毎年恒例のアレ

1

 もう何年も前から、毎年12月は精神的に不安定になる。

 不安定といっても、「持病」というほどのものではなく、薬が必要になるとかいうレベルでもない。あくまで「当社比」というべき程度のものに過ぎない。とはいえ、集中力を欠いたり仕事の能率が悪くなったり、あるいは眠れなくなったり、あまり喜ばしいことではないのは確かだ。
 どうしてこの時期にそういう状態になるのかは、わからない。でも、そういうことが起きるとしたら、春ではなく冬だろうなという気がしないでもなくて、その意味では妙に納得する部分もあるにはある。

 それでも、今年のそれは、ここ数年に比べればそこまで大きな波ではなかったような気もしている。
 それは、例年になく、いい意味での展望がいくつかあったからなのだろうという気がしている。仕事でモチベーションが落ちるような事態が続いても、底を打つようなメンタリティにならずにすんでいるのはそのためだ。


2

 いい意味での展望の一つに、仕事にちょうど隙間ができる時期を狙って、ライブを設定したことがある。ただ、結果として仕事の隙間はあまり大きくならなかったのだけれど。

 ひょんなご縁で行うことになったピアノとのduoだが、ありがたいことに三度目のライブを行うことができた。もう人前で演奏するまいと誓った日から2年が過ぎたが、まさかこんな展開になるとは当初は予想もしなかった。
 もちろん、これは僕の能力や努力の賜物なのでは全くない。単なる偶然の産物であるに過ぎない。だから、たぶん、ずっと続くことはない。

 けれども、その「たぶん、ずっと続くことはない」という距離感が、今の僕にとっては丁度いいのだろうと思う。
 義務感や高い目標や、そういったものから離脱して、ただただ音を出すことに喜びを感じ、それを一緒に演じてくれるひとがいて、ほんの少しだけれども聞いてくれる人がいる。そうした音楽本来の快楽に身を委ねるには、思い切って何かを放り出すくらいの距離感が、僕にとっては決定的に不可欠なのだと思う。
 それは、手を抜いて不真面目にやる、というのとは全く違う。むしろ、真面目にやるためにこそ距離が必要なのだ。辛くなり過ぎないように。

 もちろん、もうほんのちょっとだけ、多くの人に聞いて頂ければなあとも思う。ありがたい共演者と、ありがたい会場に、もう少しお金を落とすことができればとも思う。今回、11月に急に忙しくなったりしたことで、営業活動がままならなかったことは悔いが残っている。
 だから、次もなんとか機会を作りたい。苦しくならないよう、適度に力を抜きながら。たぶん今ならなんとかできるはずだ。

 こんな恵まれた状態、永遠に続くわけがない。いつかは終わる時がくる。続けるために必要なのは、努力ではない。ものごとは僕なんぞの努力で動かせるほど脆弱じゃない。
 心底そう思えることが、今の状態を支えているのだろうとも思う。要するに、分を弁えるということだ。


3

 一方で、精神が不安定になるということは、過去の思い出したくもない記憶が蘇ることでもある。

 思い出したくない記憶は、過去のことではない。それは現在進行形だ。過去になってしまえば思い出しても何も問題は起こらない。思い出したくないのは、それが過去になりきっていないからだ。
 おそらく、そのときに関わった人にとっては、それはもう過去のものになっているのだろう。そして、その記憶に苛まれている僕に対し、まだ過去に囚われているのかと不思議に、あるいは往生際が悪いと思うことだろう。けれども、それこそ「自ら現在を過去にすることができた立場」に立つ人間の傲慢だ。ある意味一方的に現在を変えられた立場の側からすれば、そんなに簡単に過去のことにできるものではない。そもそも自分で決断したことではないのだから。

 そういう形で僕に変化を強いた人が、とても楽しそうしているところを直接間接問わず垣間見ることになれば、僕としてはこう思わざるを得ない。

「人をこういう目に合わせておいて、自分は楽しそうに音楽して、しかも聴衆を楽しませられるとでも思っているんですか。随分といいご身分ですね。」
「かつて言っていたように、今でも僕の音楽に少しでも敬意を払っているのであれば、僕のためにさっさとシーンから消えてくれませんかね。そうしてくれないと僕にとって音楽が不快なものになりかねないんですけど。」

 もちろん、言われるほうにとってみれば理不尽な言い草だろうと思う。だから、当人に向かって直接言うつもりはない。加えていえば、こうした心情に至る自分を100%肯定することもできない。それはやはり、どちらかといえばタチの悪い種類の発想だろうと思う。
 けれども、自分の中にそういう思いがあることを否定することもできない。その思いを消し去ることもできない。消そうとして却って精神的負担が増した事実がある以上、消し去ろうとすることが適切だとも思わない。
 そうだとすれば、その思いが現実に悪影響を及ぼさないように、うまくコントロールするなりやり過ごすなりしなければならない。ときどき、少しずつ吐き出しながら、大きな問題にならないようにしなくてならない。それが今の僕にできるせいぜいであって、それくらいしかできない。


4

 僕は所詮大した人間ではないのだから、欲張ってはいけない。努力すれば何かが成し遂げられると思ってはいけない。
 今のメンタルの下降の中に、ちょっとだけ「こうありたい自分との差異」に由来するものがあるような気がしているのだが、注意しなくてはいけない。こうありたいと思うことを否定してはいけないが、「そうでなくてはいけない」という精神状態になってはいけない。そのような心は、自分の思い通りにならない理由を周りの状況のせいにしてしまいかねない。

 僕は、大した人間ではないのだ。そのことを忘れてはいけない。 


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