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西部標準時ー日本統治時代の台湾の時差

数年前になるが、台湾でこんな話が出ていたことをご存じだろうか。

「タイムゾーンを日本(と韓国)と同じにしろ!」

現在、台湾の時間ゾーンはGMT+8となっている。わかりやすく言うと日本より1時間遅い時間帯である。それを日本や韓国と同じ時間帯にしろという提言が、政府の政策委員会に寄せられたというのだ。

理由は、中国との差別化。委員会は2ヶ月以内に政府として何らかの見解を出すとしているが、これは2017年の話。それ以降は何の話も出ていないので、見解はNoだったのであろう。

ところで、日本統治時代の台湾と内地の時差はどうなっていたのであろうか。
今回は、意外と知られていない日本時代の台湾の時間帯の話。

■大日本帝国の時差

現在の日本の時間帯は、言わずと知れたGMT+9で、時間帯は一つしか存在しない。
が、戦前にはGMT+9だけでなく、国家が法で定めるもう一つの時間帯が存在していた。それが、台湾を中心とする「西部標準時」である。

ご存じのとおり、1895年(明治28)の日清戦争の下関条約において、台湾をが割譲されることになった。

台湾領有の約半年後にあたる12月、以下の勅令が定められた。

◆明治二十八年勅令第百六十七号(標準時ニ関スル件)

第一条
 帝国従来ノ標準時ハ自今之ヲ中央標準時ト称ス

第二条 第二条 東経百二十度ノ子午線ノ時ヲ以テ台湾及澎湖列島並ニ八重山及宮古列島ノ標準時ト定メ之ヲ西部標準時ト称ス

第三条 本令ハ明治二十九年一月一日ヨリ施行ス

兵庫県明石市の東経135度が中央標準時と設定されていたのだが、この勅令により「西部標準時」も制定された。日本に時間帯が二つ誕生したのである。

興味深いのは、新設の西部標準時のエリアには台湾だけでなく、沖縄県の八重山諸島、宮古島も入っていること。当時の日本政府も、地理的に近い諸島を同じ時間帯に入れるという粋な計らい(?)をしていたのである。

その後、この西部標準時は満洲国にも適用された。

この西部標準時について、ある人がこんな記述をしている。

「途中、1日に時計の針を二十分ずつ進めるのも、公学校の国語読本に書いてあったとおりで面白かった」

王育徳著『「昭和」を生きた台湾青年』p150

「昭和人」として人生を生きた台湾人の自伝の一節だが、彼は1937年(昭和12)に、姉が嫁いだ神戸を兄とともに訪問している。
門司まで2泊3日の船旅だったのだが、その時に時計の針を進めている。つまり、台湾と日本の間に時差が存在しており、それを公学校*1で習っていた証である。
*1 :日本時代の台湾で、日本語ネイティブではない本島人が通う小学校。内地人(日本人)や日本語能力に問題がない台湾住民が通う小学校とはカリキュラムなどが違っていた。

◆もう一つの時間帯

実は日本には、もう一つ、いや実質それ以上の時間帯が存在していた。

日本からはるかに南、南洋諸島の時間帯である。

南洋諸島は、厳密に言えば日本領ではない。が、日本は南洋庁という官庁を置き本格的に開発に力を入れ、当時の国際社会も「実質日本領」と認識されていた。南洋諸島を「外地」に入れる研究者もいる。

その南洋諸島には、東西に広かったせいか時間帯が3つも存在していた。南洋庁が置かれたパラオなどの南洋諸島西部時間帯(UTC+9。日本と同じ時間帯)、サイパンなどの中部時間帯(UTC+10.日本より+1時間)、そしてやルートなどの東部時間帯(UTC+11。日本より+2時間)である。
南洋諸島を含めると、大日本帝国には4つもの時間帯が存在していたのである。

■そして統一へ

しかし、交通網の発達、特に航空機の旅客輸送が始まったのと、ラジオの登場により、国内に時間帯が複数あることが足かせになってきた。

そこで、1937年(昭和12)9月24日に公布された勅令第五百二十九号で、「標準時ニ関スル件」の第二条が廃止された。つまり、西部標準時が廃止され、内地と同じくGMT+9となったのである。3つの時間帯があった南洋諸島も、UTC+9と+10の二つに改編された。

上に記した王育徳が、台湾から内地へ向かったのは1937年の7月。船上でシナ事変*2の一報を聞いたというので、上旬のことだろう。
1ヶ月の滞在後に台湾へ帰還したのだが、帰還西部標準時が廃止となったのが9月なので、偶然ではあるが歴史的に西部標準時が存在し、経験し、そして文章に記した最後の人物となった。
*2 :盧溝橋事件と思われる。

これにより日本領はすべて中央標準時に統一され、「標準時ニ関スル件」も第二条が削除された状態で現在でも有効な法律なのだが、興味深いのは「中央標準時」の名称は現在でも用いられているということ*3。上記のとおり、日本の台湾領有という出来事からこの名称が始まったので、台湾が日本領になった「記念」の生き残りという見方もできる。現代日本にも、台湾が日本領だった残滓が意外なところで残っているのである。
*3: 日本標準時という呼び名もあるが、正式名称は中央標準時


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