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フルトヴェングラーの音楽を貫くもの

 この頃はよくクラシックを聴いている。特にフルトヴェングラーのベートーヴェンを。バイロイトの第九をはじめ、1947年に演奏活動を再開した際の交響曲第五番「運命」などには言葉にならないほどの感動を覚えるし、久しぶりに音楽を聴く喜びというものを心の底から感じる思いがする。僕はこれまでビートルズやボブ・ディランなどのロックを中心に聴いてきたけれど、フルトヴェングラーの音楽には、ロック以上にロックなものを感じる。録音は古いけれども、そんなことは大した問題ではない。
 フルトヴェングラーは、「すべて『新しいもの』についていえることですが、真に偉大なものが新しかったためしはありません」と手紙に書き残している(『フルトヴェングラーの手紙』フランク・ティース 編 仙北谷晃一 訳 白水社刊)。進歩主義や未来信仰の時代のなかにあって、フルトヴェングラーの眼差しは常に過去へと、ものごとの本質へと向けられていた。彼が生涯をかけて希求し続けたものは、普遍的な真理そのものだったのだ。
 まったく揺らぐことのない、その堂々たる信念。フルトヴェングラーの音楽を貫いているのは、「命よりも大事なものがある」という彼の強い意志だ。
 第二次大戦中、ナチスに命を狙われながらも、フルトヴェングラーは祖国ドイツを終戦ぎりぎりまで離れなかった。そのことが後に、トーマス・マンなどから、「ナチスに協力した」と批判を受ける理由にもなるのだが、そこにあったのは自分は祖国とともにあるという、フルトヴェングラーの国を愛する強い思いだったはずだ。
 街は爆撃を受け、彼もオーケストラの団員も常に死と隣り合わせだったが、彼らは敗戦間際まで演奏することを決して止めなかった。1944年に録音された、フルトヴェングラー指揮のベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」、通称「ウラニアのエロイカ」は、そんな彼らが残した壮絶な名演として知られている。死の現実を前にしても、なお揺るがなかった彼らの勇気と音楽に対する情熱に心から感動する。
 コロナによって世界がたじろぎ、社会不安に覆われている今だからこそ、フルトヴェングラーの信念が強く胸を打つ。生きるとは、こういうことではないのか。


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