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部外者にしてはうるさい

卒業生note、本日は番外編です。
長崎大学フットサル部FORZAが一番の目標に掲げる、夏のインカレ
その県予選でいつも壁となり立ちはだかる、長崎県立大学シーボルト校(通称:シー大)
そのシー大のフットサル部と、長崎を代表するフットサルチームであるジンガを兼部し、この春FORZAを卒業する4年生とも関わりの深い1人に、執筆依頼を行いました。
どうぞお読みください。

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長崎県立大学シーボルト校 4年の酒井 柊生(さかい とうい)です。
奏太さんや柴けんさん達と同じ、ジンガフットサルクラブ(長崎県 / 九州1部)に所属しています。
以前noteに出てきた酒井楓芽の弟で、今年一緒に卒業する4年生とはよくフットサルをした仲間です。

全くの部外者である自分が、奏太さんのご厚意により思いの丈を綴る場をいただきました。今回は自分の過去のこと(興味なかったら飛ばしてください)、長大のみんなに伝えたいことを、この場を借りて最後に書かせていただきます。
長文ですが、ご了承ください。


お前は普通のレベルになるには、誰よりも努力する必要があるぞ。

父親から無理矢理連れて行かれたサッカースク-ルで、コーチから言われた言葉です。
当時小学1年生の時です。

まじか、辛すぎるやろ、って思いました。

小学2年生の時に毎試合、各チームから優秀選手が1名選ばれるという大会がありました。
同級生の上手いやつから順番に優秀選手が選ばれる中、自分を飛ばして1年生のやつが選ばれて大会は終わりました。

父親は仕事が終われば、欠かさず兄と自分のサッカーの練習を見に来て、終わってからあれはだめだ、これはだめだと毎回怒鳴り散らすパワフル親父でした。
思えばそれが自分の自信のなさや、変わったことをして興味を引こうというずるさに繋がっているのだと思います。

誰よりも努力をする必要があるため、練習が休みの日は父親と兄と3人で公園に行ってボールが見えなくなるまで練習をしました。
兄と10km走ってこいと言われるのは当たり前で、試合で上手くいかなかった日は途中で車から降ろされて10km走って帰ることもありました。

人一倍努力した結果、高校は県内の強豪校にスポーツ推薦で入学しました。
父親は隠していたけど少し喜んでいたと思います。
レギュラーになるために、誰よりも朝練に行きました。
母親は自分よりも早く起きて弁当を作り、それに加えて痩せた自分の体重を増やすためおにぎりを持たせてくれました。

しかし高校2年の冬と高校3年の夏に、手術が必要なほどの大怪我で試合に出ることができなくなり、試合を見に来ては怒鳴っていた父親も、最後の怪我をしてから一回も自分にサッカーの話をしなくなりました。

以上が、自分が過ごした12年間のサッカー人生。
進学した大学にサッカー部はなく緩めのフットサル部があり、そこで楽しく友達と過ごすことにしました。

がしかし1年生の10月、兄から無理矢理ジンガに入部させられました。(父親か)
ジンガの人たちはほとんどが社会人で、上手くて強かったので行くのが嫌でした。
自分は中々溶け込めず、楽しいとも思えない練習に足は遠のくばかり。

そんな中ジンガは九州リーグ参入戦を目前としていて、にも関わらず自分は当日休もうとしていたところを奏太さんに無理矢理連れて行かれました。(兄か)
行くと、2試合目で5点差が開いたのでとういでも出すかという流れになり、出る直前で「ゴールを決められなかったらフットサル辞めよう」と思いつつピッチに入りました。

気合いで初ゴールを決めたので、続けることになります。
ジンガの人達は6点目のゴールにも関わらず大はしゃぎしてくれました。

ただ九州リーグに参入してからの試合では、自分だけメンバー外となりスタンドで観戦することもありました。ベンチに入っても出場できず、出場しても合計2分くらい。

その2分の動画を、授業中に1人でこっそり何回も見ました。
ちょっとでも良いプレーがあったら画面録画して、自信がなくなりそうなときはそれを見ていました。

そんな辛いとき、心の支えになっていたのはシー大と長大のみんなでした。

長大の練習においでと奏太さんに言われていたので、わりと参加していました。行くとみんなが話しかけてくれます。りょうとかにやにやしながら。むつきもか、しんたろうとけんやも。はまきょうとゆうきはさわやか笑顔で、よしきは真顔。でも犬飼ってるの?とかフットサルと関係ない話をしてくれて。みんなが温かいおかげで、ほんの少し居場所が出来たような気がしました。

長大に入って同年代の仲間とフットサルをして、社会人チームを倒したり、大学の全国大会ですごい試合ができたら、なんてことを何千回と思いました。

※2018.5 ダウポンチカップにゲスト参加


そんな支えもあれど、競技フットサルを辞めたいとずっと思っていました。
ジンガは自分が居ても居なくても変わらないチームだと感じていたからです。

ジンガはシーズン最後の試合で見事九州リーグ1部昇格を決め、自分はその試合の後に退団することを伝えました。辞めたいとか考えているやつが、こんな強いチームにいてはいけないと思ったんです。

昇格祝いの飲み会では酔った奏太さんに肩パンを死ぬほど喰らいながら辞めるなと言われ続け、柴けんさんはずっと黙っていたけれど最後に「続けてたら良いことあるよ。」とだけ言ってくれました。

お世話になった2人だったので申し訳なかったです。
最後の最後まで、役に立つことができませんでした。

辞めてからは、バイトと公務員の勉強に励みました。
シー大のみんなと遊ぶ時間が増えたことは嬉しかったけど、ふと悔しさがこみ上げたり、今の自分の姿が情けないと感じることがありました。

気付くと自分の初ゴールに対して喜んでくれている、ジンガの映像を見ていました。

そんな自分に転機が訪れたのは、3年の大学選手権での長大戦です。

奏太さんやしばけんさんに少しでも良いから自分が教えてもらったこと、長大のみんなに一緒に頑張ったことが目に見える形で見せたくて、ジンガを同時に辞めたツネと練習を考え、少ない練習時間で何が大切かを自分なりにシー大のみんなに伝えました。練習中の動画を切り取って編集して見せて、解説して。
長大のように上手くもなれないし自分は多くの事を教えられないから、下手でいいから強いチームになろうとみんなに話しました。

試合当日。
シー大の皆のおかげで、接戦を繰り広げます。(ほぼ運)
そして自分が後半に逆転弾。
これまで打ったこともない、えぐいシュートを決めました。(運)

ラスト2秒まで迫りながら最後にけんやのスーパーゴールで同点に持ち込まれ、試合は終わりました。
自分がフットサルに対して努力をやめてしまった、その差がラスト2秒に出ました。

悔しかったけど、素直に長大がすごかった。
試合後自分のゴールを何回も見ていますが、同じくらいけんやのゴールも見ています。
決めたときのけんや、原ちゃん、長大ベンチのみんなの喜びと熱量。
こんな良いチームに接戦を繰り広げられたことを幸せに思いました。

この日は自分の人生で一番楽しかった日です。
きっと長大の皆は他の日かもしれません。シー大の皆ですら、他の日だと思います。結構恥ずかしいです。こんな県予選の引き分けの試合でそこまで思っちゃうのかと。

だけど自分にとってはこの日でした。
まぎれもなく自分のフットサル人生において、明るい方へと無理矢理ねじ曲げてくれた日がこの日でした。

翌日、奏太さんからまたフットサルをしようと電話があり、ジンガに戻ることに決めました。(こんな自分にありがとうございます)
奏太さんと自分を育ててくれたジンガの人たちと、なによりあの試合を一緒に作ったシー大と長大のみんなに感謝しています。

長々と書きましたが、何が言いたいかというと、出来れば忘れないでほしいということです。
辛いことがあったことを。
忘れてしまったら、ただ辛かっただけじゃないですか。
その日を強く覚えていることで、頑張れることとか、感じられる喜びだとか、優しさがあると自分は思っています。(急にまとめだしてすいません)


自分は1年生の1年間と、辞めた4ヶ月間を少し後悔しています。
頑張ることをやめて、立ち止まってしまいました。
もちろんその立ち止まったおかげで見えてくるものや得られたこともあるのですが。
でもその期間にフットサルに打ち込んでいればもっと、なんて事も思うわけです。

noteが長大にあることは、とても意味のあるものだと思います。
みんなのnoteには辛かったことが書いていて、忘れてしまう感情を残して伝えることが出来ます。
超傲慢ですが、長大の卒業生や現役の選手が記すnoteが、辛い感情に流されてしまいそうになった誰かの支えになれば良いなと思います。

情熱は人の立場を無視することだと思います。
振り返ってみるとそんな人たちのおかげで今があります。特に兄と奏太さん、本当に感謝しています。

卒業する4年のみんな、しばけんさん、ありがとうございました。
みんなと同じ世代で本当に、本当に良かったです。みんなとフットサルをする時間が幸せでした。

優人さん、せいじさん、ジンガの方々、FORZAとシー大のみんな、こんな自分を支えてくれてありがとうございました。

みんなのおかげですごく幸せでした。

本当に長くなってしまいました、読んでくれた方ありがとうございます。

酒井 柊生(さかい とうい)
学年:4年
学校:長崎県立大学シーボルト校
出身地 / 出身高校:長崎県 / 諫早商業高等学校


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