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親の年金に頼るほど破綻しかけた銀行員は、いかにして復活したのか?

調子にのっていた人(あくまで主観的な印象に過ぎませんが)が転落する姿というのは、私のような小市民からしたらメシウマで気持ちいいものです。こんな薄暗い喜びを糧にして生きる人生というのも惨めだと自覚していますが、目下の水原一平氏の騒動については、私の心に暗い影を落としました。どうせなら、水原氏がスネ夫みたいなキャラだったらよかったのに、と。

さて、このように順風満帆な人生を送っていそうな人でも、突然転落してしまうケースというのはよく聞く話ですが、一方で一度転落しても自らの意志と努力、あるいはまわりの支えで復活するという胸熱な展開を見せる人もいます。

その典型例となるのが、好評発売中の新刊『新版 いますぐ妻を社長にしなさい』の著者の坂下仁さん。

かつて、メガバンクの幹部行員でした。世間一般から見れば高給取り&お金のプロですが、なんと莫大な借金を背負って破産寸前まで追い込まれてしまったそうです。しかし、本書で解説される「妻社長メソッド」で一発逆転をしました。
以下、その怒涛の展開が記された箇所を本書から抜粋しました。著者を窮地から救った「妻社長メソッド」が気になった方は、ぜひ手にとって読んでみてくださいね。


「お金のプロ」だって簡単に借金まみれになる

 借金地獄に陥って学んだことは、「知識だけではお金持ちになれない」ということでした。
 もし、知識次第でお金持ちになれるのであれば、「お金のプロ」といわれる銀行員はみんなお金持ちになっているはずです。しかし、お金持ちの銀行員を私は見たことがありません。
 むしろ、中途半端に金融商品やマーケットの知識に長けている分だけ、銀行員は経済的に自由になれない宿命にある、といったほうがいいでしょう。

 そんな銀行員を地で行ったような男。それが私でした。
 当時の私は三大メガバンクのM銀行に勤める幹部行員で、「お金のプロ」のはしくれでした。30年近くにわたって、数百もの企業へのコンサルティング・財務指導・融資を手がけ、あまたの個人客に資産運用のアドバイスをしてきました。もちろん数多くの企業・個人の成功例や破綻事例も目の当たりにしていますし、税務や財務、宅建をはじめとして、銀行・証券・保険にまたがるあらゆる資格も持っています。
 それなのに、私は経済的に自由になるどころか、金融知識とノウハウを総動員した結果、借金地獄に陥り、破産寸前にまで追い込まれてしまったのです。

 忘れもしない、2004年頃。「いずれ日本の経済は破綻する、財政も破綻する、年金も破綻する」という報道が新聞やテレビをにぎわすようになりました。有名人が年金の掛金を支払っていなかったことも発覚し、芋づる式に政治家の年金未納が明るみに出る事態へと発展。社会保険庁(当時)のずさんな年金管理実態も次々と明らかになり、増えつづける国の財政赤字への不安は増すばかりでした。
 評論家やコメンテーターも、追い討ちをかけるように繰り返し真顔で「破綻」を叫び続け、私は心底「まずい!」と震え上がりました。

 あおられて怖じ気づいてしまった小心者の私は必死に逃げ道を探しました。
 そんなとき、株で稼いでいた同僚の一人から、不動産関連株式への投資を勧められたのです。
 たしかに、このまま普通に働くだけではラチがあきません。幸い、私は豊富な金融知識を持った銀行員です。まさに、日頃の財務分析や投資分析で鍛え上げた知識と経験を活かす絶好の機会です。自分にだって一財産築けるはずだ、と思ったのです。
 こうして、株式投資に関する本やセミナーからむさぼるようにノウハウを吸収し、万全の態勢で勝負に打って出たのでした。

 しかし、いま考えると本当に恐ろしいことをやっていました。
 最初のうちは連戦連勝で、面白いように儲けが膨らみました。しかし、これは私だけに限ったことではなかったのです。この当時はマーケット全体が右肩上がりだったので、ずぶの素人でも簡単に株で儲けられた時期でした。
 それなのに、私はこれを自分の実力だと勘違いしてしまいました。調子に乗り、もっと手っ取り早く儲けてやろうと、より大きな取引にまで手を出してしまったのです。
 浮かれ気分は長くは続きません。なんと、2006年1月のライブドア・ショックをきっかけに新興株式市場がスルスルと値を下げ始めたのです。すっかり天狗になっていた私は、一時的な値下がりだと高をくくっていました。致命的な判断ミスです。
 そこからは坂道を転がるように、信用取引の損失が拡大。順調に貯まりつづけていた私の貯金はあっという間に0になり、そこからさらにとんでもない額の借金へと膨れ上がっていったのです。

 当時、私の目は完全に曇りきっていました。知識とノウハウを駆使すれば、株で大儲けできると思い込んでいたのです。その状態で、過去の市場データや専門家のコメント、新聞やテレビの報道だけを頼りに、無謀な財テクに走っていました。
「お金のプロ」と思われがちな銀行員ですが、実際はただのサラリーマン。劇的に資産を増やすノウハウを持っているわけでも、ましてや株の必勝法を知っているわけでもありません。銀行員だって当然のように借金地獄に陥ることがあるのです。

銀行員が体験した「お金のない生活」の恐怖

 こうして、安易な蓄財を決意してからわずか数年で、なけなしの財産どころか妻の持参金までも使い果たし、私は莫大な借金を抱える身に転落してしまいました。
 親のために建てた家の借金返済にも行きづまり、親の年金を拝借して借金返済に回すという本末転倒なありさまです。親父は呆れ果てながらも、そんな私の行く末を案じ、失意のうちにこの世を去っていきました。

 当然の報いですが、爪に火を点す節約生活が始まりました。
 食料品は賞味期限ギリギリの見切り品専門激安店でしか買いません。野菜売り場のダンボール箱に捨ててあるキャベツの外側の葉っぱは無料でもらえます。1尾30円のサンマは何よりのごちそうでした。
 身にまとうのはフリーマーケットで見つけた総額300円の服。歯磨き粉は、チューブを絞りきった後にハサミで切り開き、内側に残ったものを歯ブラシにこすり付けて完全に使いきっていました。
 私は昔から見栄っ張りで、スーパーやデパ地下で試食したら、必ずその品を買っていたものでした。でも、当時の私にとってデパ地下での試食はお誕生日のごちそうのようなもの。ひと回りすると腹八分になるので、買う必要もありません。
 恥ずかしげもなく試食する私の姿を見た妻は「人って、ここまで変われるものなんだ……」と、呆れながらも感心しきりでした。

 しかし、何よりも衝撃的だったのは妻の変ぼうぶりでした。

 私の妻のライフワークはファッションで、こぎれいな身だしなみが信条でした。その妻が、生活費を切り詰めたあげくにサンプル化粧品をかき集めて使い始めたときには、さしもの私も度肝を抜かれました。
 荒れ放題の彼女の素肌を見る度に、自らの所業の罪深さを悔いるのでした。妻から離縁状を叩きつけられなかったのが不思議なくらいです。

 こんな無様な姿は他人には見せられません。メガバンクの幹部行員という私の立場上、万が一会社にバレようものなら大変です。
 まさに、身ぐるみはがされて全裸のままで真冬のシベリアに放り出されたような、寒々しい恐怖感でした。血も凍るようなあの感覚は一生忘れることはないでしょう。

300万円の宝石を衝動買いできるような自由とは?

 しかし、それから5年で、私たちの生活は様変わりしました。
 当時、私は妻に100万円の宝石を3つプレゼントしたのですが、そのすべてが衝動買いだったのです。
 以前の私は、フリーマーケットで300円のシャツを吟味して、100円まで値切ったあげく買う決断ができなかった男です。その男が、5年後には、妻を喜ばせたい一心で宝石を衝動買いしてしまっている。

 当時の極貧生活に懐かしさすら覚えてしまうほど、私たちの日常は平穏で、将来への夢と希望に満ち溢れています。隔世の感という言葉は、このことをいうのかもしれません。

 これほどまでに私たちの生活が変化したのは、手許にたえず富が流れ込んでくるようになったからです。我が家には毎年数千万円ものお金が流れ込み、保有資産も数億円にまで膨らんでいました。
 万が一、勤務先からもらっている私の給料が途絶えたとしても、生活に困ることはありません。世の中がどんなに不況になっても、収入が細ることがないからです。
 経済的に自由になったことで、私たちの生活は物理的にも精神的にも一変しました。


ここまでの復活、いや、むしろ転落前以上の幸せを掴み取ることができた一番のきっかけ「妻社長メソッド」を知りたい方はコチラ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(編集部 石 くろ)

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