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秋晴れに誘われて自分探し・・・過去に織った作品から

布を織る仕事(手織り)は一つで括れない…

国はもとより日本国内でも地域・技法・染料・繊維・・・私の場合、
説明はつけ難い。

個人的に産業革命以前の生活、「大草原の小さな家」の暮らし方に共感していた。


何を織るのか?

聞かれると生活の布、フキンからカーテン、スリッパ、エプロンなどなど。着物が楽しい時、洋服に仕立て楽しむ頃。なんでも手で織ってみたかった。繊維も自然繊維であればなんでもよかった。

お金に替える。展示して人の目に触れる。その内容も気儘。上画像は用途の無い布です。

ウール/植物染料 /技法double weave /サイズ 90×350  空が好きで空の情報を織りたい。がきっかけです。数年前の事です。

一作織るたびに必ず腕は上がると思っています。しかし、これと同じ思いと技術はその時のものだけだった。

展示作品で、二点織って他の一点の方が評価されこの作品はそのまましまっていました。評価されることより気に入った作品の方が後に出して眺めると愛おしさが増します。何故か?


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さらにその数年前未熟さの残るこの作品(作品一部)も夜空をイメージして織ったものです。用途のない布・・・です。空が好きなの 布を裂いて織り込む作業は大変時間がかかったと記憶している。だから愛おしいのか・・・


織らずには居られない・・・

そのような日々の中でした。コンペ・公募展・クラフト展・雑誌の応募・・・羊牧場主催の公募なんでもどこでも出品して織った日々・・・。不自由から解き放たれたのです。

この夏、ふと考えたことが何故織りたかったのだろう・・・でした。「好きだから」それは自分を胡麻化していたのかもしれない。好きな事ではあってもニンジンをぶら下げられた馬のように走った!気がした。

本当に織りたいものを織っていたのだろうか・・・生業としなければ・・・頼まれたから・・・織っていなければ自分でなくなるから・・・

好きな事を仕事にするのは幸せなのだろうか?はてな?を問いただすと空っぽになってしまった。実際の気持ちは自分では分かりにくい・・・


でも、この作品が手元にあるのは織ったからです。形になって自分の技量も感覚も知れる。修行が足りなかった!

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昨日の夕焼けの空を眺めて猛省しきり・・・

また織る理由が見つかった。

多くの時間を費やした織る作業は自分を育てた。しかし、プロダクトはもう終わったと思う。では・・・で何度も立ち止まる。

師曰く「ブランクは後では潰れない」確かにウン十年間糸を持ったはずの手と色感が戸惑っているのがわかる。もう一度生成りに戻ってみましょうか。




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