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良き指導者のいるチームは強くなる

広島の新井監督や日ハムの新庄監督、、
最近スポーツを見ていると
指導者でチームが選手が変わるなあって
実感します。

 

自分は入団2年目にして巨人のエースとなった
桑田真澄さん
常勝軍団の西武の若き四番だった
清原和博さんに憧れ
東京都板橋区にある
少年野球チームに入りました。


チーム名は『高島エイト』。
ただ、当時は全くと言っていいほど
強くありませんでした。


当時の監督は
ただただ怒鳴り散らし続けている印象。


自分に至っては
今思えば辛い日々でした。
お前は守備が下手で肩が弱くて
力もなくて足も遅いからとか
否定的なことばかり言われたり、、
野球なんか辞めちまえと言われる始末。


今でも忘れません。
先輩が引退後、新Bチームとしての最初の試合。
メンバー的に確実にスタメンで試合に出られると思ったら、
自分の後から入った下級生が選ばれた瞬間を。
自分が特殊な家庭環境だったことも
影響していたのかもしれません。


『もう辞めよう、、』


そう決めて、帽子を深く被り
涙をこらえながらべンチに座り
試合前練習を見ていたら
明らかに後輩のセンターが
ろくに守備ができていない光景が
目に入りました。


『こんな奴に自分は負けたのか、、』


さらに悔しさが募るなか
それに見かねたのか
自分への同情だったのか
あるコーチが、
監督に自分と替えるべきと
打診してくれたのです。


監督も仕方なくな感じで自分が
8番センターで急遽スタメンに
なることができました。
そして、コーチにこんなことを言われたのです。


お前はあまり空振りをしない。
ゴロを打てば何かが起きるから
まずは当てろ。
あと、球を取ってから投げる早さは
チーム一だ。自信を持て、と。


これまで自分の弱いところばかりを
監督に言われて、自信喪失状態だった
自分の強みを話してくれたのです。


これで自分のなかの何かが変わります。



試合は一方的な展開でした。
ピッチャーがストライクがなかなか入らず
二桁得点差で惨敗状態。
そして相手チームのピッチャーから
誰もまともに打つこともできません。


そんな中での自分の初打席。
ネクストバッターズサークルから見ていて
球は速いですが当てられなくはない。
初球を振り抜くと、強烈なゴロが
ショートに飛びます。


ショートの好プレーでアウトには
なりましたが、この一打で
監督の表情が変わりましたし、
コーチは凄く喜んでくれました。


試合は惨敗でしたが、
最終回に再度打順が回ってきます。
初球が外れての二球目。
インコースを振り抜いた打球は
ライナーでセンター前に転がります。


あまりに打球が速すぎて
まさかのセンターゴロでアウトに
なってしまいましたが(汗)


監督からは馬鹿野郎と怒鳴られましたが、
チームでヒットを打ったのは
キャプテンと自分だけ。
コーチからはナイスバッティングだ!
と両肩を叩かれ自分のことのように
喜んでくれました。


この試合を機に自分は
翌週の試合で六番に昇格するなど、
確実に自分の立ち位置が変わったのです。



Aチームではベンチだったけど、
快進撃で板橋区大会で準優勝し都大会に出場。
代打で打席に立つこともできた。


自分達が最高学年となり
Aチームとなったときは不動のレギュラーに。
チームとしては弱かったけど、
本当に充実した時間を過ごせました。


この後も、コーチから
お前は走る時に首を左右に振るから
遅くなるんだよ。首を真っ直ぐにして
走ればもっと早くなるぞ。
当てるのうまいんだから
足が速くなれば前に転がすだけで内野安打だ。
それで盗塁すれば実質二塁打三塁打だと言われました。
これを機に首を振らない走り方を意識するように。



流石にこれについては
すぐには変わりませんでしたが、
中学一年の秋頃に開花します。



中一の入学直後の50m走測定で8.8秒、
学年でもかなり遅い部類だったのですが、
中一の秋の運動会の全員リレーで
自分でも驚くくらいのスピードで走ることができ、周りから驚かれました。
タイムは不明でしたが、確実に変化を実感します。


中二の50m走測定で7.1秒とタイムが激変。
そこからは選抜リレー選手の常連となり
100m測定では13秒を切り、陸上部顔負け。
中三では6.1秒となり、
野球部でチーム随一の俊足となったのです。
フザけた顔して足は速いとイジられるほど。
盗塁失敗はゼロ。成功率100%でした。


そして内野に飛ばせばほぼ出塁。
ボテボテのファーストゴロで
内野安打になったときは
相手選手も驚いていました。


めちゃくちゃ前置きが長かったですが、、
何が言いたいのかって
良い指導者で人生変わるということ。
自分はあのコーチがいなかったら
弱いところばかりを言ってくる監督に潰され
とっくに野球を辞めていました。


ちなみにそんな高島エイトは
ホームページを見ると
今や板橋区有数の強豪チームに。
都大会にも頻繁に出場するなど結果を残し、
最近では全国大会にまで、
進むほどになっていました。


ちなみにそこのオーナー、責任者が
当時のコーチであったのも知りました。
そりゃあ強くなる。心底納得です。












WEBディレクター5年、WEBプロデューサー3年、WEBアドバイザー(コンサル)3年を経て、現在は自社部門のWEBマスターをしながら、デザイン、ブランディング、動画編集スキルなどを勉強中のゼネラリスト。