ママごめん

こんにちはフォレだよ

昨日は、父方の祖母の家へ挨拶に行ってきた。
最年少は19歳の私で、他は年上しかいないということでかなり気を張っていた。

基本母の隣にいたわけだが、叔母といとこが口を揃えてこう言う。
「後ろ姿がそっくりで一瞬見分けがつかない」

母はぽっちゃり気味の50代女性であり、私はギリ標準体重のギリ10代女性である。
さすがに、年齢以上に綺麗にしているとはいえ母と比べられるのは、私も少々思うところがあった。最初はスルーしていたのだが、なんと何度も擦り続けるのである!

もうさすがに苛々してしまったのと、年上に囲まれて頭が混乱してしまったのとで、私はつい

「え、どこが?似てないよ…。」

と、めちゃめちゃ嫌そうに呟いてしまった。

私としては全く無意識に出た言葉であったし、だからこそその場では全く気に留めていなかった。
けれど、家に帰ってから考えると、私はなんで酷いことをしたんだと、本当に、本当に、反省している。言わなきゃよかったと、後悔もしている。

嫌そうに呟いた後の、母の
「そうだよね、嫌だよね」
という、母らしくない、どこか悲しそうな声、宥めるような声色を、私は忘れたくない。

正直言って、あの時の私の一言は、言葉通りの意味である一方、それ以上の意味も含まれていた。
というのは、似てないと思ったのは本当である。
けれど、似てないという事実より、私は母の体格と似てないということを思い込みたかったのだ。
母は太っている。私は違う。違うのに。こんな気持ちが、確かにあったのだ。


椎名林檎の「ありきたりな女」って曲、皆さんは知ってるでしょうか
この曲では、椎名林檎がかつて聞こえていた様々な音は、出産をして母となる過程で聞こえなくなってしまったという、母になる女性としての複雑な心情が描かれています(とにかく聴いて!)

私の母にとって、多くの母にとって、それは「女性としての美しさ」に置き換えられるのではないか。予想に過ぎないけど。

実際、母は出産後に体質が変わり、太りやすくなったと、昔冗談めかして教えてくれたことがある。
私を産むために手放さざるをえなかったもの。私を産まなければ、ママはまだ細いままで、顔は多少老けてたかもだけど、浮いたお金でアンチエイジングしまくってたかもしれない。

なのに私は、意地と自分を守るためだけの浅はかなプライド、幼稚な心、そんなもののせいで、母を否定した。私を産んだ母の身体を、否定して見下した。

中学生の頃、私が学校で容姿を馬鹿にされた時、母からの愛で救われた。
高校の頃も容姿でけなされたし、中学のフラッシュバックで毎晩鏡を見て啜り泣く時期もあった。
その時だって母は、誰よりも味方してくれたのに。どう見たってぐっしゃぐしゃで、酷く泣き腫らした私の顔を見て、不細工なんかじゃないと断言してくれたのに。

どうして私は、母の容姿を無意識に貶してしまったのだろう。

帰宅してからこのことに気づいて、文章を書いている今も涙が止まらない。
あっけからかんとしている人なので、今頃忘れているかもしれない。そもそも、そこまで気に留めてないかもしれない。
でも、それでも、私は気に留めなきゃいけないんだ。


母はいつまでだって女の子であることを、忘れてはいけない。
そしていつも、女として、ママの味方でいなくちゃいけない。自戒でした。


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