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北京五輪の閉会式——東京2020と北京2022を振り返って

北京オリンピックが終わる。

開会式ではウイグル人の選手が聖火ランナーの最終走者を務め、「やりやがった! ウイグル問題を取り繕う政治アピールだ!」とも思った。

一方の閉会式はLEDや床面の映像による演出が華を添えるものの、全体的には厳かな雰囲気で式典が進んでいく。演出の巧拙は前年の東京五輪と比べるまでもないので、これ以上何も言いたくない。

選手入場のBGMでベートーヴェンの交響曲第9番が流れた。

世界の何百万の人々との愛をうたい上げた「歓喜の歌」。これがここ数年来、各国に戦狼外交を繰り広げる習近平の前で流れるのは皮肉だ。(もっとも、ここ最近の「世界の悪役」は習近平からプーチンに移った感もある)。

ラストの花火で描き出された「ONE WORLD」、「天下一家」のメッセージが真実であることを望みたい。

今回の北京五輪は外交ボイコット問題やジャンプ団体戦のスキーウェア問題、ワリエワのドーピング問題で常に揺れ続けた。選手村での大規模な感染拡大はなかったが、新型コロナ感染により出場が叶わなかったり、入国が遅れたりした選手もいた。大会前半は降雪に恵まれず、人工雪でこしらえた競技会場も多く、ケガの危険が大きい競技もあった。

そんな北京五輪が終わった。


私自身は、これまでスポーツを見たときに某匿名掲示板や某ニュースサイトのコメント欄、Twitter、自分自身の日記に感想を書き残していたが、Twitterや日記の記述は断片的だし、匿名掲示板やコメント欄の記述は時間がたつと消えてしまう。

スポーツは選手が歩んできた人生の縮図だ。印象的な競技を見たときに「面白かった」で忘れてしまうのではなく、自分の感じたポイントを文字で残しておくことは意義があると考えた。そのため、北京五輪の中盤にWordPress、終盤にnoteのアカウントを開設し、書き残すようにした。

昨年7~8月の東京五輪からわずか半年のインターバルで開催された北京五輪。東京五輪が終わってからも、パラリンピックや世界体操、野球やソフトボールの国内リーグ、フィギュアやカーリングなどの日本代表選考戦、東京五輪の関連イベントが続いたため、自分にとってはオリンピックが半年以上にわたって続いてきた印象がある。まだパラリンピックは残っているが、その祭典が終わるのは寂しい。

次のパリ五輪まで2年半、ミラノ・コルティナ五輪まで4年あるのは、相当待ち遠しく感じるだろう。

これからもスポーツを見ていきたい。

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