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『ポンヌフの恋人』に影響を受けたキム・ギドクのデビュー長編『鰐 ~ワニ~』

地上生活が窮屈なホームレス

 『鰐 ~ワニ~』はソウルを流れる漢江の橋の下に住んでいるホームレスの物語。『悪い男』のチェ・ジェヒョンが凶暴な主人公ヨンペを演じている。

 社会の底辺にいるヨンペは北野武監督『菊次郎の夏』の菊次郎を彷彿させる理不尽なダメ男だ(時代的には『菊次郎』の方が後だった)。漢江の水中に沈んだ自殺者から金品を奪ったり、ペテン師じみた路上販売をしたりして生活している。だが、ツキがまったくないのか、それとも破天荒な行動でツキを自分で逃がしているのか、事あるたびに警官や賭博の元締めたちなどからボコボコにされる。

 1人の美女が漢江に飛び込む。彼女を助けたヨンペは彼女を助け、レイプしようとするが未遂に終わる。不倫をしている会社役員を脅し、相手の女性をレイプしようとするが、これも未遂に終わる。ヨンペは欲求不満の寸止め状態の狂気から決して解放されない。

 そんなヨンペの唯一の居場所は漢江の水の中だ。「地上はがんじがらめで窮屈で居心地が悪いが、水の中は自由で居心地が良い」というキム・ギドク作品のライトモチーフが既にデビュー作から登場している。水の中に飛び込む習性を持った女性ヒョンギョンが現われた後、ヨンペの凶暴さは少しずつだが解消されていくことになる。

『ポンヌフの恋人』との共通点

 『鰐 ~ワニ~』を観て、キム・ギドクがデビュー前に暮らしていたパリで撮られた一本のフランス映画が思い浮かんだ。フランスの神童レオス・カラックス監督の『ポンヌフの恋人』だ。

 『鰐』は『ポンヌフの恋人』と共通点が多い。以下、具体的に挙げてみる。

①『ポンヌフ』はセーヌ川に架かるポンヌフ橋の上に暮らすホームレスの話で、『鰐』は漢江の橋の下が舞台
②だから水が絡んだシーンが多い
③ホームレスの若者のところに美女が現われる
④その女が男の肖像画を持っている
⑤若者の無謀さを際立たせる賢人としての老ホームレスが登場する
⑥ピストルが登場する
⑦2人で川に飛び込む(結末は違うが)
⑧破れた鉄板の間から覗くように撮られたカットが登場する(『鰐』はコーヒーの自販機ごしに、『ポンヌフの恋人』はトラックの後部ドアごしに登場人物が撮られる)
⑨金稼ぎのために軽犯罪(『鰐』は詐欺まがいの物品販売、『ポンヌフ』はスリ)を行う様子が映画のコミカルに描かれ、映画のアクセントになっている。

 ―などなど。

パリで『ポンヌフの恋人』の“洗礼”

 なぜここまで共通点があるのか。それはキム・ギドクが『ポンヌフの恋人』の洗礼を受けているからだ。

 「32歳まで映画を観たことがない」というキム・ギドクは、1990年から92年にかけてフランス・パリに滞在。『ポンヌフの恋人』はその間の1991年に公開された。

 インタビューでキム・ギドクが「パリで初めて観た映画は『羊たちの沈黙』で、その後に『ポンヌフの恋人』を観た」と語っている。その衝撃は相当なものだったに違いない。

 ちなみにキム・ギドク監督第2作『ワイルド・アニマル』には『ポンヌフの恋人』主演のドニ・ラヴァンが出ている。

 キム・ギドクは『ポンヌフの恋人』を出発点として、恐るべきペースで映画を量産していった。
 一方、レオス・カラックスはキム・ギドクの多作ぶりとは対照的で『ポンヌフの恋人』の後は『ポーラX』『ホーリー・モーターズ』の2作品と、オムニバス映画『TOKYO!』しか映画を撮っていない。

 キム・ギドクもレオス・カラックスも1960年生まれだ。キム・ギドクは今年急逝したが、60を過ぎたレオス・カラックスは今後新作を撮るのか撮らないのか注目される。

(※2008年1月2日に書いた文章を基に加筆したものです)

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