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世界一嫌いな食べ物に心を救われた件

 僕は、他人と食事ができない。お酒を飲み始めたのがきっかけでうっすら克服したけれど、それでも家族以外の誰かと「楽しくおいしく食べる」の域に達するまでには、まあまあな数の段階を踏む必要がある。誰かとの食事では「残してしまったらどうしよう」で頭がいっぱいになって、喉が塞がって、水しか飲み込めない。

 原因は明白。小学校の完食指導だ。

 完食指導とは、いわゆる「給食は残さず食べなさい」という指導のことだ。小さい頃から偏食で少食で、さらに食べるスピードがぶっちぎりで遅い僕には、これが尋常ではないほど合わなかった。そして小3のときの先生が、これまた尋常ではないほど厳しく指導する人だった。

 味も食感も想像のつかない料理が怖い、時間内に食べ切れる自信がない、残したらまた叱られる……なんてことを、毎日4時間目の途中から延々と考えていた。すると当然ながら緊張する。緊張すれば、自動的に食欲が消し飛んでしまう。一向に食べ終わらない僕を見たクラスメイトが、机を囲んで応援してくれる。でも、そんなことをされたらプレッシャーで余計に食べられない。当時の僕にできたのは泣くことくらいだ。先生の機嫌が悪い日には、掃除の時間になっても片付けさせてもらえなかった。

 恐怖の給食、爆誕。

 そんな「世界一嫌いな食べ物は、学校の給食」とあちこちで言っていた僕が、去年の9月から週に2回給食を食べる生活を送っている。小学校の学習支援員として、アルバイトを始めたからだ。そしてその仕事のなかで、皮肉にも給食に救われる日が来た。



 アルバイトのきっかけは去年の夏、知り合いの教頭先生からスカウトされたことだった。「給食が嫌だから行かない」と言い張る僕に、先生は「それくらいどうにでもしてあげる。とにかく手を貸してくれ」と繰り返し電話してきた。それに根負けしてかれこれ半年働いたし、今年度にいたっては1年間に延長した契約で更新されている。

 何がすごいってこの先生、約束通り本当に給食はどうにかしてくれた。僕の役職上、給食は職員室で受け取ってどこかのクラスへ食べに行くのだけれど、先生が繰り出す「自由に減らしていいよ」と「そんくらい食べぇ!」の上手すぎるアメとムチによって、普通に子どもたちと給食を食べられている。なんという奇跡。トラウマの克服に必要なものは、適切な配慮と慣れに違いない。This is 曝露療法。

 こうして健全かつ順調な給食ライフを送っていたある日のお昼、ひじきの煮物が給食に出た。

 僕はひじきの煮物が苦手だ。なんというか、髪の毛食ってるみたいで無理。磯の香りも妙に生き物っぽくて、髪の毛らしさが際立つから無理。あとあれにほぼ100%入ってる大豆、豆のくせに味も匂いも髪の毛に染まるな。

 献立表を熟読するプロの僕は、当然コイツを何週間も前からマークしていた。脳内シミュレーションだって完璧にこなしてある。コイツがいちばん少なくよそわれたお椀を取って0.5人前まで減らせば、他の料理の兼ね合いからして攻略可能なはずだった。

 当日、お昼前に職員室へ戻ってあらびっくり、すべてのお椀にどう見ても3人前ずつは入っていた。ひじきって1食にこんな山盛り食ってもええんか、と思う量。だ~いごさ~~~ん!(CV.某高級レストランのお値段当て番組ナレーション)

 仕方がないので手近なお椀を取って、食缶にごっそりお返ししようと思ったら、教頭先生が遠くから大声で言った。

「やめて! これ以上はみんなに分けられへんで食べて!」

 だ~~~いごさ~~~~~ん!

 今世紀最悪のタイミングで「そんくらい食べぇ!」が発動したこの恐怖、お分かりいただけるだろうか。一気に緊張が走って、僕の喉~食道の機能は2秒でシャットダウンされた。

 ここで負けたら、僕はひじきどころか今日の給食自体が喉を通らない。給食指導業務どころではなくなる。さあどうするか、脳がぶん回る。

 ぶん回った結果、年齢不相応の駄々をこねた。

 僕の本気を目の当たりにした教頭先生は、引き気味の顔で給湯室のお椀を持ってきて、半分に減らしてくれた。これは残業する先生へ、夜食として差し入れしておいてくれるらしい。それでもまだこの右手には、シミュレーション時の3倍ものひじきが鎮座しているのだけれど。

 恐怖の給食、Re:born。



 この後どうなったかというと、割り当てられていた2年生の教室に移動してもそもそと食べ始め、8歳児たちに「給食に苦戦する21歳児」をかなりの長尺でお届けした。「もっとバクって食べな! 大人やろ!」とか「今日はせんせーが“ワゴン”や!(訳:ごちそうさまのビリになったから、給食のワゴンを廊下の奥まで返してきて)」とか、延々とイジられながら。毎日必ず「ワゴン」になる子が、僕より先に食べ終わり、清々しい顔でドッジボールをしに出て行った。

 一方の僕は、結局残した。情けないったらもう。

 がっつり昼休みに突入して、下手すれば授業が始まるという時間になった頃、見かねた担任の先生が職員室に帰るよう促してくれた。めちゃめちゃ笑いながらだったけれど。

 普通の人ならあと一口で終わるであろうひじきを抱えて、心底ホッとした気持ちで職員室に帰った。みんな教室で食器を返してしまうから、職員室に食器を持ち込むととても目立つ。目を丸くした教頭先生に「やっぱり無理だった」とこぼした瞬間、先生は手を叩いて大笑いした。息を整えながら目元も拭った。それだけでは飽き足らず、職員室に戻ってくる何人かの先生に一部始終を説明しては爆笑をかっさらっていた。

 不思議なもので、どこで誰にどれほど笑われても、全然嫌じゃなかった。むしろ「ご飯って、残しても怒られないし、みんなこんなに笑い飛ばしてくれるんだ」という、衝撃と安心で満たされた。数十分前までの僕は何が怖かったんだっけ、と本気で思わされるほどのパワーがあった。

 もちろんご飯は完食するに越したことはないのだけれど、どうやら「できる限り頑張った、でも食べきれなかった」は、僕が想像するような重罪ではないらしい。

 完食指導に呪われて14年弱。ようやく、完全に会食を避けるでもない、お酒に頼るでもない、健康的な「身軽さ」を取り戻せた気がする。



 大人になった今でも、初めて見る料理は怖い。外食の約束をするときは真っ先にお店を決めて、初めて行くお店なら必ず事前にメニューを調べる。それでダメならフライドポテトとお酒でその場をしのぐ。20歳になってすぐ、真っ先にできるようになりたかったのが飲酒だった。だってこうして、食べていなくても場を楽しんでいる顔ができるから。

 きっとこの先も、ずっとこうしてかわしていくんだろうなぁ、とぼんやり諦めてきたのは、たとえどんなに外食慣れして克服しても「でも、給食は食べられなかった」という劣等感の根源を絶やせないと思っていたからだ。けれど、意外とそんなことないのかもしれない。

 今週から、また今年度の給食が始まる。

 実は少しだけ、楽しみだったりする。

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