッシュバックの症状もあります。10年20年たっても、不意に思い出して当時の怖さや痛みも今受けているように思い出し、震えたり動悸がしたり涙を流し、行動ができなくなる状態になってしまうこともあります。
そういったことを体験されている方たちも社会にはいらっしゃることを心にとめて置いてほしいです。)



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