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【離婚後共同親権】続・憲法学者は、離婚後共同親権をどのように考えているのか? 木村草太「子供の利益と憲法上の権利」

【前回】

2年前、離婚後共同親権と憲法の関係について、木村草太東京都立大学教授の論考を取り上げました。今回はその続編です。

<参照文献>
木村草太「子供の権利と憲法上の権利 ー人間関係形成の自由の観点から」梶村太市・長谷川京子・吉田容子編「離婚後の子どもをどう守るか 「子どもの利益」と「親の利益」」120頁以下(日本評論社 2021年)

"離婚後共同親権"は既に導入済である

冒頭、木村教授は、改めて親権概念の整理の中で、次のように述べています。

ところで、監護権は、離婚後の親権者(あるいは、親権・監護権を分離した場合の監護権者)が自由に行使できるものではない。監護の方法は、親権の有無にかかわらず、「子の利益」を基準に、両者の合意や家庭裁判所の命令で決定される(民法766条)。例えば、子の最善の利益になるなら、「週の前半は母の家で、後半は父の家で子を監護する」という合意も可能である。共同親権推進論者の中には、対等な監護を「共同親権制度」と呼ぶ者もいるが、それを可能にする制度は、すでに日本法に存在している。つまり、日本もすでにある意味での「共同親権制度」を取り入れているのである。
(<参照文献>P.121)

ただし、一方で親権の一内容である重要事項決定権(教育・財産管理・法律行為の代理等)は共同では行使できないとされます。

そもそも、現行法はなぜ単独親権なのか。
木村教授は合理的だからだ、と説明されます。

(その理由)
①婚姻の効果が子への共同親権の合意を含むものだとすると、婚姻の解消は、共同親権の合意の解消と構成するのが合理的である。
②適切な合意形成が困難なケースもある。
③婚姻中であっても、父母が共同親権の行使方法で対立した場合、裁判所はそれを調整する仕組みがない。離婚のケースでは、父母の関係は破綻しているケースが多い以上、単独親権で処理するほかない。(※)
※部分は、内田貴「民法Ⅳ 親族・相続〔補訂版〕」(東京大学出版会 2004年)236頁からの引用

そして、木村教授は次のように指摘します。

親権は親にとっての当然の権利ではない

なぜなら、親権は国家が作る法制度において創設された資格であって、国家以前(換言すれば、国家があろうとなかろうと)に存在する「自然権」ではないからだ、とされます。

とすると、親権は親の側から憲法上構成し得ない以上、反対側から考える必要がある。
ということで、「子供の側から」構成を試みています。

子供に人権享有主体性があることは、憲法学上争いがないところですが、一方で、子供は自律的な能力の形成途上にあり、子供自ら自己の権利実現を図ることは事実上困難です。
そこで木村教授は、子供が憲法上の権利を実現するための、「権利実現義務者」が必要であり、それが親権者であるというのです。

とすると、この義務者は子供の利益を真摯に代理し得る者であれば誰でもよい、というのが論理的ではありますが、実際上、父母が最も子の最善の利益に関心を寄せることが一般的であるため、実親が権利実現義務者として選定するのが合理的であろうとされます。
しかし一方で、この権利実現義務は、あくまで子の権利実現を求める権利の具体化としての性質が強い、と説明されます。そこで、例えば離婚後共同親権推進派が主張するような「親子交流の自由」について、子の最善の利益を侵害するならば、制限されるべきである、とされます。

この点に関連して、木村教授は、子供の権利条約(児童の権利に関する条約)9条についてや、分離されない権利や18条に定める父母の共同養育の責任についても、あくまで「児童の最善の利益」を実現するためであり、虐待等のケースにおいては、分離や制限は当然である、とされています。

そして、もう1つ重要な観点が、

子どもの人間関係形成の自由権

です。
もともとは長谷部恭男東京大学教授がその著書「憲法学のフロンティア」でプライバシー権の一内容として述べられていたもので、次のようなものです。

筆者は、自己情報のコントロール権は、他者からの監視や干渉、社会関係の圧力の及ばない自分だけの静謐な私的領域で個人が自由に思考し、交流し、生きることを可能にするだけではなく、本人の選択する相手とのみ本人の決定する人間関係を形成する能力の必要不可欠な構成要素でもあるというチャールズ・フリード教授の立場に賛同する。プライヴァシーに属する自己情報の中には、本人のみが墓場の中まで持っていく情報もあるかも知れない。しかし、ほとんどの自己情報は、本人がこの人にだけは話そうと決意し、そうしてコミュニケートし、分かちあうことで、本人の選びとった人間関係を形成するために用いられる。そうして選びとられた人間関係の中で、さらに当人だけの間でのみ分かちあう情報が生み出され、その人間関係が日々再生産されていく。恋人、夫婦、親子、友人の関係はそうした人間関係の典型である。こうした人間関係は、法律上の関係とは必ずしも対応しない。夫婦でありながら、こうした親密な情報の分かちあいがなければ、それは仮面夫婦であり、親子の間でそうした分かちあいがなければ、それは親密な親子とはいえない。人は、夫婦関係だけでなく親子関係をもある程度までは選ぶことができる。
(長谷部恭男「憲法学のフロンティア」P.115(岩波書店 1999年))
また、自分で自分の人間関係を形成する能力は、たとえそれが経済的観点からして非効率なものであったとしても、これを保護する十分な理由があると思われる。社会全体の厚生を低下させるかも知れないからといって、このような能力を剥奪されることに同意する人がいるとは考えにくい。この能力を剥奪されるという条件でもなお、人は社会生活に参加したいと思うだろうか。
(同P.116)

そして、木村教授は、離婚後の場面において、次のように説明されます。

 子どもの人間関係形成について考えてみると、幼児期までは、大半の時期を監護者たる権利実現義務者と過ごすことになる。青少年になっても、衣食住はもちろん、教育に至るまで、生活の多くを依存する。子どもと権利実現義務者は、非常に深い人間関係にならざるを得ない。
 この点、父母が、婚姻関係やそれに準ずる共同生活関係(いわゆる事実婚)にある場合には、親との関係で子どもの人間関係形成の自由が意識されることは、あまりないだろう。虐待等がない限り、多くの子どもは、父母双方と深い人間関係の形成を望むだろうし、その望みを実現することに、何ら支障はない。
 しかし、父母が離婚した場合には、「双方納得の上で別居し、相互に交渉もない父母」「双方納得の上で別居し、その後も交流を続ける父母」、「DVの加害者・被害者の関係にあり、関係を断つ必要のある父母」、「同居して事実婚を続ける父母」など、その関係は多様である。離婚後の父母関係が多様である以上、安易に原則やデフォルトを定めず、子どもの置かれた状況を丁寧に把握し、何が最善であるかを慎重に決定しなくてはならない。
(<参照文献>P.126~127)

木村教授は、従来、子の最善の利益を図る上で、この主観的条件である「人間関係形成の自由」、とりわけ「意見表明権」が十分に保障されてこなかったのではないか、と指摘します。

子どもの意見表明権の課題と限界

木村教授は、子どもの意見表明権について、子どもの権利条約12条1項本文、家事事件手続法65条の存在を指摘しつつ、山崎新弁護士の言葉を引用して、実際の運用面について課題を指摘します。

(課題点)
・意思の把握は、家庭裁判所調査官のスキルに依存すること
・家庭裁判所調査官が、必ずしも心理学の専門家ではない
・面会交流の調査において、誘導的な質問がなされる
・時間的制約(1回限り1時間)

(木村教授の改善提案)
・時間は1回1時間ではなく、子どもへの信頼関係への十分な配慮
・継続的な子どもへの配慮
・子どもの意思を把握する人と、面会交流の判定者との分離

そして、子どもの最善の利益という客観的条件と、子の意思との主観的条件が齟齬をきたす場合は、客観的条件を優先すべきとし、その限界を設定しています。
しかし一方で、それは客観的な条件を満たしていればいいということではなく、子どもの意思表明権は、"壁に向かって話す権利ではない"といいます。

意見表明権は、単に意見を表明するだけで終わっては意味がない。公的機関や担当者が、子どもの意見を実現できるよう努力する必要がある。子どもの「人間関係形成の自由」が実現されること自体が、「子どもの利益」の一部を形成しているからである。たとえ、その選択が後に最善ではないとの結論に達する可能性があるにしても、一度はそれを実現してみることこそが、「子どもの利益」と言えるだろう。ただし、その選択が子どもに対して重大な不利益を生じさせる場合は、それを防ぐ義務があるのは当然である。
(同P.130)

私見

①子どもの権利条約の憲法学上の位置づけ
 前回記事で指摘した、憲法上の権利と子どもの権利条約の関係性について、この論考は積極的に論究しており、「子どもの最善の利益」から各条項の権利が制約を受ける、というのは標準的な考え方のように思われます。

②子どもの権利からの再構成
 ①に関連して、子どもの権利を実現する義務者として親権を位置付けるというのは、ラディカルではありながら、論理的であろうと考えます。

③既存の民法学との整合性
 しかしながら、これらの法的構成は、既存の民法学にはほぼ見られない傾向であり、親権をめぐる立法上の沿革とも整合はしていません。
 あくまで目的論的に視座の転換を図っているに過ぎません。
 親権=子どもの権利実現義務者という理念が、既存の民法の条文解釈として徹底することが可能なのか(例えば、教育権など)、また、親権が他者の支配を排して子を養育する事実上の立場・権限と整合するかは未知数といえます。

④子どもの意見表明権を尊重する義務は親権者だけか
 例えば、中学生・高校生の進路指導の先生や、塾・家庭教師、習い事の先生、スポーツチームのコーチなど、子の成長にかかわる様々なアクターが、それぞれの場面で部分的に義務を負い、それらアクターの利害関係の衝突(例えば、夏休みの少年野球チームの練習と、実家への帰省といった場面)において、どのように整理されるべきか、といったところまでは論及はありません。

⑤意見の把握方法
 これも問題だな、と感じるのですが、木村教授が想定する子どもは、かなり頭の良い子どもを想定しています。
 年齢や発達段階において、意見の把握方法は多様なパターンが考えられ、専門家や行政の関与が必要なケースも多いと考えられます。
 ④⑤に関しては、木村教授はあくまで原則論にとどまった、と考えています。

⑥結局、「離婚後の共同親権」は必要なのか
 実は、肝心な点が抜けています。
 この子どもの憲法上の権利から考えて、離婚後の共同親権が必要かどうか、全く語られていません。
 あくまで、親権と子どもの憲法上の権利の法的関係を明らかにしたにとどまっています。
 とすると、離婚後の子の養育方法に関する法的規律について、共同親権も含めた制度設計が、木村教授の論考の範囲内においてという条件付きで、設計可能とも考えられます。



【分野】経済・金融、憲法、労働、家族、歴史認識、法哲学など。著名な判例、標準的な学説等に基づき、信頼性の高い記事を執筆します。