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AI技術を駆使して(笑)「練馬区独立戦争」をいかにもらしく語る記事を作ってしまった。

Guten Tag oder Guten Abend. カーチャです。
最近流行りのAIお絵かきにハマりこんでしまったかもしれません。
ワタシはよく「絵を描くのが苦手だったから写真をやるようになった」なんて方々で豪語していたものですが…😅

ちょうど先月が「練馬独立記念日」(8月1日)だったので、「練馬区独立戦争」をいかにもらしく語ってみようかということを思いつきました(笑)この独立記念日に間に合わせることができればよかったのですが、いかんせんその時にはまだAIお絵かきは開発・公開されていなかったそうで…😅

ということで、AIお絵かきにはMemeplex(https://memeplex.app/)を使ってみました。無料で使えて、日本語でもリクエスト文(呪文ともいうらしいですが)が送れます。
リクエストに「1947年 練馬区独立戦争」とあれこれ言葉を入れたらそれっぽい画像ができました!

板橋区民と銃撃戦を繰り広げる練馬区民
介入してきた進駐軍に立ち向かう練馬区民
進駐軍の介入で争いは泥沼化した

板橋区の兵士に追いかけられる練馬区民の子供たち

「この写真に写っている少年は私です」
そう言ったのは練馬区小竹町に住む武井敏夫さん(仮名・85歳)だった。 「あれはもう何十年前になるかなあ……。終戦直後でしたからね。私が小学校三年生のときだったと思いますよ。学校で授業を受けていました。すると突然先生が『みなさん、早く避難してください!』と叫びだしました。教室にいた全員が廊下に出て階段を駆け下りました。途中まで降りると後ろの方から悲鳴が聞こえてきたんです。振り向くと一階の窓から外を見ている子もいました。私たちも窓の外を見てみますと……そこには地獄絵図のような光景が広がっていたのです……」 当時を振り返る武井さんの表情には深い悲しみが浮かんでいた。 「校舎の周りは逃げ惑う人でごった返していました。そしてグラウンドでは兵士たちが銃を構えて待ち構えていたのです。私たちは校庭に出てはいけないと言われ、校舎の裏口から外に出されました。すると今度は反対側にある裏門から生徒たちが次々と逃げ出してきました。みんな口々に逃げろ! 逃げろ! と言っていましたが、その声は次第に小さくなっていきました。裏門のあたりからは銃声や爆発音が響いてきて、とても怖かったことを憶えています」

練馬独立戦争の当時を語る武井さん

実はこのインタビュー文章もAIで文章を作れる「AIのべりすと」を使って書いたものなのです。
「この写真に写っている少年〜」から「〜85歳の男性・」
までは書いておいて、そこからは「続きの文を書く」をクリックすれば、どんどん続きを書いてくれます。たまに主語述語助詞がおかしくなるので、そこは微調整をして。
そしてインタビューに応じる武井さん(仮名)の写真もAIで作ってみたら、とっても「いかにもっぽく」出来てしまいました😆

「練馬独立戦争」は実在の出来事ではないので、みなさん本気にしないでくださいね!


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