見出し画像

「国のため」「世界平和のため」とか立派なことを言う人にはご用心

弊社はビジネス書中心の版元ですし、私自身もたくさんのビジネス書を編集してきました。
どれもビジネスパーソンの助けになる本だという自負はあるものの、一方でビジネス書にはさまざまな弊害があると思っています。
たとえば、本来は必要のない人に、経営者マインドを植え付けてしまうこと。
要するに、雇われている労働者の身分なのに、「会社のために――」なんて考えてしまう人がいるわけです。とくに、経営者やそれに近い層の人が書いたビジネス書ほど、影響力が強いことでしょう。
「いやいや、むしろビジネスパーソンとして立派な姿勢だ」と評価しますか?
そんなあなたは経営者マインドに侵されているかもしれません。
経営者としては、労働者にたくさんお金を生み出してもらう必要があるので、労働者に分不相応な経営者マインドを持ってもらい、「会社のために」働いてもらえるのは願ったり叶ったりです。安月給で会社のために働く人はかわいいに決まっています。だから経営者の多くは、従業員に対して「経営者マインドを持て」などと、さもそれがすべてのビジネスパーソンに必要なことのように説くわけです。
こうして、労働者が自ら搾取される側になろうとする「搾取の構造」が生まれるわけですね……。
(本当はもっと書きたいことがあるのですが、退屈な話になるかと思うのでやめておきます。)

まあ、なんでこんなことを書いたかというと、新刊の池田清彦『人生に「意味」なんかいらない』の中で、以下のような認知的不協和丸出しの見出しとその原稿が興味深いからです。

「会社のために」ならまだしも、「国のため」「世界平和のため」とか立派なことをいう言う人にはご用心です。


利他主義の行き着く先は全体主義

 人間だって、ネコみたいに意味から離れることができれば、幸せに生きられのだろうが、人間はやはり社会システムに拘束されている生き物なので、資本主義の世の中では自分がやりたいことばかりやっていては親の遺産が何十億円もあるといった特殊な人でない限り、食っていけない。それで、本当は働きたくないけれども、生きていくため、家族を食わせるために、仕方なく働いているという人も多いだろう。
 もちろん、家族のために働くというのは、悪いことではない。しかし、「誰々のために働く」という利他主義が行きすぎると、社会全体はどんどん生きづらくなっていく。
 利他主義とは利己主義の反義語で、自分以外の他の人のためになることをしなさいという考え方だ。一般的には良いことだと信じられているが、だからこそ曲者なのである。
 まずは人間の集団の最小の単位である家族のためにがんばる。それは健全だ。自分や子どもが生きるために働いて、お金を稼がなければならない。自分の産んだ卵を自分で食べちゃうようなグッピーみたいな生き物もいるが、基本的に動物にとっては自分が生きることと、自分の産んだ子どもたちをうまく育てるということは、種として存続するために一番重要なことではある。しかし、「会社のため」と言い出したり、もっと大きくなると「村のため」「国のため」、さらには「世界平和のため」とか、旧統一教会信者だったら「神のため」とか単位が大きくなるにしたがって、どんどんいかがわしくなっていくことに気づくだろう。
 利他主義と聞くと、人間として素晴らしい模範的な考え方と思っている人が多いが、とんでもない。本当は、利他主義という言葉は、権力者が被支配者層を呪縛するための呪文なのだ。
 現在の権力は資本主義なので、あなたが、利己的に、自分の幸せ、自分の楽しみ、自分の喜びのために、「ネコ」のように生きることを選ぶと、資本主義はそれを「けしからん」と非難する。なぜなら、それは資本主義にとって役に立たない生き方だからだ。そのときにあなたを非難する際に使われるのが「利己的」「利己主義」という言葉なのだ。だから、「利己主義」はこの文脈では悪口なのだ。しかし、資本そのものは利潤の追求を目的とする徹底的な利己主義だ。国民の「利他主義」は権力者の「利己主義」のためのスローガンになっている。
 そして、利他主義の行き着く先は何かというと全体主義国家だ。
 国のために働きなさいというスローガンの下で、国民のすべてが一致団結したらどうなるか。そして、それ以外の生き方を選ぶ人を否定したら?
 全体主義とは、個人が全体のために、個人の楽しみを犠牲にしろというポリシーなので、全体という集合的な他者のためになることをしなさいということは、「個を没せよ」と命じているのと同じだ。したがって、家族以上の単位のために働くという考え方を、多くの人がよしとすればするほど、その社会はだんだんと全体主義に近づき、個人の自由が脅かされる、生きづらさの極致のような状態になってしまう。
「自分は誰かにとって役に立つ意味のある存在にならなければいけない」という意味を求める病から、多くの人が抜け出すことができないと、おそらく行き着く先はそんな社会だ。
 しかし最近は、国家のため、あるいは神のために努力しろという、露骨な利他主義はあまり受けが良くなくなってきたので、資本主義のプロパガンダはずっと巧妙になった。今はちょっと損するように見えても、将来的にはあなたやあなたの子孫のためですよという利己主義をくすぐって、資本主義に奉仕させるように誘導する言説が幅を利かせるようになってきた。安全、健康、環境にいいことをするのはあなたやあなたの子孫にとって、結局はお得ですよという甘言に引っかかる人は驚くほど多い。
 2つほど例を挙げると、1つは健康診断の強要、もう1つはSDGsの称揚である。


気になる続きは本書で確認してください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


(編集部 イ シ ク"ロ)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?