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病院薬剤師が語る歴史人物数珠つなぎ~「道長と藤原摂関家」編~❶藤原兼家

もし薬学の道を選ばなかったら日本史の先生になりたかった私、病院薬剤師だまさんによる、ちょっとマイナーな歴史上の人物を紹介するブログです。

本シリーズでは、摂関政治で頂点を極めた藤原道長を起点に、その祖先から子孫に至る流れをたどっていきます。


難解な「政争」というイベント

長い歴史の中、諍いは絶えず生じてきましたが、「謀反」とか「反乱」とかはまだわかりやすいイベントと言えます。

なぜなら、勝者には「大義」があるからです。

それが「政争」になると俄然複雑になります。

相手に非があろうとなかろうと、権力者に潰されることもあるからです。

私自身、平安時代、藤原北家が摂関家として覇権を握ったところまでは知っていましたが、同族内でもバトルロイヤルが演じられたことまでは詳しく知りませんでした。

ところが、今年大河ドラマ「光の君へ」を視聴したことでモヤモヤが一掃でき、非常に満足しました。

「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」

この「望月の歌」に示唆されるように栄華を極めた道長ですが、実際には実の兄(道隆)や甥(伊周)たちと延々権力闘争するハメとなり、また念願の「外戚」になるまでの道程も決して平坦ではありませんでした。

その苦労に同情する一方、器の大きさに改めて納得もしたところでした。


権謀術数のデパート

さて、その道長の実父・兼家です(929-990年)。

※知名度の高い道長は本稿では取り上げません(なにぃ!)

「光る君」では、段田安則が「野心・狡猾・厚かましさ」むき出しの兼家を怪演して非常に見応えがありました(安倍晴明を重用したのも○)。

二人の娘(超子・詮子)をそれぞれ冷泉天皇・円融天皇に入内させて「外戚」としての地位を獲得した後は、その強み(と陰陽師の呪力!?)を最大限に活用して頂点にまでし上がっていったからです。

まさに「権謀術数のデパート」と言えるでしょう。


史実上はこんな感じだったようです(まとめ動画です)。

兼家は三男であり、当初はまだ頭の上がらない親族が沢山いました。

しかし、寵愛していた女御・藤原忯子が急死して絶望した花山天皇をそそのかして出家させて退位に追い込むという画策をしており、栄達するためには手段を選ばない怖さがありました。

※帝のよもやの出家のため、政敵だった甥の義懐や北家の長老で時の関白・頼忠をも失脚させています(寛和の変)。

兼家の誤算は、没後に嫡男の道隆(道長の兄)が飲水病(糖尿病)で早逝、更には孫の伊周も長徳の変で没落してしまったことでしょう。

結果として、五男の道長に幸運が転がり込むこととなりました。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次回は兼家の父親・藤原師輔の時代に遡ります。

お楽しみに。

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