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マインドフルネスって何だろう

年末年始、10日以上お休みのあった私は毎日細々運動をしていた。一日置きにエアリアルヨガに行き、お出掛けした日は20000歩以上歩き、朝起き抜けに軽くストレッチもしていた。

2020年の目標を帰省の新幹線の中で考えていたときにぱっと思いついたのが、運動の習慣を取り戻すことと、ピラティスによる身体機能についての勉強を再開したいことだったので、早速行動にしたかった私は大晦日から早速始めることにした。


私のピラティス歴は、花の仕事に携わる期間とほぼ同じ。重労働と言われる業界で健康に働くために通い出し、今思うと本業への意識が浅かった私は時間の余裕があったこともあり中級インストラクターまで取得して、先生について企業の福利厚生プログラムのアシスタントも行なっていた。ゆっくりだけど日々変わる自分の姿勢や筋肉の付き方、それによる僅かな自分に対する自信を感じる毎日だった。

敢えて運動として時間を取らなくなったのはここ一年半のこと。職場を変えて、自分が本当に美しいと思える花を作る環境に変わったことで、それまでいつかは2足の草鞋でと思っていたけれどこの道はそんなに甘くない。先ずは一旦仕事に集中したかったから。運動量は多い。仕事をするだけで歩数は1万歩を超えるし、重いものも運ぶので筋肉は落ちないし身につけた姿勢も保っている。ただ、ピラティスからは離れてしまった。トレーニングはもちろんだけど、もっと大きかったのは自分の筋肉の状況、不安定さ、いわば自分の体の状況に時間をしっかりとって集中して向き合うということから。


『マインドフルネス』という言葉がよく日常目にするようになって久しく、その辞書的意味は目にしても実感するのは難しい。『今この瞬間を大切にすること』なんて書かれた日には、もっと分からなくなる。この定義は酷いというか、私には全く響かない。下のwikipediaの定義がまだしっくりくる。

今現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり[1][2][3]、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる[2][4][5]。マインドフルネスの語義として、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある

去年色んなことに悩みながら、私もマインドフルネスというものをを感じたいと思いながら、全く理解できなかったこの感じが突然掴めたのが大晦日にエアリアルヨガのスリングに逆さまにぶら下がっている時だった。力を抜いてじっとしていたら、いつもの方向からの重力から解放されて腰や肩の関節の力が抜ける。いつもと違う血液の流れを感じる。私の体がいつもと異なる反応をしているけれど何が違うんだろう。何だかとても面白い。

この感じ、昔ピラティスを学ぶ過程であったかもしれない、そんなことを感じていた。探そうとしても見つからなかった、マインドフルネスって何?という問いのほんの端っこを突然掴めた感覚だった。きっと逆さまといういつもと違う感覚を体が感じたことで掴めたんだと思う。これは何?って正にその時において怒っている経験に注意を自然に向けたから。


その経験が楽しいというか何だか気持ちよく感じて、実家にいる間通えるだけレッスンに通った。朝ストレッチするときはどこを伸ばしたいのかに加えてどこが伸びているのか、小さくてもどこに痛みがあるか、注意深く探すように感じるようになった。マインドフルネス瞑想は出来ないけれど、その入り口は運動によるその時の体の僅かな変化にあるのかもしれない。少なくとも私の場合マインドフルネスの入り口はきっと運動にある。

仕事に集中しよう、今は学びのときで他は少しお休みしようと走り出して2年。不器用な私も流石にそれだけ集中したら少し余裕をもって働けるようになった。この余裕を担保にもっと仕事をすることも出来るのだけど、今年は少し穏やかに過ごしたいと思っている。もちろん一生懸命仕事するには変わりないのだけど、休むこと、楽しむことにもちゃんと心身を向けたい。

そのためにこのマインドフルネスの意識をもっと掴んでいきたい。そのためにも、運動や身体機能に、一つ一つの筋肉の動きにフォーカスするピラティスをまたちゃんと学びたい。切掛になったエアリアルヨガに暫く通ってみるのもいいな。

自分を慈しむ手段としてのマインドフルネス、そのための運動、とても良い組み合わせな気がする。少しずつ、始動しよう。

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