復活のオペラオー/高知遠征18日目⑤

「ウララの場合はさ」

アキツテイオーは言った。

「ゴール前でオペラオーの真似をしてしまっただろう?それも含めて、やる事なす事の全部が後々に回ってしまったんだと思うんだよ。しかし──」
なるほど。
もっともらしい意見である。私はそれをただ黙って聞いていた。
テイオーはまた言った。
「御前やアタシと走った時は、真似をしていたとは思えなかった。それがいい選択で、結果的にプラスだったかどうかは、正直まだわからない。しかし──」
なるほど。
それについても、確かにそうではあるようだ。
「タイムだけで見れば、初っ端よりはマシだったんだ。アンタと走った時はもっといい」
「そうね」
「しかし──」
ついに私は焦れた。
「一体全体さっきからなんなのよアンタは?ゼロヨンの意見なら何でも聞く用意はあるから、しかしの先のことを言いなさいよ」
私が少し声のボリュームを上げてそう言うと、テイオーは、きょとんとした表情を浮かべながらこう宣った。

「しかし──美味いなぁ、この肉うどん──って言いたかったんだよ」

コイツめ。

だがテイオーの言葉に間違いはない。昼食としつ振る舞われ手にした肉うどんは、驚く程に美味だったからだ。

沸騰直前まで温められたつけ汁の中に入っているのは、極薄の豚バラ肉と油揚げ。一口啜ってみるとかなり濃く、そこで初め細かく粉砕されたらしいワカメの風味に気づく。白ネギと白ゴマをそこに散らせば、肉から漂う脂と相まって、ラーメンにも似た俗っぽさと飲み応えがあった。
そこにキンキンに氷締めした細いストレートのうどんを放り込み、一気に啜る。
これがまあ──美味いこと美味いこと。トレセンの近所にあれば、間違いなく週3で通うに違いない。それ程の味だった。

いつの間に用意されたのだろう。クラブハウスの前には夜店の屋台のようなものが組み立てられており、その内側では大きな鍋が湯気を立てていた。屋台の横、地面に敷かれたブルーシートの上には大きな座卓があり、それぞれの上に金盥が置かれている。無論それぞれの中身は大量のつけ汁と、大量のうどんだ。夏の風が強い鰹節と甘辛い醤油の香りを運んできたところで、私の腹はぐぅと鳴った。

「肉うどんだ!」
「やったぁ!早く行こう?」

そう叫びながら屋台に走り寄った子供たちも、今では先を争うようにしてつけ汁を椀に注ぎ、同じく金盥に箸を突っ込んでいる。ウララとオペラオー、そしてシュヴァリエも同じだった。御前もまた、せっせと口を動かしながらつけ汁に肉を追加している。屋台には七輪、金盥には氷柱が入っているので、それぞれがいつまでも熱く、いつまでも冷たい。旨みを十分に残したバラ肉も一緒にして口の中に放り込めば、その温度差が口の中で混ざり合い、それがまた格別に心地の良いものだった。

だったのだが──

私の口は、どうにも捗らなかった。総当たりの一本目、そこでの結果の悪さが、私の気持ちの脚を、いや、舌を引っ張っていたのだ。

『似合ってましたね。ピンクのブルマ』

あの一言で全てが崩壊した最初の走りから以下4走。私の脚は冴えなかった。あえてクラウチングスタートを封印してきた御前にはゴール前で差され、気を取り直したつもりだったテイオーには出だしから既に叶う場面はなかった。オペラオーには勝つには勝ったが、良い場面は一つもなく、それはウララ戦でも同じだった。

そんなわけで、私は今、日本一箸の重い肉うどんを口に運んでは、一つ、また一つとため息をついていたところなのである。

「見ろよ、ウララとオペラオーの食べっぷり。こっちだって早いとこ食べないと、全部無くなっちまうぞ?」
ぴちょん、と雫を飛ばしながら、テイオーは最後の一箸を啜ると、鍋の方へと歩き出した。全員が昼食と休憩をとっている今、他にやることのない私もまた、その後に続いた。

「どう?美味しいでしょ」

近づいてきた私たちを見るなり、御前はお玉で鍋の中をかき回しながら、手を伸ばして私たちの碗を誘った。
「ええ。これが御前のお手前だと思うと、尚更美味しいですよ。塾の門口で屋台を出してたら、塾より流行るんじゃないですか」
そんなテイオーの冗談に、御前はコロコロと笑った。
「そうでしょう?麺も手打ちでコシも強いし、つけ汁の味もいいし。私もそう言ってるんだけどねぇ......でも、本人がなかなか」
「というと、御前が作られたのではないんですか?」
「これは私の義母のお手製なの。旦那のお母さん。たまにこうして振る舞ってくれるんだけど、どうにも恥ずかしがり屋でね」
「旦那さん、帯広でしたよね」
「そう。実は、旦那のお母さんは、ばんば娘なのよ」

「え!」
「本当ですか!」

テイオーと私は驚き、思わず同時に後ろを振り向いた。視線の先に、いつか見たあのバーベルがそこにはあった。今日ここに着いた時に気づいていたのだが、その向きが微妙に変化していたのだ。

なるほど。ばんば娘ならアレを上げても不思議ではない。

「え、じゃあ、あのバーベルも?」
同じことを考えていたらしいテイオーが、つけ汁を受け取りながら尋ねた。
「そうよ。『今じゃこんなのしか上げられなくなっちゃって。恥ずかしい恥ずかしい』って言いながら、私にさえ姿を見られないように、毎日ジャークしてるみたいね」
「こんなの......」
「ジャーク......」
とても信じられない話だが、何しろ御前がそう言っているのだから、納得するより他はなかった。

料理好きで、恥ずかしがり屋で、怪力無双のばんば娘。


いやはや。世界は広い。

[newpage]

食休みとなった。

肉うどんの人気は凄まじいもので、麺はもちろんほぼ全てのつけ汁が全員の胃袋に収まり、今は皆、腹を上に向けて昼寝をしていた。
空になった屋台と金盥。これを片付けに来るのもきっとお母さんなんだろうな。また私たちがレースに夢中になっている間に、こっそり済ませてしまうのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら木陰で休んでいると、ウララがトコトコとやってきて、私の顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「あ、トレーナー!今起きてる?」
「うん、起きてるよ?」
皆が寝ているから、それを確認しに来たのだろうか。
「おうどん、美味しかったね!」
「そうね、私も沢山食べちゃったわ」
「あんなのだったら、毎日食べたいなぁ!」
「うふふ。私もそう思っていたところよ」
私が寝ていないのを良しとしているなら、おそらく話したいことがあるのだろう。しかし、ウララからの相談事は、雑談を挟みながらかなりの廻り道を必要とするのが常なのだ。
私は根気強く待った。
「──それで、その後オペちゃんがね、一口でどれだけうどんを食べられるか競争しようって言ったのね。それでね──あ!そうそう!オペちゃんが大変なの!」
やれやれ。ようやく本題か。
「オペラオーが大変?どういうこと?怪我でもしてた?」
「あ、ううん。そうじゃなくて......えっと、大変なんだけど、大変じゃなくて──えーとね......なんだかすっごく『ちょっと変』なの」
なるほどわからん。
ウララ相手にこの手のやり取りはかなり慣れてきた私ではあるが、ここを乗り越えてこそウララとのコミュニケーションは成立するので、ここはぐっと堪えて、頭の中にイメージを作りながら様子を伺うことにする。
「ウララ、ちょっと待ってくれる?」
「うん!」
「オペラオーは、いつも『すごく変』だわ」
「わたしもそう思うよ!」
「それが今、『ちょっと変』なのね?」
「うん!」
「いつもの『変』な感じが100だとしたら、今の『変』な感じはどれくらい?50?60?」
「うーん、30くらいかな?」
なるほど。変のレベルが一瞬で普通の領域まで下がった、ということか。それはある意味大変かもしれない。
「今、オペラオーは?」
「こっちだよ!向こうの木陰でテイオーさんと話してるよ!早く早く!」
私は腰を上げ、オペラオーのいる場所へと急いだ。


ウララの言う通り、テイオーとオペラオーは、少し離れた木陰にいた。確かに様子がおかしい。普段の自信はどこへやら。オペラオーは木に背を預けて膝を抱え込み、その間に顔を埋めていた。傍らのテイオーはというと、その前に立ち、しきりに檄を飛ばしている。

「総当たり1回目の成績が悪かったから、ショゲてるんだ」

近づいてきた私の顔を見るなり、テイオーはそう言いながら困り果てた様子で頭を掻いた。手には先ほどに御前が記録していたカメラと、ゴール係から借りてきたらしい記録紙もある。
「タイムが伸びてない。変だと思わないか」
記録紙を見つめながら神妙な顔つきで顎を撫でるテイオーだったが、私は思ったままのことを言ってみた。
「それは──仕方ないんじゃないかしら」
「仕方ないだと?」
「だって全部が全部、今日の話なのよ?知らない土地で知らない相手を向こうに回しての、初めてのゼロヨンで勝負してるのよ?しかも向こうはクラウチングスタートを使いこなす手練れで、更に付け加えるなら、ここはダートだわ。オペラオーには可哀想なくらい不利よ。いくら発破をかけても──」
「それはそうなんだが、でも問題はそこじゃない」
「何ですって?」
私の話を押し止めるように遮ったテイオーは、オペラオーから私を連れて距離を置くと、声のトーンを少し落としてから言った。
「今、ヤツの芝居っけが薄れてきている。他への影響がどうであれ、走りについてはあのスタイルが間違いなくプラス方向に働いていた。しかし今はそれがまるでないんだ」
私の肩に手を乗せ、顔を寄せるようにしてテイオーはそう続けた。その後、手にしていたカメラの画面に動画を流すと、私の方へと向けてきた。
「見てくれ。走りもこんなに萎縮してる。らしくないだろう」
テイオーの言わんとするところは分からなくもない。タイムについても、初回から短いスパンでゼロヨンを5回も走れば、勝ち負けはともかくそろそろコツを掴んでもいい頃合いだ。実際、ウララのタイムは回数毎に良化している。だが、オペラオーのタイムにはそれがない。走りについてもまた同じで、動画で見る限りではフォームそのものまで悪化しているようだった。
しかし我々はオペラオーに対して初めての体験を連続させているのだから、多少の萎縮は仕方がないし、萎縮してしまったとしたら、彼女としても芝居どころではない──そういうことなのではないだろうか。今日の結果がどうであれ、この経験が後々に活きることを願い、我々が指導していくべきなのではないだろうか。
私はそのように説明したのだが、テイオーは頑なに頭を横に振るばかりだった。
「それ以上に今がヤバいって言ってるんだ。ヤツは自分のスタイルを見失っている。考えてもみろ、ステップを踏みながらターンを決めてレーンに向かっていたヤツが、今はただ下を向いて歩いているだけなんだぞ」
「あなたはオペラオーのことになると本当に熱心ね」
「ふん。それもこれも、全部ウララの為さ。忘れたわけじゃないだろう、ルドルフがくれた、あのキーワード」
そう言われて、私の頭の中にあの言葉が浮かんだ。

『呼吸を知り、支配しろ』

もちろん忘れてなどいない。忘れてはいないが、それどころではなかったというのが正直なところだ。

「まさか──忘れてたのか?」

私の空白を見てとったテイオーが、鋭い視線でそう指摘してきた。私の肩に置いた手に力が込もる。テイオーが背負うオーラに赤黒い怒りの色が混ざりかけたところで、私は慌てて否定した。

「まあ、いいさ。要は、あの言葉の正体を突き止める為に、その手掛かりになるようにとルドルフがオペラオーをここに寄越したのだとしたなら、今オペラオーに調子を崩されちゃ困るんだよ。増援がオペラオーでなければならない理由があるとしたら、必要とされているのは、あのキャラクターそのものなんじゃないのかとアタシは思うね」
「そうかしら?」
「そうさ。アイツは素質こそ高いが、走りはデビュー前のど素人だ。だったら他の奴らと比べて突出している、アイツならではの持ち味が何なのかといえば、もうあの芝居癖しかないじゃないか」
私は言った。
「じゃあ、それがそうだったとして、どうするのよ?」
テイオーは僅かに逡巡する様子を見せてから、言った。
「何とかするしかない。何とかして、もう一度アイツをスイッチさせるんだ」
「だから、どうやってそれを?」
「......」
テイオーは黙った。かなりの間黙った。そうして黙ってから、ようやく口を開いた。
「タオルあるか?」
「え?タオル?」
私は思わず聞き返したが、テイオーはあくまで真顔で頷いた。
「そうだ。バスタオルみたいに出来るだけ大きな、大判のやつがいい」
「えっと、それなら私のスポーツバッグに入って──」
突然そんな話を持ち出され、私が戸惑いながらそう言いかけた時、テイオーは突然踵を返すと、そのまま歩き出してしまった。

「オペラオーが鍵になるなら、対の扉はシュヴァリエだ。必ず開いて、ウララに中身を見せてやるさ」

遠ざかるテイオーの背中を見ながら、暫くは追いかけるかどうするかを迷っていた私だったが、結局私はその場に留まり、深くため息を吐いた。

「結局、どうするつもりなのよ......」

[newpage]

私はオペラオーを振り返った。今度はウララが激励を送っているようだったが、オペラオーの反応はというと、やはり芳しいものではないようだ。
「ねえオペちゃん、さっきはあんなに沢山うどんを食べたんだから、今度は元気100倍!もっともっと走れるようになってるからね!頑張ろうよ!うどんパワーだよ!」
「ウララ君......うどんは皆んなが食べたじゃないか。皆んなが食べて皆んながパワーアップしているんなら、ボクはまた不運の渦に飲み込まれてしまうよ」
「えー、そうなの?そうかなぁ?」
「そうさ。それに、シュヴァリエさんの走りを見たろ?現役の2勝レーサーなんだろ?デビュー前のボクなんかがかないっこないんだよ」
「でもオペちゃん、勝負はさ、やってみないとわかんないよ?」
「あの人は黒騎士さ」
「くろきし?」
「そうさ。主人なしとて闘いだけを求め、戦場を彷徨っては渡り歩く。中世ではそのような人物をそう呼んだんだ」
「よくわかんないけど、強いってこと?」
「そうだよ。戦う為に生まれてきたようなウマ娘さ。とてもとても、ボクなんか──」
力なく首を振り、うな垂れるオペラオーの前で、ウララは両手の拳を振り回すようにして鼓舞を繰り返した。
「でも、やってみないとわかんないよ!」
「さっきやったじゃないか!また同じことになるだけだよ!」
「全然違うよ!今とさっきとじゃ、オペちゃんは全然違うオペちゃんになってるかも知れないんだよ!それを確かめに行こうよ!それを確かめないなんて、もったいないよ!」

ウララの言葉が私を驚かせた。そして、オペラオーの顎を上げさせた。

(まさかウララは、レースの本質、トレーニングの真髄を掴んでいるというの──?)

私がそう思った、その時だった。


「不甲斐ない──」

突然、あらぬ方向から声がかかった。テイオーの声だった。私たちが視線を向けると、彼女は確かそこに立っていた。だが、その気配が恐ろしく分厚い。立ち姿までがまるで別人である
いや──違う。
この姿を私は見たことがある。
しかも今朝だ。
カンフーの修行の後、テイオーがオペラオーとの不思議なやり取りの中で見せたあの気配。あれと同じだ。一つ違う点としては、先刻テイオーが目当てにしていたタオル──学園の購買部で取り扱っている、ロゴ入りのバスタオルである──を手に持ち、その一枚を自分の両肩にマントのように掛けていることだった。

「オペラオー......貴様、恥を恥とも知らぬ三下に成り下がったか」
その言葉を受けて、オペラオーは慌てたように立ち上がり、返した。
「て、帝王!いつからこちらに!」
テイオーは数歩、オペラオーに歩みよると、手にしていたタオルをウララにそっと手渡した。
「たわけが。我が娘が膝を抱いているというのに、知らぬ顔しておれる親がどこにいる」
「あまりに勿体なきお言葉......このオペラオー、感情に支配され我を忘れておりました」
「ふん、小童風情が一人前に悩んだりなどするからだ。さりとて人とは誰もが迷い、悩むもの。路傍の石が人を躓かせることもあるが、そこから立ち上がることは、人にしか出来ぬのだぞ。しかと覚えておけ」
「はっ!今日より肝に銘じます!」
突然始まった『テイオー劇場』が、目まぐるしく展開していく。間に挟まれたウララだけが、翻弄されたように視線を交差させていた。
「え......テイオーさんはさっきまで目の前にいたでしょ?どうしたの?2人とも、何言ってるの?」
そんなウララの様子を歯牙にもかけず、テイオーは言った。
「ウララ」
「は、はいー!?」
「それを、オペラオーの肩に掛けてやれ。紋章を下にな」
紋章とは、学園の校章ロゴのことだろうか。有無を言わさぬ響きに気圧され、ウララは返事も忘れてその言葉に従う。

(一体何を──?)

程なく、オペラオーの両肩にはタオルが掛けられた。下がった布の中央に見える校章のロゴマークが、やはりそれをマントのように見せていた。
「掛けました!」
ウララが一仕事を終え、そこでテイオーを振り返った。
「よし。オペラオーは跪け。ウララは裾を持って後ろに立つんだ」
「はい!」

テイオーとオペラオーによる世にも奇妙な寸劇は、ウララを巻き込み、第二幕に移ろうとしていた。

テイオーの右手が、やおらオペラオに向けて翳された。

「今、神の手に成り代わり、今、全ての祝福と共に授ける」

その口からは、かくも厳粛な文言が滑らかに流れ出る。
いつしか私は、その声に耳を、目を、そして心を奪われていた。

覇王を目指す者よ
テイエムオペラオーよ

今ここに、汝の使命を授ける

決して裏切ることなく
決して欺くことなく
汝の宿命を全うすることを誓え

仇なす者を恐れず
弱き者に寄り添い
常に驕らず、誇り高く、堂々と
全ての学徒、全てのウマ娘の模範たらしめん事をここに誓え

今こそ我は、全ての正義に従って汝に命ずる

三女神の御心の下に
このアキツテイオーの名の下に

テイエムオペラオー
汝を今より騎士と叙任する

言葉を終えたテイオーが背を屈め、マントとしたバスタオルを正面に翻すと、オペラオーは、その裾に位置する校章に、そっと口付けした。
テイオーの手がオペラオーの右肩に、そして左肩にと静かに置かれ、その後オペラオーが慇懃に頭を垂れた。

(騎士の叙任式だわ......)

かつて私が少女であった頃、夢中で読んだ古い騎士道小説の中に、この光景があった。若武者はその志を示そうと、主人は自らの宿命に導き誘おうと、互いの命運を互いが託す厳粛な儀式である。それと比べると、テイオーの言葉と振る舞いには多くのアレンジと自己流が織り交ぜてはあった。だが、そんなファンタジックな様式美を、テイオーは即興でほぼ完璧に創り上げていた。

「よいか」

オペラオーを立ち上がらせた後、テイオーは──否──帝王は告げた。

「ヤツは強い。それは間違いない。しかしたとえそうだろうとも、貴様がウマ娘としてこの世に生まれ落ちたからには、決して避けて通ることの出来ない闘いというものがある」
オペラオーが頷いたのを見て、帝王は続けた。
「今貴様が騎士ならば、ヤツもまた騎士だ。だがヤツと貴様との間には決定的な差がある。それが何かわかるか」
問われたオペラオーは即座に答えた。その目は迷いなく前を向いていた。
「私は!アキツ帝国騎士団ヴェルディ大隊所属、テイエムオペラオーであります!」
「違う!お前は隊長だ!」
「た、隊長に就任しました、テイエムオペラオーであります!」
「違う!千人長だ!」
「せ、千人長でありますか!?あ、あ、ありがたき幸せぇ!」
オペラオーの目から涙が一筋、頬を伝った。
本気で泣いているのか?
私は引いた。
だがその涙を受けてか、帝王の演説はさらに熱を増した。
「そうだ!学園を捨て、主人を持たぬシュヴァリエなど、所詮は流浪の黒騎士に過ぎぬ!示せ!あの者の前に貴様の騎士道を示すのだ!貴様の走りを!生き様を!」
「御意!」
「闘わずして臆するは騎士の恥と知れ!闘いの中に常に道はある!闘いこそが覇王の玉座へと貴様を導く、唯一の道なのだ!さあ──行ってこい!」
帝王が力強くレーンを指差した。
蹄鉄シューズの踵を鳴らし、オペラオーが直立不動の姿勢から敬礼を見せた。

「秋津洲の御旗にかけて!」

そしてそのように叫んだ後、そのレーンめがけて猛然とダッシュする。背後に立っていたお陰で土煙をまともに浴びたウララが、マントの裾を持ったまま、キツネに摘まれたような表情を見せていた。やがてテイオーは自分の首からからもマントとしていたタオルをむしり取ると、それをウララに手渡した途端、力尽きたかのようにその場に座り込んだ。そして呟く。

「つ、疲れた......」

終わった──のか?

そう思った私が、ようやく二人に近づいてみると、役を解いたテイオーはぐったりとした様子で頭を下げていたが、私の姿を見るなり驚いたように目を見開いた。
「見てたのか!?いたのか!?今の!」
「え?ええ。見たわ」
「い、いつから!?」
「不甲斐ない、から」
「......あああ言うなぁ!恥ずかしいだろうがぁ!もう喋るなぁ!」
首をすくめた亀のように地面にうずくまると、テイオーはやり場のない怒りと後悔を拳に込めて地面を叩いた。
「チクショー!誰も見てないと思ったらからやったのにー!」
羞恥に染まり、顔を耳まで真っ赤にして荒れるテイオーを、ウララが残酷に追い詰める。
「ねえ、テイオーさん!わたしにもやって!」
「やらん!お前は走れてるだろ!」
「えー?だってカッコイイんだもん!私も『みはたにかけて』って言うから!ね!?」
「......ぁああもう嫌だぁ!」
たまらずテイオーが逃げだす。
すかさずウララが後を追う。
手にはタオルを持ったままだ。
私はそれを少しだけ哀れに思ったが、結局何もせずにただ見送った。


「テイオーさん!わたしにもやってよ!ねえ!やってよー!」
「誰がやるかー!」

ウララとテイオーの追いかけっこは、レースを超えてトラックを抜け、商店街まで続いた。らしい。

 


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