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それでも生活は続いていく人生

普段ドラマは積極的にチェックして追うタイプではないのですが、うっかり観たら一週間で一番の楽しみになってしまったドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」。

先週5月18日に放映された第6話で第一部が終了という事で、区切りも良いので自分の中の感想なども交えつつ紹介したいと思います。(削ったはずなのに思ったより長く…ただただ私が話したいだけなのがばれてしまう…!)


“バツ3”大豆田とわ子と個性豊かな元夫たちが中心となって織りなす、面倒で愛おしい会話劇

「まめ夫」最大の面白さは、なんといっても脚本を手がける坂元裕二さんの色でもある会話劇。

清少納言とステーションワゴンくらい関係ないよ
「犬派ですか猫派ですかって聞かれるより嫌い」
「紙でピ!って手切れるより嫌い」
「おやすみの日は何してるんですかって聞かれるより嫌い」
「ビュッフェのカレーのお玉の持つところにカレーついてるのより嫌い」
「椅子に座ってから券売機で食券買ってくださいって言われるのより嫌い」

連想ゲームのように飛び交う会話は、頭の回転が速い人たちの会話って感じがして聞いているだけで楽しくなってしまう。(なんて頭の悪い物の言い方…)
IPPONなどの大喜利を見ていても思うんですが、個人的にこういった会話がどのくらい面白くなるかは「意外性(発想力)」と「共感性(普遍性)」にかかっていると思っています。要は元のお題からどれだけ外れた領域且つ普遍的なものに素早く共通点を見出せるかなんですが、坂元さんの言葉遊びは流石でそのポイントをうまく付いているように思います。全国放送のドラマなので多数に伝わるモチーフを選ぶのは当然なんですが、絶妙な”分かり”の快感が絶えずある。

挨拶を大事にしろって言う人は、挨拶って漢字で書けるんですかね

こちらは岡田将生さん演じる3番目の元夫・中村慎森(しんしん)の台詞。彼は超合理主義的性格ゆえに「〇〇っている?必要かな?」という問いかけを何かにつけてします。その質問は和やかな雰囲気の会議すらも凍らせ…。ただ、彼は私たちが思考すらしない根本のところから「なぜ?」という深掘りをする。
「挨拶が必要な理由をあげろ」と言われた時、例えばそれが敵意のない表明になるからとか、相手に自ら声かけをすることで心象が良くなるからとか…何かしらの答えは出せますが、考えてみると「挨拶が大事」だと思っている大半の理由が幼少期の刷り込みだったことに気づきます。こんなに身近だった挨拶の理由について、きちんと考えたことがなかったのです。(漢字はギリギリ書けました良かった〜)
「考えないこと」がデフォルトになっているものが身の回りにたくさんある事を、元夫の発言で気付かされる。彼が「〇〇っているかな?」という発言をするたびに、なんだか良い思考のトレーニングになっている気がします。


創意工夫と舞台的「見立て」の演出

ドラマがはじまるとまず聞こえてくるのは、STUTS手がけるエンディング曲が華やかにアレンジされたBGMと共に流れる伊藤沙莉さんのメタ的ナレーション。
1話分のポイント(割とどうでもよい部分だったりはするが)を先に教えてくれるのですが、ドラマが始まっているのに予告を入れられているような感じで。回を追って登場人物の人となりがわかってくると、「今回もやってくれるんだな!」と期待してしまいます。エンディングが毎回変わるのも楽しい。

第6話「第一章完結・全員集合地獄の餃子パーティー」では主人公とわ子が不在の中、とわ子の父に呼ばれ元夫ズ・それぞれが出会った女性ズの合計6人で餃子パーティーをするシーンがあります。
みんなで餃子を包んで焼いて…絶対に楽しいはずの餃子パーティが地獄になってしまったのは、それぞれ元夫ズに恋心を抱いていた女性ズが、「今まで出会ってきたダメな男トレカ」という話題で元夫ズのことをチクチク刺してしまったからだ。

弁明するも完全に論破され、いたたまれずにキッチンに逃げてきた夫ズ。

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カウンターキッチンが、なんと女性陣との間を隔てるバリケードに見立てられている…!
(「男子厨房に入らず」という失言をしてしまった大豆田父→厨房に入り餃子を作る夫ズ→厨房にしか居場所がなくなる男子 という構図の変化が良いですね)
世界中のカウンターキッチンをお持ちの家庭では、バリケードとしての役割を与えられるキッチンも少なくないのかもしれないですが。話の進行によって色んな意味を持たされる要素を発見するとすごく楽しい。6話は掛け合いの見事さもそうですが、演出が舞台のようで面白かったです。

地獄の餃子パーティーが繰り広げられている最中、そして会社もとある事情で大混乱の中、大豆田とわ子は病院に向かっていたのでした。


限りなく劇的にならない人生の終わり

突然、とわ子の親友が死を迎えた折り返しの6話。
市川実日子さん演じるとわ子の親友「綿来かごめ」という人間は自由奔放に見えて全くそうでもなくて、そしてドラマにしてはきっと珍しい部類のキャラクターで。タイトルに名前こそ無いものの、ロゴの緑豆くらい…というと変かもしれないけど、とても大きな存在であることを視聴者全員が理解した直後に心筋梗塞で倒れて、そのまま。

そこからは、ディキシースタイルかな?の軽やかな音楽に乗せて慌ただしく葬儀の準備を進め、葬式を迎え、見送りのシーン。どれだけ自分にとって大きな存在を失ったとしても、近ければ近い人ほど残された人のやる事は多いし仕事は待ってくれない。
思えば第1話の始まりも母の死から始まっているが、悲しくない訳がないのに浸る間もなく生活は容赦なく続いていくことをこの作品は淡々と描いている。自分の人生が終わるまでそうなんだよ、とでも言う風に。
結果として強く印象に残る展開にはなりますが、「死」を劇的に華美演出しないところ。葬儀も仕事も一通り落ち着いたあと、とわ子一人で悲しさを受け止める演出。それが良かったです。私はまだ受け止めきれてないですが!!落ち着いたら、いつかかごめについても何か書いておきたいな。


タイトルロゴに見る寓話性


坂元裕二さんといえば記憶に新しいのが映画「花束みたいな恋をした」ですが、「カルテット」「mother」「最高の離婚」「東京ラブストーリー」など数々のドラマを生み出したヒットメーカーです。
名前を覚えたのが「カルテット」だったので何となく社会派の印象が強く…。今回のドラマタイトルといいロゴといい、視聴前は特に「可愛すぎないかな…?」と正直感じていました。

改めてロゴを見てみると、

・メリハリのある明朝体+3本線を組みあわせた「大豆田とわこ」
・レトロでクラシカルな印象の「三人の元夫」
・豆モチーフのアクセント

で構成されていることが分かります。
抜けているところはあれど、設計会社の社長をつとめる自立した女性とわ子に深く関わる3本の線(元夫)たち。「三人の元夫」のフォント選びや表現はなんとなく「三銃士」を思い起こすのですが、合ってるんじゃないかな…どうなんでしょう?
三銃士のお話までは知らなかったので調べてみたら、銃士を志してパリに出た若者が三銃士と協力して困難を解決する物語だそうで。(人物構成も似ている…?)
もしロゴ、というか作品自体のインスピレーションの一つとしてこの「三銃士」があるのなら、寓話つながりで大豆田とわこの名前から「ジャックと豆の木」を連想してもいいかもしれない。幸せを掴みたいジャックととわ子。そうすると妙に長いタイトルの寓話っぽさもなんだか納得できてしまう……のですが、ここまで考えたことがぜんぶ妄談臆解な発言だったらどうしようと怖くなってしまったので、この辺りで留めておこうと思います。


幸せの青い鳥探しを見守ろう、火曜日。

失敗なんてないんです。人生に失敗はあったって失敗した人生なんてないと思います。

あまりに見どころが多いので「どんなドラマか?」を総括しようとすると途端に難しく思えてしまうこのドラマ。
でも、6話までを見て「人生・人生観」はキーワードになり得るのではないかな?と思っています。スペインで使われる慣用句、C'est la vie.(これが人生さ!)が代名詞になるようなドラマなのかもしれないと。

……なんて言いつつ、とわ子と三人の元夫がわちゃわちゃとすき焼き食べたりしているだけで私はもう楽しい!ので、もうここからあと後半何も起こらないでいてほしいという気持ちです。何も起こらなくとも何かが起こっていくものなんでしょうけど。

公式サイトのイントロダクションには「果たして、四人はそれぞれの幸せを見つけることができるのか?」と書いてあるので、きっと幸せの青い鳥を見つけにいくのかな。これからも楽しみに視聴したいと思います。


……青い鳥って必要かな?そこにあるんじゃないかな?

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