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クロストークセミナーに参加して

明治図書の月刊誌「国語教育12月号」の表紙は衝撃的だった.

キャプチャkokugo

人の頭のなかほど見てみたくて,見たくないものはないのではないか.

しかも絶対見えませんね頭のなか.生徒や学習者の頭の中が1ミリも動いていなかったら…愕然とします. 

国語教育と日本語教育の2つに同時に現在進行形で関わっている身としては,若干中途半端な気持ちで本を読み進めていたし,なんとなく中途半端な気持ちでセミナーにも参加していた.
私は大学は文学部哲学科中国哲学専攻で学び高校の教員免許をとったのでいわば,国語教育副専攻みたいな感じです.あまり教育の専門家じゃないです.

教育を主に勉強してきた先生方には確固たる共通理解があり,セミナーはテンポよくすすんでいったのです.その中でも気になった講師の先生の言葉について気になったものを紹介

直接的な問いは思考を動かさない

「どうしてこうですか?」「なぜ〇〇はこう言ったのですか?」どうして、なぜは日本語教育界隈ではおなじみの問い方でしばしば学生の理解を確かめる問答のような読解授業にも投げられる問い方です。ここらへんは国語と日本語教育では大きく異なるかなと(外国語教育だったら言葉の使い方も考えるし、因果関係を外国語で言えたら「素敵!」ってなります)

国語の授業ではそうだな、やはり直接聞くのは「誘導している問いかた」「先生が望む問いを生徒がさがす問い方」になり、先生の口からも「それで?ほかには?」などになってしまいがち。これは思考を動かしているのではなく先生の気に入る答えをさぐっているだけ。

問いは「聞かない」&「問いは変換させる」

教師が教えたいことを学びたいことに転嫁させる

教室は共通の価値観を作り出すところ

最後の教室は共通の価値観を作り出すところ、というところに非常に心をつかまれた。オンライン授業と違うリアルの教室の良さがおぼろげながら言葉になりそうだと思ったからだ。

教室は共通の価値観、クラスの「酵母」が育つところだと思う。そしてその酵母が雰囲気や伝統や学校やクラスの色を作っていくものであり温かな記憶ととして児童生徒や学生に醸成されていくものかなーと薄ぼんやりと思ったりしている。


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