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わざとダサい詞を書いて自分で酷評する会

 没歌詞ファイルの奥底から、”つまらない歌詞”として昔わざと書いたものが出て来たので、自分で酷評します。作詞する時に普段何考えてるか可視化できるのでは? と思ってのことです。今すぐ抹消したくてたまらないほど気持ち悪いですが、ギリギリ踏みとどまっています。

自分のものに対してなのでほぼ罵倒です。「え……怖……」と思った方は見ないことをおすすめします。
また、酷評の内容は「自分の場合・この場面なら」で書いているので、何か反論したいと思った時点であなたの思ってることが正解です。気にしないでください。


<歌詞>

長い長い時を経て
夜空の光が変わっても
あの日々のきらめきは
きっとずっとここにある
いつまでもどこまでも 僕ら 歩いて行く
小さな手のひらに 幸せを握って
なくすことのないように ぎゅっと固く
果てしない空の向こうを目指して


<批評>

① メッセージが一般的過ぎてどこにも刺さらない
・ああ、「人生は輝いてる」系ね。もうわかったから全部読まなくていいや
・行きずりの音楽に一般論を語られて感慨を抱くほどみんな暇じゃない
・啓蒙要素を無理に盛り込もうとしてませんか。
 そんな付け焼刃で他人を啓蒙しようなんて傲慢とは思いませんか。
・「ありきたりだけど自分の口から語りたかった」とかじゃなくて、
 無難な綺麗ごとで余白を埋めてるだけですよね?
・「音楽にメッセージ性は必須じゃない」? それはそうですね。
 で、メッセージ性以外のどんなところが気に入ってるんですか?
 まさかテキトーな言葉を並べただけじゃないですよね?

② 表現が凡庸過ぎて記憶に残らない
・モチーフが凡庸だし統一感も無い。適当に綺麗なものを集めただけで、描きたいものが無いのがバレバレ。アホの料理。カレーハンバーグチャーハン。
・「夜空の光が変わっても」で若干のドヤ感だけ残して全てが終わった。しかもこれも大して面白くないし 意味も分かりにくいし
・「きっとずっと」を言った後に「いつまでもどこまでも」「果てしない」を言う意味がない もう見た 知ってる 時間の無駄
・手のひらは握る→握るならぎゅっと→ぎゅっとしたら固い。普通のことに意味もなく何コマも使うな
・言わなくても分かることを書いた文字数で、もっと新しい情報を出せた

③筆者本人に情景のイメージがない
・どこで何してる情景なのか軽く図解してみろ。描けるか?
 例え描けたとして、視聴者も同じ絵が描けるか?
・「歩いて行く」「空の向こうを目指して」……これがつまり何の比喩で何のイメージか説明できるか? 他人の表現を脳死で借りるな
・「手のひら」に「小さい」とつけたのも何となくだろ 自分で納得していないのにとりあえずで小綺麗な表現を使うな
・自分に無いイメージが視聴者にはあるとでも?

④自分に心当たりがないことで他人を感動させようとしていてキモい
・「あの日々」って貴方にとっていつのことですか?
・「経験したことしか書けないなんて道理はない」? そうですね。
 で、「あの日々」って何ですか? 具体的な体験談はなくても、
 意味合いとか、位置づけくらいないんですか?
・「きっとずっとここにある」と言える根拠は?
 無いですよね。ノリで感じの良いこと言ってるだけですよね
・そのメッセージ、自分に刺さる?
・自分も感動できないのに誰に向けて書いてるんですか
・「僕ら」って誰だよ お前でもないのに

⑤その他の所感
・どう受け取られたいかが明け透け過ぎる。国語の課題か?
・テーマに興味を持てないので直す気も起きない 捨てよう
・書きたいことがないのに無理やり作った感が滲み出ている
・記憶に残らないことが目的であれば成功しているかもしれない
・メッセージに実感も根拠も無くて腹が立つ。無責任な。
 こんな空虚な感動がまかり通るなら、それは最早
 新手のポルノか暴力じゃないだろうか。


結論、何を考えて作詞しているか

以上の酷評から浮かび上がった、私が作詞の際に考えていることをまとめる。

1.自分が気に入っていないものを安直に盛り込まない
 愛着の湧かないメッセージや演出は、極力入れたくない。自分が良いと思わないものを誰が良いと思うのかよく分からないし、仮に気に入ってくれる人が居ても、虚しくなるのでやめた方が良い。自分のファンをリスペクトできない創作者になりかねない。全員不幸になる。

2.言わなくても分かることは省いて、その分新しい情報を出す
 同じ意味のことや、自明なことをわざわざ書かないようにする。その分の尺で、言わないと分からないことの描写をする。例えば「快晴」って言ったら「青い」とか「明るい」とかの描写は省ける。代わりに「人がまばら」とか「アイスの自販機がある」とか、「快晴」だけじゃ推測できない部分が描写できる。韻を踏んでるとか情景がエモいとか何かしらの理由が無い限り、分かってる話をわざわざ聞かされるのは退屈だ。

3.視聴者の信頼を掴みに行く
 視聴者は曲を再生しながら審議する。「この曲は自分を楽しませてくれるか?」 そこで空だの輝きだのありきたりな表現を見せられると、「どこにでもある曲だな。もういいや」と思って、真面目に聴く気が失せる。
 ――いやマジで。歌詞の評価って3割が品質で、7割が"真面目に聴く気があるか"だと思う。薄っぺらい歌詞でも間違ったこと言ってなければ響く人には本気で響くし、含蓄のある深~~~い歌詞でも「このオッサンの言うことは信じたくない」と思っていたら響かないのだ。当然例外もあるだろうが、往々にして、そういうケースはある、と思っている……。
 だから、記憶に残らないどうでもいい表現は取っ払って、意識に引っかかる妙なワードとか、思わず共感してしまうニッチなあるあるネタなんかを盛り込むことで、「ふーん、おもしれー歌詞」と思ってもらえるようにしている。勿論妙ちきりんなだけでは「ただのデタラメかよ」と思われて、かえって信頼を失う。バックボーンやロジックをテキトーにしてはいけない。噛んだら味が出てくると信じてもらわなければ。 たまったもんじゃない、せっかくあれもこれも仕込んだのに。。。


おわりに

 思ったより色々考えてました。ただ今回は“酷評”だったので、ポリシーは読み取れましたが、プラスαのテクニックの話は出てきませんでした。あと、私は韻とか雰囲気のカッコ良さとかを二の次にしていることが分かりました。歌詞は筋が通っていなくても別にいいと思っているんですが、語感の良さとかで価値を出すより、バックボーンで深みとコクを出す方が得意なので仕方ないですね。おやすみなさい。

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