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写真家の伝えることが異なるとき

以前と言ってることが違う、あの写真家はこういっていたけど…等、ついそう思ってしまうことはあります。でもそう思ったときには、このように考えてみることが大事だと思うのです。

こんにちは。写真の先生してます、大野朋美です。

何かを学んで成長していく過程を、しばしば螺旋階段を上っていくイメージに例えたりしますよね。堂々巡りしているように思えても、じつは以前よりも高いレベルで問題にぶつかっているという意味です。

じゃあ導く側はどうするのか。これは螺旋階段ではなくビルの外に付いてる非常階段をイメージしていただきたいのですが、導く相手の状況を外から見て、時には右へ行くようにと言い、また時には左だと伝えるのです。それは結果として、以前と違うことを言っているように聞こえるでしょう。

私の経験を交えてお話します。私の講師業がスタートしたのは「おさんぽフォト」でした。これは今も撮影会として毎月、全国のどこかで開催しています。始めたきっかけは、ある知人から写真教室を開いてほしいという依頼を受けてのことでした。プロのカメラマンなのだから、素人に写真を教えることはできるだろうと考えられたようです。

その第1回目の開催時に、私は参加者の皆さんにこう伝えました。「写真は自由に撮ればいいのですよ。」と。

写真は自由だ。これって多くの写真家も同じ考えだと思います。実際なんどもこの言葉を耳にしてきましたから。

でもだからといって、いきなりこの言葉を聞かされたら、初心者である参加者は戸惑います。今でも「写真は自由」という考えは根底にありますが、だからといって自由に撮ればいいと教えるのはどうも不味いぞというのは、経験から段々と分かってきました。ちなみに、じゃあこのときいったい何を教えていたのかと言うと、参加者の質問に答えることがほとんどでした。

あれから10年が経ちましたが、今はガッツリ、写真塾の初級、中級、上級コース、さらにゼミコースも持って教えています。そして初級コースにある方には、このように撮るとよいと、ハッキリと伝えることが多いです。ですが撮影の基礎やあらゆる定石を学んできた上級以上の方になら、こんどこそ「写真は自由だ」、「自分がいいと思うなら好きに撮ればいい」と伝えています。

以前と言ってることが違う、あの写真家はこういっていた…等、ついそう思ってしまうことはあります。でもそう思ったときに、その人が誰に向けて言っているのか、何を前提にそのように言っているのかを考えてみることが大事だと思うのです。私は「おさんぽフォト」で人に教えるというきっかけがあったので、このこと気づくことができました。


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