たった2〜3時間でいろんなことを思わざるを得ない日

1

 今年に入って、喪が明けたように立て続けに復活したビッグバンドからオファーをいただき、演奏する機会に恵まれた。ありがたいことなのだけれど、すっげえキツい譜面を吹くことに。特に直近のライブはまじきつかった。
 その結果、唇の調子を完全に崩してしまった。本番から3週間経ってもいまだに以前の吹き方を思い出すことができない。リハの段階からわかっていたことだが、あのステージは、主に唇的な意味で僕のキャパシティーを完全に超えていた。耐久力を上げるためにできるだけのことをしたつもりでいたが、そのことがかえって仇となってしまったのかもしれない。
 僕は多分、もうセクションアンサンブルとか吹いてはいけない人間なのだろうと思う。年をとるいうのはそういうことなのかもしれない。

 できないことを努力してやろうとすることは、関係者に迷惑をかけるどころか、自分を損なって終わりを迎えることになる。いいことなど何もない。自分自身の容量の限界は弁えておくべきだし、自分を守るために言うべきことは言うべきなのだ。わかっていたはずなのだけれど。


 ものすごく久しぶりにセッションに行って、今の調子を確かめようと試みた。カラオケ屋での練習でひどい状態なのは確認しているのだけれど、実際に人と合わせるとどんな感じなのか知りたかった。
 結果として、やはりフィジカル面ではひどい調子だということが確認できた。フレージングなどのダメさ加減は、久しぶりだったのでという言い訳もできるが、フィジカル面というか耐久性に関しては完全にアウト。ハードワークによって崩された調子はいまだに戻る気配がない。

 まったく、どうしたもんかね。しばらく練習するのをやめるしかないのかな。


2

 それにしても、ああいう場での「指導」じみた会話って、一体何なんだろうって思う。いや、言っていることそれ自体は何も間違ったことではないのだけれど。

 セッションでやたらとダメ出ししたり説教したりする人がいるというのは、よく聞く話でありたまに見かける光景。一般的には、セッションで説教したがるのは「おっさん」と相場が決まっていて、その「おっさん」的な指導や説教のあり方にこそ問題があるのだと思っていた。だが、今回はそういうものではなかった。
 とはいえ、明確な「指導」的なニュアンスが、より強く出ていた。言っている内容に問題があったわけではなく、むしろ言われた側にとって必要なことであり有益だったかもしれないとは思う。けれど、演奏中にそういう指摘を行うのに至っては、さすがにやりすぎではないかという気もした。何の資格があってのその発言なんだろうと思ってしまう。

 多分に偏見の要素も混じっているが、ジャズ好きな人——いや、ジャズに限らずさまざまな音楽ジャンル、さらには音楽に限らずにあらゆる領域——によく見られるこだわりは、その表現の仕方やタイミング次第では、ものすごく排他的な印象を与えてしまうように思っている。強調しておきたいが、そういった発言の内容そのものには、同意や共感できることが多い。ただそういう場にいると、共感をおぼえるより先に違和感が先にきてしまうのだ。
 もちろん、顔見知りで気心知れた仲だからこそできることなのかも知れない。だから、たまたま僕が見かけたそのありようだけで、そこで見かけた現象の全てを判断してしまうわけにはいかない。
 けれども、その後の会話などから、どうしても釈然としない思いが残る。そのいい意味でのこだわりの強さと表裏の関係にある、ある種の排他性や選民思想のようなものを、一体どのように捉えているのだろうか。共感できる部分も多分にあるからこそ、それは不思議でならない。


 このあたりのことは、近年いろいろ考えることがある。
 いや、僕がジャズだの音楽だのの領域について、その行く先を憂慮するとか、そんな大仰なことを言うつもりはない。そもそも、僕はそんな立ち位置にいるわけではない。ついでに言えば、その場で自分の考えを述べて言い争いに発展させるつもりもない。
 それでも、いろいろ考えることがある。「こだわり」とは一体何なのか、ということを。


3

 それとは全く別に、思うことがあった。
 こちらは完全に個人的な問題でしかない。


 これは完全な思い込みですが、僕は「ああ、この人は相変わらず大した技量はないんだな、全然成長してないんだな」と思われたと、そう思っています。
 なぜそのような卑屈な感情を抱くのか。それは、自分が音楽的な意味でも人間的な意味でも、全く成長した実感などないからです。それどころか、かつてに比べていろいろなことができなくなっているとさえ思っています。
 加えて、僕を否定した人間が、僕の成長を認めたり肯定的に捉えたりするだろうとは、これっぽっちも思っていないからです。たとえ言葉の上では誉めてくれたり認めてくれたり、そういうことがあったとしても、それを額面通りに受け取ることはできないでしょう。理由は単純、あなたがかつて僕を完膚なきまでに否定したからです。僕を否定した人間の言葉を、どうして信じることができるというのでしょうか。

 僕は完璧にはほど遠い人間です。欠点を挙げれば数限りなく挙げることができるでしょう。ですが、その欠点を「改める」ことは、もはや極めて難しいとも思っています。それは、他者に迷惑をかけない程度に、うまく付き合っていくしかないものです。
 努力しないという意味ではありません。努力とは、自分にはどうしようもない欠点を改めるために行われるものではなく、自分にできることをより高めるために行われるものだと思っています。僕は大昔、自分の社会人としての将来に期待が持てなくなった時に、そのように決めました。
 だから、もう無理をするつもりはありません。自分のキャパシティを超える負荷は、自分を壊してしまうのです。ちょうど今、僕がとってもキツいライブを終えたことで、奏者としての調子が完全に狂ってしまったように。

 無理するつもりはないので、好意や評価を意図的に押し下げるつもりもありません。ですが同時に、無理するつもりもないので、恨みや憎しみを打ち消そうとするつもりもありません。ただ、その場に不適切な言動を控えようと思うだけです。

 ただまあ、本音を言わせてもらえるならば、
 僕のいるところには2度と現れないでいただきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?