後悔先に立たず


 この曲は好きな曲なのだが、聞くとしばしば、悲しい思いがあふれてくる。

 確かクルマの中で、「これ、いつかやろうよ」って言った曲の一つだ。
 この曲を筆頭に、3管のバンドはずっとやりたくて、真っ先に一緒にやりたいと思った人にこれを聞かせたのは何年前だったか。
 その人とであれば、かつて味わったことのある充実した音楽体験を、もう一度違う形で体験できると思っていた。多分、確信に近い思いだったと思う。


 もう10年以上前になるのだろうか。ある二つのバンドに並行して参加していたことがある。その時が自分の音楽体験の頂点だったのかもしれない。レベルはともかくとして、音楽に熱中していて、周囲との関係性も最も濃い時期だったと思う。
 そのうちの一人は、その時までは人生最大の音楽仲間だった。色々なことを語り合い、お互いに信頼し合っていた。少なくとも僕の方ではそう思っていた。

 残念ながら、二つとも今は消滅している。揉めたりしたわけではなく、単にそれぞれの都合の問題と言っていいだろう。その時の仲間とは、ごく少数の例外を除いては今でも交流がある。そういう意味でも、いい時期だった。


 その数年後、その人と出会うことになる。
 色々と話すようになり、音楽的にも人間的にも信頼し合える間柄になった。この人とであれば、かつて自分がその中にいたあの熱さを、もう一度体験できると思った。いや、あの時以上の体験ができるはずだと思っていた。それくらい信頼していた。
 事実、音楽についての会話は止まらなかった。演奏についても、お互いがお互いの演奏を気に入っていたと思う。その人とであれば、本番の演奏はもちろん、リハーサルも終演後も楽しくなると思えた。たとえその日のできがよくなかったとしても、反省ですら率直かつ建設的に、そしてなんのわだかまりも残さずに楽しく行えたと思う。その気になれば朝まで語り尽くせたと思うし、実際そうしたかった。
 きちんと準備して、きちんと話し合って企画すれば、絶対過去最高の音楽体験になると思っていた。

 おそらく、僕がしっかりしていれば、達成できた。
 僕さえしっかりしていれば。


 間の悪いことに、ちょうどその時期の僕は、徐々に自信を失い始めていた。
 音楽的なことだけでなく、さまざまな人間関係の構築や、企画運営そして集客が肩にのしかかっていた頃だった。元々得意分野ではなかったが、それまでは運に恵まれてそのまで意識する必要がなかったことを、一気に自分で引き受けなくてはならなくなっていたのだ。
 しかも、それが自分自身の音楽的力量のせいであると思うようになっていき、負のスパイラルのように自信を失っていった。
 もがいてもなかなかうまく結果に結び付かず、あせったり悩んだりするばかりだった。どこに向かえばいいか、何をすればいいのか、かなり悩んでいた。
 

 結果として、自分で周囲を引っ張っていくだけの余力と自信がなくなっていた。


 その人とは、もっともっと一緒にやりたかった。本当に本当に。
 もちろん、何度か共演させてもらったことはある。セッションでもよく演奏し、一番気の合う演奏者だったと思う。
 自分の仕切りではない複数管編成のバンドでも、何度か共演させてもらった。そのうち、あるところで行われたイベントでの演奏は、大勢のお客さんに聴いていただくことができたこともあり、本当に楽しかった。事情により一度きりになってしまっているが、あれはここ数年で最も楽しかった演奏の一つだ。
 その時のような楽しい演奏を、もう一度その人とやりたかった。あの時の喜びを、もう一度その人と味わいたかった。今度は、自分が企画する側として、できればその人との共同リーダーで、もっと可能なら継続的に、形にしたかった。
 企画からリハーサルまで納得行くまで語り合い、打ち上げで思いっきり喜び合いたかった。そして、感想を朝まで語り合いたかった。一緒に余韻に浸りたかった。
 本当に本当にやりたかった。本当に本当に。

 けれど、それが実現される可能性は、今となっては限りなくゼロに近い。
 いろんなものごとが変わってしまったからだ。


 ここ数ヶ月、ずっと考えている。なぜ自分にはそれができなかったのかと。
 そのことを思い起こすたびに、公衆の往来でも涙があふれそうになる。今日もそうだった。
 時を戻したいと、これほど思ったことはない。


 いろんな運や巡り合わせで、将来その人と共演する機会があったとして、僕が望んだような、そういうエネルギーに満ちた音楽を体験することはできるだろうか。難しいのではないかと思っている。いろんなものごとが変わってしまったから。
 それでも、今の僕には、その人以外、僕が期待する音楽を共にできる人は見当たらない。それは単に音楽家としての技量や方向性の問題にとどまらない、人間としての問題でもあるからだ。

 今の僕には、微かな可能性に期待する以外に進むべき道は見つけられない。
 過去ばかり見ているようだけれど、自分にとってはそれは過去でもなんでもない。今なお現在進行形の現実なのだ。
 その夢ですらないかもしれない夢を描きながら、僕は今日も修行を続ける。


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