縁?

 先日、ありがたいお話をいただく。
 同時に、そんな話をいただけると思わず、その件についてはもう自分から遠い話だと思っていた。だから、その時の記録を探すのに手まどい、いくつかは捨ててしまっていたようだ。もちろん、その領域について研鑽を積んだり実績を残したりしたとは言い難い。

 そう簡単に、自分を見捨ててはいけない。


 今日、ほんのちょっとだが、間接的にありがたい言葉をいただく。
 無論、それがどの程度のことなのかは、自分に推し量ることはできない。同時に別の人からその正反対の評価もされているような気もしないでもないので、直接言われたわけでもないことをあまり気にしてはいけない気もする。

 それでも、その言葉自体は有り難く受け取るべきだろう。


 年を重ねるにつれ、自分の器の限界みたいなものを強く意識せざるを得ず、そのせいで何を得るかより何を捨てるかをこそ真面目に考えないと、生きていけない時期に入ってしまっている。
 けれども、この後に及んで、こうやって自分のことを覚えてくれていたり、何かありがたいお話やお言葉をいただけると知ると、そう簡単に捨ててはいけない気もしてくる。

 ここ数日、思い出したくない記憶を思い出しては現実に戻れないという時間を過ごしてきた。それは本当にもう思い出したくなくて、どうか思い出すきっかけにこれ以上出くわすことがないようにと祈らずにいられない。今日はちょっとした救いの手が差し伸べられるかと期待したが、それは残念ながら果たされなかった。
 その一方で、半分以上捨ててしまった自分の一部を、とても有難い形で思い出させてくれることもある。いい意味で後悔に似た気持ちにさせてくれることもある。
 人との繋がりは、未来の自分に何をもたらすのか、本当にわからない。


 もう少ししたら、毎年恒例の、また別の未来の自分に関する出来事がやってくる。去年はそれが遅れたこと(そしてそのほかにもっともっと辛いことがあったこと)で、とてつもなく辛い気分にさせられた。
 今年は少しは上向きになってほしい。

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