見出し画像

#5 昔はどんな子どもだったのか ”巨大大宮迷路では残念のクッションを置いて” 「書く習慣」

「書く習慣」1ヶ月チャレンジの5日目は、昔はどんな子どもだったのか

75%25%の割合

こども時代は、やりたい事の75パーセントは、意欲的に思いのままにやっていたこどもでした。

残りの25パーセントは、よく気が回るタイプだったので、他の人と比べたり、相対的な居場所が気になることがありました。

もどかしさや、恥ずかしさを小瓶にぶら下げている感じを思い出します。

その頃は、もっとポピュラーになったり、もっとカッコいい服が着れたりしたら、無くなるんではないかと思ってました。

いまだから分かりますが、あれが、自分との付き合い方、1丁目1番地だったのですね。

残念のクッションを置いて

親が残念がるのを見るのがとても嫌でした。
先回りして色々な心配をしたり、最悪の事態を想像することで自分のショックを和らげていました。

いまでは地図を読むのが好きですが、それは、こどもの頃、感覚で道を選ぶ母が、迷って残念がるのが、嫌でしょうがなかったからだと思います。

大宮辺りの道の複雑さが、こどもには解けない迷路のように見えました。

一方通行や大きなトラック、そして、右折専用車線など、行ったら戻れない、戻っても、どの道か分からない。

巨大大宮迷路。

後ろの席から、残念な母の顔が見たくない、その気持ちを強く覚えています。

まだ時間はある、きっと着くはずだ、と残念な状況を和らげようと、心の
クッションを配置しながら、巨大大宮迷路を凝視していました。


Photo by CHUTTERSNAP on Unsplash


サポートいただきありがとうございます。