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夢と現実の間で(キム・ギドク監督『うつせみ』)

◆夢かうつつか、ペソア的感覚

 アラン・コルノー監督の映画『インド夜想曲』でジャン=ユーグ・アングラード扮する旅人が神智学(神秘的・直観的霊知によって、神を体験・認識しようとする神秘説。グノーシス主義・新プラトン派などの神秘主義にうかがえる:大辞林より)の老学者と会話をするシーンで、こんな詩が登場する。

「だれもが皆、ふたつの人生を生きる

真実の人生、
子どものころに過ごし
大人になっても霧の中で夢見続ける人生と

偽りの人生、
社会の中で他人と分かち合いながら
私たちをひつぎへいざなう人生と」

(Nous avons tous deux vies : la vraie, celle que nous avons rêvée dans notre enfance, et que nous continuons à rêver, adultes, sur un fond de brouillard ;la fausse, celle que nous vivons dans nos rapports avec les autres, qui est la pratique, l'utile, celle où l'on finit par nous mettre au cercueil.)

 これはポルトガルの詩人フェルナンド・ペソア(1888-1935)の詩で、『インド夜想曲』の原作者アントニオ・タブッキは、「フェルナンド・ペソア最後の三日間」という小説を書くほどのペソアマニアだ。

 突然こんなことを思い出したのは、キム・ギドクの映画『うつせみ』を観たからで、『うつせみ』は『インド夜想曲』とは質が違うが、同じように不思議な気分に浸らせてくれた映画だった。

 『うつせみ』は、ピッキングで留守の民家に入って家庭のぬくもりにしばし浸って、何も盗まずに帰るという行為を続ける青年テソクと、夫によって籠の鳥のように家庭に閉じ込められ、DVの被害を受ける人妻ソナが主人公。ある日、青年テソクが留守だと思って民家に入ると、人妻ソナとばったり遭遇してしまう。そうして物語が進んでいく。

 現実に絶望した人妻がロマンティックな愛に希望を求めるラブストーリーとしても観ることができるし、社会に痕跡をあまり残さず、空気のように世界を楽しみたいと願う青年テソクのビルドゥングスロマン、成長の物語とも読める。

 いずれにしてもこの映画に漂うのは、夢と現実の2つの世界が混在していて、夢とうつつの2つの世界を生きているという、前述の「ペソア的感覚」だ。2人の主人公にとって、霧の中で夢見続ける人生こそ真実の人生であることは言うまでもない。

◆3番アイアンの意味するところ

 『うつせみ』という邦題だが、原題は『空き家』、そして英題は『3-iron』。「3-iron」とはゴルフの3番アイアンのことで、映画の中で頻繁に登場する重要なアイテムとなっている。

 青年テソクは人妻ソナの家で3番アイアンを握り、ソナの夫めがけてボールを打って制裁を加える。テソクはその3番アイアンを持ち去って人妻ソナと流浪の旅を続けるのだが、その道中、青年テソクは公園でしばしば3番アイアンで木にひもで縛ったボールを打つ練習を続ける。

 3番アイアンとは何か? まずは憎む相手を痛めつけるための凶器。そして、金に物を言わせる現実社会の「勝ち組」たちの象徴的アイテムか。後者であれば、現実社会に複雑な感情を抱く(とみられる)青年テソクが練習で力を込める一発一発に、社会への憎しみが込められていると読める。そして、人妻ソナは青年テソクが3番アイアンでボールを打ち続けるのを何度も無言でやめさせようとするが、それは「社会への憎しみ? そんなのもう忘れていいじゃない。2人だけでどこか遠くに行けたらそれでいいじゃない」という無言の主張をしているともとれる。

 ところで、3番アイアンは、最も難しいクラブといわれ、アマチュアが避けたがるクラブだ。6番アイアン以下のミドルアイアン、ショートアイアンはシャフトが短いのでミートしやすい。それに比べてロングアイアンは長くて芯にミートしにくいので、アマチュアたちは、力を入れなくてもドライバー感覚で軽く飛ばせるフェアウェイウッド(ショートウッド)を代用する傾向にある。3番アイアンの代わりに7番ウッドを使う愛好家も多いらしい。

 だが、青年テソクは「8番アイアン」でも「4番ウッド」でもなく、「3番アイアン」なのである。なんでだろう?

 それは「3番アイアン」が最も快感をもたらすクラブだからに他ならない。ゴルフ練習場に行って、3番アイアンをバンバン使いこなせる利用者はあまりいない。そこで長尺の3番アイアンで糸を引くような低弾道の速球をガンガン打つとカッコいいし、打つ方も気持ちいいのである。

 あるいは「3番アイアン」とは、あえて難しいクラブに挑戦する青年テソクの求道心を表しているのかもしれない。修練を積むことで、テソクは3番アイアンを使いこなせるようになる(ただ、映画のあのフォームを見ていて、テソクが3番アイアンでミスをせずミートできるほどゴルフがうまいとはとても思えない)。その求道心はやがて、刑務所での「空気のような存在になる」という修練に向かうことになる。

 そして、あまり認識されていないことだが、「3番アイアン」といえば、ドライバーからサンドウェッジまですべてのゴルフクラブの中で、シャフトの長さがちょうど中間にあたるクラブである。ゴルフコーチの江連忠氏は「(長さが中間の)3番アイアンを練習することで、ボールポジションの把握や、体の前傾角度が安定するなど、アドレスがグンと良くなります」(『江連忠の実践!ショットメイクドリル24 球筋自由自在』より)と「真ん中のクラブ」としての3番アイアンの重要性を説いている。

 「ロングアイアン」と呼ばれるものの、実際には長くもなく、短くもないクラブである3番アイアン。これこそ、現実でもなく、夢でもない『うつせみ』の世界観を象徴する道具である、というのは言いすぎか。

(※2006年12月23日に書いた文章です)

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