生活者としての矜持

おばんです。
結構職業柄学生さんのインタビューを受けることが多いもので、これからのラッシュは少し憂鬱な時期です。

ただ、インタビューは必ずしも無為なわけではなく、自分が深層的に考えていることを言語化してくれたりもします。

ここで暮らすもの・活動するものへ、そうではない者が、より文献・デスクトップリサーチでは足りない情報を補うために話を聞く。

そこで聞かれる側は答えるわけで、あるが、なんか自分でも思ってもいない深層的なことが喋るに紡がれてくることがある。

そんな営みである。

年に50回ぐらいは人前でしゃべることがある。(多分)

そこで、自分の最近の気づきはポジショントーク的な部分を抜きにしてここでの活動を肯定したいし、矜持も持っているのだということ。

移住をするとか、環境を変えることは「前の環境よりもよりベターな何某かを得られると期待して」行われることがもっぱら。(一部会社でお勤めの方が転勤の辞令が出ることもあるだろうが)

そういう意味で、僕は面白くなるだろうな〜という土地と、これから世間で色々と広がりが出るだろうな〜という職種を掛け算し、修行しようというスタンスだった。

とりあえず2年いて、あとはそん時考えるべ。ぐらいの軽いノリだった。
それが気づけば4年目になるのだ。

面白い人がやってきて、面白い(適度にハードな)仕事の機会にもありつけるというのが、一番の面白み。

そんで、この地を自分も作っているのだという当事者意識や、外から見たFUKUSHIMAというものへの見方を作る一員なのだという矜持も持ち始めている。

最近のホットトピックである処理水とかの話も、いろんな立場、主張があるのだが、必要以上に恐れず、軽んじず、サイエンスをして粛々とこの地で生きるという、濁りなき信念も。

ここに気づきを得たのが、最近の良かったこと。

そんな、浜通りの民のぼやきである。

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