「きっと無理」にもう一度向き合うことにした -リーダーという役割-

きっと無理だろうな、と思って無視してきたことがたくさんある。
自分が苦手なことではなく、周りから勧められたことで。

1.リーダーになろうとした日

10代の頃、私は完璧主義と、自分が見下されることの恐怖心が異常に強かったような気がします。
それが災いしたことは多々あったし、むしろ災いの方が圧倒的に多かったのだけれど、良かったことを挙げるとしたら、リーダーの経験ができたことだと思います。

いろいろあって完璧主義や恐怖心はもうほとんどなく、考え方そのものがある転機からガラッと変わりました。その話はまたいつか…(というかすでに書いているかも)

初めてリーダーになったのは、小学生の頃だと思います。ただ記憶があまりになく、何をしていたのかは具体的に思い出せません。
その後中学3年で生徒会長になり、高校1・2年でクラスのリーダーを務めました。

思い出深いのは生徒会長になった時ですが、当時一部のクラスメイトとうまくいっていませんでした。(何が原因で何が本当か今でもよくわかりません。思春期特有のアレ、ということにしています。)

中学2年の頃にはそのクラスの雰囲気に耐えられず、ひどい胃痛を頻繁に繰り返し、謎の症状で大きい病院に通ったこともあります。(ストレスに体が反応しやすいタイプ)
最終的には入院するまでになったわけですが、その時に原因だった子たちからの反応があまりに衝撃的でした。
抱え込みやすいところがあるから、何でも相談してね、と。

ええええええええ?????何事もなかったことになってる????

その時に、「ああ、私がこんなに気にしていても、相手はちっとも自分に非があるなんて思っていなくて、勝手に弱ってるだけだと思ってるんだ。私の時間もったいな。」と思ったわけです。

当時からなぜか人に良く相談されることがあり、クラスの女の子たちから相談を受けていたのですが、それも日に日に自分を苦しめたんだなと思いました。

それでなんかもういいや、と思った私が何を考えたかというと

「よし、生徒会長に立候補しよう!」

だったんですね。思考回路どない?

これは今思い返すと、地位とか権力みたいなものを後ろ盾にしたかったんだと思います。誰も助けてくれないし、自分で自分を守らねば、という。
生徒会長に何の権力もないし、何か権力を振りかざそうとしたわけではないんですが、生徒会長になったら何も言われなさそう、という気持ちでした。

あとはクラスを変えたかった。私は本気で自分のクラスも仲良くなれると信じていました。当時は。

それが私のリーダーとしての経験の第一歩でした。
輝かしいことは何もありません。なにせ人前で話すのも得意ではなかったし、一つひとつの行事の準備の下準備に相当な時間をかけて臨みました。

それでも手腕があるわけではないので、挫折もたくさんしたし、家に帰っては反省、また準備、反省、準備の繰り返しでした。

完璧主義だったこともあり、失敗がとにかく怖かった記憶があります。
人前で恥をかきたくなくて。
失敗してなんぼ!の精神なので、人は本当に変わるものですね。

2.リーダーがトラウマに変わっていった日々

さて、そんな生徒会長時代を経て、高校1・2年ではクラスのリーダー役を任せてもらうようになりました。
中高一貫だったのでメンバーの変更はありませんでした。
つまり、問題はまだ解決していなかったんです。

私のクラスの当時の状況は、教室に来られない子が複数名(?)いる状態でした。
本気でこのクラスを良くしたいと思っていたから、休み時間に保健室までダッシュで行って話しかけ、他の子の相談にも乗ったりしていました。

中学3年、高校1年の時には学外の人たちとの交流もし、自分なりにリーダーという役割について向き合って考えていました。

そうして教室に全員が揃うようになったものの、少ない人数にも関わらず不思議な対立構造はなくならないまま。
高校3年になって限界がきました。

もうこんなクラスやってられるか、と。
私は3年のリーダー決めでリーダーにはなりませんでした。
雰囲気では私がまた引き受けるような流れになりそうでしたし、なかなか決まらなかった記憶もあります。

でももう、ずっと誰かの愚痴のはけ口になり続けるのは嫌だった。
運よく?私は成績がクラスで上位だったため、受験を言い訳にして頑としてリーダーを引き受けませんでした。
もう一生こんな思いはしたくない、そういうトラウマ的なリーダーの経験が幕を引きました。

高校3年は本当にいろんな人に迷惑をかけたと思うほど、わがままに生きたと思います。
誰も理解してくれない、なんで私はこんなにつらい思いをしてみんなのためにやったのに、ぐちゃぐちゃにした人がなんで笑って過ごせるんだろう?と思っていました。

今思えば何を、誰に、期待してたんだろうと思います。信頼していた人も離れていき、私がしんどくなったとき親身になって助けてくれる人たちはここにいなかったんだな、と思って切なかったです。
今まで私はみんなのことをずっと考えて頑張ってきたはずだったけど、私がどんなにみんなのことを思っていたとしても、届いてなかったら意味がないんだと思いました。

反省すべき点は多々ありますし、今思えば何も理解できていなかったなと思います。人のことも、自分のことも、人が集まって過ごすということも。

そんな気持ちで過ごした高校3年の1年間でも、本当に貴重な経験ができたと思っています。
初めて「良い子ちゃん」をやめて、教室に行かなくなり、授業に参加しなくなりました。

そうして、リーダーになることは最悪の記憶となり、私はもう手を出さないと決めて高校を卒業しました。

3.初めてリーダーをしてよかったと思った日

大学に入ってから、どうしても引き受けてしまう癖が治らず、小さなまとめ役を何度か引き受けたことがあります。
大学2年の夏頃まで鬱状態だったので詳細は覚えていませんが、とにかく鬱状態だったため、自分自身のことは肯定できず、自分が引き受けて良かったのだろうかと怯える日々でした。

その頃のこと、そのあとどう抜け出したかについては「留学前夜物語第三話 国連職員を目指していた外語系女子が林業を目指した話」で詳しく書いています。

私にとってリーダーの初めての成功体験は、トビタテ留学JAPANの同窓組織「とまりぎ」でした。
留学がうまくいかなかった、結果が残せなかったと思っていた私は、せめてこれから留学する人たちの支援ができればと思い、留学支援活動を始め、その流れで同窓組織のメンバーになりました。

基本的には複数のエリアに分かれて活動していて、その一つに入ったのですが、入ってすぐに「代表を代わってほしい」と当時の代表に相談されました。

正直まだそのコミュニティがどういうものかも分からない中でしたが、断る理由がないという理由でこの時も引き受けました。

やはりリーダーにトラウマがあったのは事実ですが、以前とは考え方も感じ方も変わったし、出来るかもしれない、やれるだけやってみようと思えました。

何をもって成功と言えるかはわかりませんが、高校の頃憧れた「メンバーの仲が良くて心地のいい場所」。
それになれたような気がします。(みんなはどう思っていたんだろう)

私にとって初めての経験だったので、ああこんな気持ちになれる場所があったんだ、私はここまで頑張れたんだ、と思いました。

4.もう一度、向き合ってみようか

その後社会人になるのをきっかけに、とまりぎをひとまず離れることにしました。
単純に仕事に慣れるまでは気持ちの余裕がなかったからなのですが。

仕事にも少し慣れて、勉強をする余裕も出てきた2021年4月。
いろんな小さなきっかけが積み重なり、リーダーという役割に向き合ってみようと思いました。

思えば今まで「断る理由がなくて引き受けた」「誰もやりたがらないから引き受けた」だけだったけれど、これだけリーダーという役割をしてきたのも何かの縁。

任せてくれる人もいたし、向いていると思うと言ってくれた友人もいた。

「今、向き合ってみるのも良いんじゃないかな」という気持ちが芽生え、自分が素敵なチームを作れるかもしれないと思ったらすごくワクワクして、
私はhintゼミのリーダークラスを受講しています。

リーダーになるのが怖くなって目を背けていたけれど、チームが一体感を持つワクワク感は私のワクワクなんだと気づきました。

きっと私には向いてないんだ、きっと私は良いリーダーにはなれない
そうやって「たぶん無理」と思って避けてきたことの中には、周りが向いていると思う、合っていると思う、と勧めてくれたことがいくつかあって。

私が思っているよりも私はまだ何かできるかもしれない。
誰にも負けない何かがあるわけじゃないけど、だからこそ向き合って挑戦してみても良いよね。

そう思って、少しずつ挑戦を始めました。

まだ私は何かのリーダーになるわけじゃないし、そんな予定も全くないけれど、まずは自分に向き合いたいから。
そして次の挑戦のために。

きっとトラウマは乗り越えられる。


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