自己表現=言語化?
「表現力」と聞くと何を思い浮かべるか。
音楽、スポーツ、料理、写真・動画、、、
色々あると思う。
だが、その中でも話をしたり、なにかを伝える手段として「言語化」を用いる人達がいる。
決して否定はしないが、なにもそれだけに縛られる必要もないと思う。
「話す」というのは、あくまでお互いの共通認識だったり、お互いを理解しあうための手段の1つ。なのにも関わらず、それが上手く出来ないというだけで人間力や器量が測られてしまうのは、とても悲しいことだ。
ただ、いくら多様性だとはいえ、あらゆる表現を全て受け入れるのは難しい。だから、それらを受け入れる入り口として「言語化」はアリだと思う。
自分の場合は、ロジック(左脳)より、感覚(論理)を重視している。だから、「言語化」は己の感覚を最大限に引き出すためのプロセスであり、通過点に過ぎない。たまにこんな話をすると、「でも、もう充分言語化できてますよ」と言っていただける時もある。気持ちは嬉しい。ただ、その部分でしか評価されてない自分なのかと思うと、とても惨めにも思えるし、なにより屈辱だ。(ちなみに、自分にとっての感覚を活かした表現はアート、スポーツ、料理等)
きっといつかお互いの表現を認め合える日が来ると願い、今日もまた道なき道を進む。。。
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