ミルグラム実験に見る、私たちを犯罪に駆り立て、悪に染める何か
現在、10代向けの犯罪・防犯関連の企画を進めています。
それで、私の中高時代を振り返る機会が多くなりました。
私は1学年200人弱くらいの公立中学校に通っていたのですが、まさに人種の坩堝でした。
天才としか言いようがない頭脳の持ち主もいる一方、カタカナの「ヲ」を書けないヤンキー、若くて人気のあった女性教師をぶん殴って歯と顎の骨を砕いた筋肉だるま、チビのくせに威張っている反社の息子、ジャイアンから友情を引き算したような化け物、ロリコン右翼教師……。
ヤンキーが多いわけではありませんでしたが、ただ勉強ができない子、やる気のない子が多い、県下でも有名なバカ中学でした。
そんな学校の図書館で本を借りる生徒というのは、当時学年に3人しかいなかったと言われています。
1人は授業中にシゴいていたのが見つかり全校集会で矢面に立たされた土田、2人目は授業参観の間ずっと保護者にメンチを切りつづけるという意味不明な行動が話題になった田辺、3人目は……私です。
で、オラ、こんな学校イヤだ、ということで進学した高校は地元のトップ。
ここなら変なヤツはいないだろうと思っていたのですが、「エアマックス狩り」や財布の盗難は日常的にありました。女子の着替えを物色して変態仮面の真似事をしている同級生もいました。
偏差値に関係なく、人が集まるところには必ず「犯罪」があるということでしょうか?
そんな疑問に対する答えのヒントになりそうな箇所を、最近、YouTubeでますます注目されている北畑淳也さんの本に見つけました。
『世界の思想書50冊から身近な疑問を解決する方法を探してみた』の中から一部抜粋・本記事用に改編してお届けします。これは現在進行系のロシアとウクライナ問題を考察する際にも参考になるのではないでしょうか。
なぜ優秀な人でも犯罪に手を染めることがあるのか?
スタンレー・ミルグラム著、山形浩生訳『服従の心理』河出書房新社、2008年
役所や管理職の不祥事がいつの時代でもなくなりません。
しかしながら、驚くべきは、このような人々が「食に困り万引きをした」といったような具合に、明日生活に困るわけでも、怨恨に突き動かされたわけでもなく、悪を為していることです。また、そういう人が東大卒のエリートだということもままあり、「なんでこんなエリートがバカなことを」と不思議に思った経験は多くの人にあることでしょう。
さらにいうならば、不祥事に加担した本人ですら「なんでこんなバカなことをやってしまったのだ」と思っているかもしれません。ということは、学歴や職歴など社会的ステータスでは測定しえない要因があると考えざるをえません。
特に、一般的な「頭の良さ」をはかるものさしは、物事の善し悪しを判断するには役に立たないように感じます。
「優秀とされる人」でさえ容易に悪に加担するような中で、どういう人が「悪」を為してしまうのかについて書かれた名著があります。スタンレー・ミルグラムの『服従の心理』です。
この本は、第二次大戦期にナチスが何百万人というユダヤ人を殺戮したメカニズムの解明を目的とした実験の記録で、人が「悪」に加担するメカニズムを説いています。
人はいつ悪を為すのかを検証した実験
本題に入る前に、実験の背景と概要について軽く触れておきます。
背景として、ナチスのユダヤ人大量虐殺をきっかけにこの実験は生まれました。多くのユダヤ人が殺害されたことが衝撃的であることはいうまでもありません。しかし、その事実と同等に世界を震撼させたものがあったのです。それがミルグラムの実験です。
では、ミルグラムが解明しようとしたテーマは何でしょうか。それは良心と権威の葛藤です。良心が権威に圧倒されたとき、いかなる残虐なことでもできると彼は考えたのです。その発想は、ユダヤ人の大量虐殺を主導したアドルフ・アイヒマンから得ました。
悪を為すには悪を行う強い意志が必要だと考えられていた中で、アイヒマンの証言は非常に衝撃的でした。当時法廷では、アイヒマンを追及すると、彼は、上司の命令に単に忠実に従っただけで国家に献身的な人間だったという事実しか出てきませんでした。
アイヒマン裁判を見たミルグラムは次のように考えました。
もしかするとアイヒマンに限らず、誰でもアイヒマンと同じような行動をとる可能性があるのではないか、と。
つまり、権威に従うように求められたとき、その行動が悪であると知っていても人は従ってしまう可能性があるということです。彼は、これを実証するための実験を考案しました。そして、生まれたのが「ミルグラム実験」(アイヒマン実験)と呼ばれるものです。
実験の概要は次のようになります。
この実験は、単純なものですが、衝撃的な結果をもたらしました。なんと6割を超える被験者が人間を致死に至らせる電圧を加えようとしたのです。そして、なぜそのようなことをしたのかを聞いたときの返答がアイヒマンと同様なのでした。
誰が悪を為すのか
これまで、〈一般人は単に命令されたというくらいでは、抗議する個人に対して苦痛に満ちた電撃を加えたりはしない。そんなことをするのは、ナチやサディストだけだ〉という考えが強くありました。しかし、この実験はその仮説を打ち崩したのです。
無作為に集められた被験者が次々と生徒役を致死に至るレベルまで電圧を上げるという結果は、ナチスやサディストではなくても悪を為せることを示しました。アイヒマンは決して「例外的」なのではなく、むしろ、あなたやあなたの周辺にいる人と変わらないのです。
悪から逃れるには
誰も進んで悪に手を染めたくないと思いますし、自分もそうだと信じている人が多いでしょう。しかし、ナチスの大量虐殺を主導した人物は上司の命令に忠実な人間でしかありません。そして、このことが別の人間でも生じる現象だと実証したのがミルグラム実験です。
多くの人がそうなると、生徒役を死に至らしめるほどの電圧をかける姿はアイヒマンと重なります。人間は、権威が存在し、その権威を受け入れたときに、責任能力を失うのです。
この実験を踏まえてミルグラムは結論として、権威の危険性を挙げます。つまり、人間は命令が正当な権威筋からきていると信じるかぎり、多くの人は、行動の中身や良心の制約などにはとらわれることなく、命じられたとおりのことをしてしまうのです。
彼は、「権威」に無自覚であることへの警鐘を鳴らしています。なお、彼はこのような「権威」に対して「非服従」だった人間を取り上げて、服従しない人間にもなれることを示します。その「非服従」は非常に荷が重いものでもあると述べた上で。
訳者・山形浩生の批判
ここまでがミルグラムの『服従の心理』が伝える内容です。しかし、この著書の読みどころは最後の訳者解説にもあります。山形浩生の批判的な解説は非常に素晴らしいのです。
山形の批判で我々をうならせるのは〈「権威に命じられると人はなんでもやってしまうから恐ろしい」というミルグラムの結論は短絡的すぎる〉という指摘です。〈権威には権威たる理由がある〉のであって、〈多くの場合には権威の審査プロセスのなかで、危険なものはかなり排除されるのではないか〉と指摘するのです。
また、「権威」自体を危険視し、服従を逃れるためにあらゆる権威筋から離れるという考えにも山形は疑問を投げかけます。現実では、〈ハリウッド映画ならいざ知らず、凡人が巨大な組織に立ち向かうこと〉はあまりに非現実的なことだというのです。
では山形は我々にどうするように促したか。それは権威に対しては権威で対抗せよというものです。権威自体が変わるためには、それに対抗できる権威をつくるしかないのです。
背景には、権威にもメリットがたくさんあると考えるからです。
たとえば、権威があり、それに従うことができるからこそ安心して生活できるのです。それゆえ、山形が示す道は、〈各種権威をきちんと信頼できるものに保ち、人々はその信頼を前提として、おおむねその権威のいうことに安心して服従する、という今の社会と大差ない状況〉なのです。それが、〈いちばん穏健かつコストも低くて望ましいものだろう〉と彼はいいます。
仮に「権威」に違和感を感じるのであれば、それを〈申告できる仕組みがあればいい〉というのです。何もかも信じられなくなれば、もうそれはヒステリック状態です。
ミルグラムが促す「権威」自体を敵視する方向ではなく、「権威」を社会全体として上手く扱う方法を考える山形の方向こそ、我々がなるべく悪に手を染めることを避けるためにできることではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(編集部 いしぐろ)
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