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刑務所出所からFXトレーダーまでの道のり

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20××年。僕は刑務所を仮釈放で出所した。そこから社会の荒波に揉まれ、刑務所内で夢見ていたキラキラ生活を現実の生活に打ち砕かれながらFXでトレーダーとなるまでの道のり日記です。 … もっと読む
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いざFXの世界へ

研修を終え出勤一日目。 仕事は車で指定されたエリアを走行しKDDIの携帯電波の測定をする仕事だ。 本当は二人一組で行う仕事らしいが、僕が雇用された下請け会社は業務委託料をピンハネしたいのだと思うが、一人でその業務を行わせていた。 もちろん元受けには二人分の業務委託料を請求していたと思うが。 でも僕にとってはそんなことはどうでもいい。 お金をたくさん稼ぐのが目的ではなくて、生活費を稼ぎながらFXにお勉強ができる環境を手に入れることが最優先事項だ。 仕事の内容は基本的には勤務時間

決意

工場を退職した後これからどうしていくのかゆっくり考えた。 もともとサラリーマンには向いていない。まぁやりたくても雇ってくれるとこはないのだけれど。。。 でも貧乏生活は嫌だ。 養育費も十分に払ってあげたい。 旅行もしたい。世界中に旅もしてみたい。 おいしいものを好きなだけ食べたい。 可愛い彼女を作りたい。 刑務所に入って人生を無駄にしていた分あれもしたいこれもしたい、絶対失った人生を利子をつけて取り戻すぞ! という気持ちが強かった。 とにかくこのままご飯を食べて毎日仕事に行っ

ベトナム人女性との恋 完結編

前回のデートでロアンに手紙を渡してから3日たった。 土日を挟んで工場の仕事は始まっていたが僕は夜勤専門なのだけれど、ロアンをはじめすべての派遣社員やアルバイト、技能実習生は2交代制なので次の週から昼勤のロアンとは工場で会うことはなかった。 僕とロアンとは主にFBのメッセージアプリでやり取りをしていたがあの日以降も今まで通り、普通のやり取りが続いていた。 あまりに何のリアクションもなかったのでせっかちな性格の僕は4,5日たったあとメッセージで手紙は読んだかと聞いてみた。

ベトナム人女性との恋 後編

次に僕たちが向かったのは愛知県豊川市にある「豊川稲荷」という商売繁盛で有名な神社だ。 ここは商売の神様で東海地方では岐阜県にある「おちょぼ稲荷」の次に有名な稲荷神社である。 東京にも別院あるらしいのでどうぞ ベトナム人も他の外国人と同じく神社は大好きなので写真のように狐様が大量に奉納されていて写真映えするスポットのある豊川稲荷に連れて行ってあげた。 ここではかなり喜び写真を撮りまっくたり少し屋台も出ていたのでつまみ食いしながらなんのトラブルもなく楽しく過ごすことができた。

ベトナム人女性との恋 中編

ロアンと香嵐渓に行く約束をして、僕は準備に取り掛かった。 ちなみに香嵐渓とは愛知県のもっとも有名な紅葉スポットで屋台などの飲食店もたくさん並び夜にはライトアップされてとてもきれいな場所である。 こんな感じ 僕は結構せっかちな性格なので物事をはっきりさせないままダラダラするのがあまり好きじゃない。この人が好きだなーとか付き合いたいなーと思えば何もしないでいることは出来なくてとにかく何かできることをしてすぐ告白して結果を求める。 つまり恋愛のポチポチ病患者である。そんな僕がFX

ベトナム人女性との恋 前編

ロアンとは工場内でも仲良くしていた。各洗濯機はガムの種類ごとに仕切られた部屋に分かれておりその部屋にはベトナム人の女性が一人担当としてその部屋の中ででガムに糖衣をかける仕事をしている。 ロアンは日本語はドヘタだったがとても愛嬌があり人懐っこくかわいい女性だった。当然僕は時間ができるとその部屋にばかり行くようになる。 ただロアンは他の日本人社員やブラジル人、当然ベトナム人にも大人気の女の子だったのでその部屋に行くと必ず誰かどこかの国の男が訪れていた。 ロアンにはどうやら彼氏は

待ち受けていた現実④

次の日から僕は仕事探しに着手した。資金調達がダメとなった今、明日からの生活費を稼ぐためにも何か仕事をする必要があった。 まずはネットでindeedにアクセスして求人情報を検索してみた。結構いろいろある。年齢も対象内のものもある。給料はあまり安すぎても養育費を払って生活する事はできないので最低でも手取りで25万以上のものに絞って検索した。 それでも結構あった。 僕は逮捕される前から営業が得意だったので主に営業関係の求人に応募していった。僕の中では営業は結構採用されやすくすぐに決

待ち受けていた現実③

僕がA社長にビジネスプランを説明して資金を貸して欲しいとお願いするとA社長の表情が明らかに曇るのがわかった。 僕がお願いした金額は700万。社長にとっては屁みたいな金額のはずだ。なのに昔と違い、二つ返事で引き受けない。 うーん。うーん。と唸りながら上を向いたり、ビールを飲んだりして、何かを考えている。 フリをしているように見えた。 あのなぁ。〇〇。お前まだ出てきたばっかだし少しゆっくりして周りの状況みてからにしたらどうだ?そんなに焦って始めることないだろ? えっ?断られた

待ち受けていた現実②

留置所や拘置所、ましてや刑務所から出所してきた人は全然夜寝れないと聞いたことがあったのだけどその噂は本当だった。 身体は疲れ果てていたはずなのに何時になってもまったく寝れないのだ。 刑務所では毎日21時消灯でその30分後には眠りについていた。毎日8時間以上寝ていたのに。それが刑務所のようなせんべい布団でもぺったんこの枕でもなくふわふわの布団でフカフカの枕で寝れるのに全然寝れない。電気も真っ暗な部屋で寝るのも数年ぶりだったので最初はなんか怖かった。 ちなみに刑務所や拘置所、警察

待ち受けていた現実①

20××年 9月×日 僕は刑務所を仮釈放で出所した。 判決で5年の実刑を言い渡され、未決期間という裁判で量刑が確定するまでの警察や拘置所で拘束されていた期間の約40%くらい(例えば180日拘束されていたとすると約70日)が刑期から差し引かれ実際に服役する刑期となる。僕の場合約4年ほどの刑期になり、仮釈放ももらえたので刑務所に服役していたのは正味3年と少しだった。 僕はシャバでの生活であれもやろうこれもやろうと希望に満ち溢れて刑務所を出所した。 逮捕される前は自分で数社会社を

受刑者から一般人へ

刑務所からの仮釈放いざ夢を抱いて社会復帰へ 20××年刑務所で刑務作業をしていた僕のもとについに仮釈放の可否と判断する面接のお呼びがかかった。 「331番 〇〇 作業を止めて〇〇先生の後についていけ。」 来たっ!残り刑期や呼ばれた時刻、僕を連行しに来た刑務官を見てこれは仮釈放の面接だ!とすぐにピンときた。 刑務所へ移送されて約3年僕は懲罰も受けたことのないいわゆる模範囚(実際にはそんな名称はないのだが)世間ではいわれる受刑者だった。 もちろん些細な違反はたくさんある。とに