死生観を養う#1 「ウチら棺桶までの永遠のランウェイ」

「あなたはがんであと余命3ヶ月でしょう」と告げられる。

え、まさか自分が?本当に死ぬのか,,,?嘘だ、なんで俺に限って!なんでもこの状態を抜けるためならやってやる。ああ、くそ、そうか死ぬのか。

俺は死ぬんだ。。。

こんないくつかの段階があるらしい。デカセクシス(decathexis)というので気になる人はググりゃんせ。

なぜ僕らは死にたくないんだろう。
大きく分ければ後悔と喪失か。
あれを、これをやらなかった。あのときああすれば。もっとああしたかった。ちゃんと伝えれば。
今持っているものを手放すのがおしい。まだまだ私の人生これからなのに。

ではどう向き合うのがよいだろう?

よく言われる考え方の一つに「今を生きる」ということではないか。

有名な実業家の堀江貴文氏が「未来を恐れず過去に執着せず今を生きろ」という言葉を残している。彼の日々物議を醸し出す行動への賛否はさておき、至言だろう。

けど、納得すると同時にじゃあ今を生きるとはなんぞや?という次の疑問が湧いてくる。もう少し現実に即していく必要がある。

ケミオさん著「ウチら棺桶まで永遠のランウェイ」これがしっくりくる。

ランウェイはファッションショーなどでバチバチに決めたモデルが道上にのびたステージを練り歩く場所。

最高に集中し、まさしく世界の主役の様な数十秒だろう。
その瞬間は過去の厳しい準備も、1分先の終わった後のことも考えず、今、ここにのみ意識がある。

ケミオさんのタイトルを意訳すると、自分の人生を生きて、死ぬまで自分らしくあれというメッセージだろう。

棺桶に入ることも決して悲観的にとらえていることではない。
仮に交通事故で今日死ぬとしてもその瞬間までランウェイを歩き切ったということに後悔はないのだろう。

おっさんになっても、じいさんになっても、もうろくしてもランウェイは続いていく。今の自分を最大限輝かせるように。





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