"選ぶ" ということは同時に"選ばれる"ということ。
選ぶ立場に慣れてしまうと忘れてしまいそうになるが、選ぶということは選ばれる立場でもあると当たり前なことを反芻する最近の日々。
デザイナーとして仕事をしていると否が応でも選ばなければいけないシーンが多い。数多ある選択肢や様々な人の意思から「foufouとしての」最善の一手を選び続ける。
foufouの規模も大きくなってきて、色々な方から「よければお願いします」と頭を下げてもらうことだってある。(そんな態度をとっているわけではないよ)
その度に、確かに僕らが「選ぶ側」かもしれないがこれは鏡になっていて「選ばれる側」でもあるんだなといつも思う。
例えば、最近事務所内に職人の弟子を育てるアトリエができた。
このアトリエには現在3名のお弟子さんたちがいて、日々切磋琢磨しながら技術者を目指している(数ヶ月後には5人になるらしい)
その訓練の一つに「ブランドが仮縫いチェックで使う仮縫いトワルを制作する」という課題がある。
(madder madder の仮縫いチェックの様子 左:パタンナー冬頭氏、右:madder madder デザイナー佐々木氏)
それも「teshioniのブランドの仮縫いトワルを3人が作成し、デザイナーがその中でイメージに合った物を選ぶ」という課題だ。
その時にデザイナーは意思を持って彼らの仕事をジャッジし、選ぶ。
当然、選ばれなかった作品も存在する。
ここでも僕らデザイナーは選ぶ立場ではあるが、同時に「職人から選ばれるデザイナー(ブランド)」でないといけない。今でこそ課題として制作してくれているが、彼らが一人前の職人になった時に彼らにとって「このブランドの制作をしたい」と思われるかどうかでありそのために価値を高め魅了し続けなければいけない
思えば商売とはそもそも「選ばれるかどうか」の連続だ。
今の時代、「質のいいもの」はたくさんあるのかもしれない。数多ある「素敵な服」の中から「選ばれる」ために価値を高める。なるべく誇張しすぎず正直に伝え続ける。
つまりお客さんに選ばれるには、その前に一緒に仕事をする方々を惹きつけ「選ばれ」なければいけない。
もっと言えば、一緒に仕事をする方々に選ばれないのであればお客さんにも選ばれるわけはなく、答えはシンプル単純明快なのかもしれない。(厳しい世界、、!)
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